戻って



大人になんてなりたくない。
ずっと子供でいたい。
今ならピーターパンの気持ちがわかるよ。
私もネバーランドに行きたい。


神様、むしろできることなら幼いあの時に戻して下さい。

お互いに素直で可愛かったあの頃に。






『名前のアホ』
『アホちゃうもん!!ひかるのほうがアホや!!』



名前で呼び合って、言い合いをしてたあの頃。
今ではひかるとはもうそんな関係じゃない。


いつからか財前君と呼ぶようになって、登下校も一緒にはしなくなった。


うん、わかってる。
全部私のせいなんだ。


財前君と私では私が1歳年上。

彼が小6、私が中1の時にはもう距離が出来始めていた。
私は一足先に中学に入学して、先に大人に近づいてしまった。


照れという感情を知ったのがこの頃だった。
いくら幼なじみでも名前で呼ぶのが恥ずかしくなった。


だって財前君は男の子だから。

思えば私は結構早くから財前君を男の子として意識していたんだ。



今では月日を重ねて私たちは高校生になった。

財前君が同じ高校に入学したことを知った。私は多分そうなるとは思ってた。

だって四天宝寺中男子テニス部はみんなしてうちの学校に進学していたから。


中学では何度か男子テニス部と同じクラスになって、よく財前君の噂は聞いていた。



『1コ下にな、財前言うんが居ってな。そいつほんま生意気やねん』
『謙也なんて先輩やのに財前にいじられとるんやで』



中3で謙也君と白石君と同じクラスになった時に2人が笑って話してくれた。

白石君は部長だったから男子テニス部の後輩たちがクラスを訪ねてくることは多々あった。
その中に財前君はいて、私が中学に入学して以来初めて話したんだ。



『白石部長』



先輩の教室なのに何も臆することなく入ってきて、真っ直ぐ白石君のところにやって来た。

その時たまたま私は白石君と謙也君と話していた。



『こいつが例の生意気な財前やで』



財前君と白石君が話してる間、私は謙也君と話していた。

謙也君は笑って財前君を見た。
紹介なんてされなくても知ってるけど、あえて知らないふりをした。



『まず見た目からして生意気やろ。ピアスぎょうさんつけとるし』
『謙也君やって金髪やん』
『俺はええねん。先輩やから』



何故か得意気にふんっと鼻を鳴らす。
先輩って高校生になったらまた後輩になるのにって思ったら、何だか可笑しくて笑ってしまった。



『…ちゅーことで。それと謙也さん』
『何や』
『知らん先輩に余計なこと吹き込まんといて下さい』



この時、私は本当にショックだった。
自分から距離置いたくせにね。

でも幼なじみなのに“知らん先輩”だなんて言われて、傷つかないはずないよ。






「チビ先輩」



後ろから頭に手を置かれてはっとした。

振り向かなくても誰だかわかる。
私をそんな風に呼ぶのは一人だけだから。



「財前君、私はチビって名前やないんやけど」

「何ぼーっとしとるんですか」



私の抗議は見事にスルーされた。


知らん先輩って言われてから、何故か私は財前君に絡まれるようになった。

高校生になった今でも、こうやってたまに声をかけてくれる。
理由はわからないし、誰も教えてくれない。

でもいいんだ、理由なんて何だって。私はこうして財前君と話せることは嬉しいから。

まるであの頃に戻ったみたいに錯覚する。
チビ先輩って言われるし、敬語だし、昔とは随分変わってしまったけれど。



「ちょっと思い出に浸ってたりしてみただけ」

「先輩って暇なんスね」


何もかもが変わってしまった財前君。

私と同じくらいだった背は私より頭1個分大きい。
痩せっぽちだった体は男らしい体つきになっている。
可愛くてあどけなかった顔は整った格好いい顔になってるし、耳にはいくつものピアスがついている。

そして素直という言葉とはかけ離れた少し捻くれた性格になってしまった。


そんな財前君はとてもモテる。



「財前君は忙しそうやね。昨日もまたお呼び出しされたらしいやん」



財前君はよく告白されているらしい。
その度に謙也君が「生意気やー」って愚痴を言ってる。

謙也君や白石君だってかなり頻繁に告白されてるのに。



「別に。好きでもない女に言われても嬉しくないんで」



財前君はだるそうに言った。

財前君は好きな子いるんだろうか。



『おれは名前のことすきやで』
『わたしもひかるのことすき』
『ほんなら光と名前は大人んなったら結婚しぃ』
『『うん!!』』



財前君のお兄さんに言われて、2人で笑顔で頷いたっけ。

実は私は今でも気持ち変わんないんだけどな。

そんなこときっと彼は知らない。
だって私は彼にとって知らない先輩だったんだから。


財前君は片方だけ口角を上げて笑った。
小さい頃はそんな笑い方しなかったのに。


きっと私が告白しても他の子と同じように、きっぱりフられるんだろうな。

それを考えると、仲の良い先輩くらいに思われてた方がいい。
無条件に一緒にいられるから。



「チビ先輩かてせやろ。好きでもない男に迫られたって迷惑なだけやん」

「どうやろう…。私は財前君みたいに告白される経験豊富やないから」



一度や二度ならそりゃあるけど。
好きになってくれたことはただ単純に嬉しかったし迷惑だなんて思わなかった。

財前君が好きだから断ってはいるけど。



「…ほなら、試してみます?」

「へ?」



財前君の言った意味がわからなくてフリーズしていたら、財前君が近づいてきた。

私はどうしたらいいかわからずにただ後退る。


背中が壁に触れ、細いのに程よく筋肉のついた財前君の腕が私の横の壁についた。

もう逃げ場はない。

後ろは壁、横は手、前は財前君。


財前君に見下ろされ、私は俯いて赤くなっているであろう顔を隠した。



「チビ先輩」



財前君の細い指が私の顎にかかって上を向かせられる。
しっかりと目が合って、私の心拍数はまた上がった。

目を逸らすことも身動きをすることもできなくて、息をゴクリと飲んだ。



「…好きや、名前」



黒い瞳が切なげに揺れた気がした。


今、名前を呼んだ?
チビ先輩じゃなかったよね。昔みたいに名前って呼んでくれたよね。



「そ、れは、冗談…?」



やっとのことで絞り出した声は震えているように感じた。

冗談なんかであって欲しくない。



「そうやと思います?」



財前君はいつもの人を小馬鹿にしたような顔でそれだけ言った。



「わか、んない」

「せやったらわからせたりますわ」



財前君の顔が近づいて来て、私たちの距離はゼロになった。

唇から財前君の熱が伝わる。


再び距離ができた時には何だか体が燃えるように熱くて、恥ずかしくなった。



「好きでもない男に迫られたらやっぱり嫌やろ」



眉間に皺を寄せた財前君はそれだけ言ってスッと離れた。



「ざ、いぜんくん」



私は…
私は子供の頃みたいに素直になれない。

でも今は素直にならなきゃいけない。
きっと財前君の言った言葉は冗談なんかじゃないもの。



「嫌やない、よ」

「は?」

「だって私、財前君のこと好きやもん。好きな人に迫られたら、普通嫌なわけないやん」



素直になれなくなってもう5年も経ってしまったけど。今だけなら、あの頃のように素直に好きだって言える。



「ほんまですか?」

「…う、ん」



財前君は私の頬に手を添えてもう一度キスをした。


唇を離して財前君は嬉しそうに笑った。

あぁ、この笑顔はあの頃の笑顔と同じだ。
優しくて可愛い笑顔。ううん、今はそれに格好いいまでプラスされてるや。



「夢、やないわ」



確かめるように財前君は私を抱き締めた。
私も同じように財前君の背中に腕を回した。


夢じゃない。
そうお互いの心臓が知らせてる。



「名前、あの約束覚えとる?」



財前君は昔のように私を名前で呼び、敬語も外れた。
何だか幼なじみに戻れたようで嬉しい。

私たちがした約束。
私が考えられるのは一つだけ。ただの子供の口約束だけど。

だから彼が覚えていたことに驚いた。



「忘れるわけないやん。ひ、かる…も覚えてたんや」



私はじわりと涙が滲む感覚がした。
視界が歪んで光を捉えられなくなる。



「兄貴の前で約束したやろ」

「…っうん」



やっぱりあの約束。



『ほんなら光と名前は大人んなったら結婚しぃ』
『『うん!!』』



「光」

「ん?」

「すき」



好き。大好き。



素直に言うことは難しいけど、今なら言える気がしたんだ。


だってまた戻れたから。

もう知らない先輩じゃないよね。
仲良い先輩でもない。

幼なじみに戻れたんだ。



「名前、俺と付き合うて」

「うん…」



いや、幼なじみでもない。


私たちの新しい関係。

恋人同士になったんだ。



神様、やっぱり時間は戻さないで。

ずっと光とこうしていたいから。















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