離れない心



いつになく早く起きた朝。


ワンピース型の制服に袖を通し、スカーフをきゅっと絞める。髪を梳かして、ご飯を食べて、歯磨きをして。そんな毎日やってる習慣が今日はとても新鮮に感じる。少なからず緊張をしているのもあるし、でもどこかで変に落ち着いた自分もいて。

学校に行く前に自室の姿見の前で自分をじっと見つめた。この姿見の前でくるりと回って、うきうきして学校に向かったのはもう三年も前。もうそんな初々しいことはしない。ただにっこり微笑んで、私は空っぽに近い鞄を持った。



「行ってきます!」



元気良く外に出れば、清々しい空気。天気予報では四月並の暖かさって言ってたし、空を見上げれば雲もどこかに行ってしまったみたい。ぽかぽかの陽気に間違って桜が咲いてもおかしくはないと思う。



「おはようさん」

「おはよ、蔵ノ介!」

「何や今日はやけに元気やな」



ははっと笑って私を穏やかな眼差しで見つめる。私はそんな彼を見上げて満面の笑顔を浮かべた。

今日は一日笑顔でいるの。笑顔でいればみんなもつられて笑顔になるはずだから。みんなの記憶に笑顔の私が残るように。私の記憶にみんなの笑顔が刻まれるように。



「ふふふ。迎えに来てくれてありがとうね」

「構わへんよ。今日で一緒に登校できるんも最後やしな」



そんな寂しいことを口にする蔵ノ介はそれでも微笑を浮かべていた。


私たちが付き合い始めたのは二年生の夏だから、今は一年半。その間、いろんなことがあった。

笑って、照れて、泣いて、喧嘩して、仲直りして、また笑って。中学生活を蔵ノ介と過ごしてたくさんの思い出を作った。

お互い進学先が決まってからは、本当にたくさん二人で遊んだ。お決まりのデートスポットだって行ったし、一緒にテニスもしてみたし、キスだってした。全部が全部大事な思い出なの。大好きな蔵ノ介との出来事だから。



「…手、繋ごか」

「学校の人に見られるの嫌だって言ってたのにー?」



からかうように言うと蔵ノ介は真面目な顔をして私の手をとった。強引に、でも優しく。デートの時は必ず繋いでいた手。絡められた指はまるで離れたくないと心の中で叫んでいる私たちのみたい。



「ほんまは見せつけたかったんや」



照れた顔で眉を下げると繋いでいる手を引っ張って私を引き寄せた。身長差的に自然となってしまう上目使いで見上げると、額に降ってきた柔らかな唇。

慣れないスキンシップに慌てて私は目を大きくする。多分私は今頬を少し染めているだろうな。



「今日は甘々だね」

「俺はいつやって名前には甘々やで」



ふふふっと二人で見つめあって笑って学校へと進む。


私たちの恋仲は学校でも公認なんだけれど。それでもこうやって人前でいちゃいちゃすることはなかったからみんなチラチラと見ている。やっぱり恥ずかしさもあったし、共通の友達に気を使わせたくなかったから。

とは言え、体育祭や文化祭、修学旅行の時はそれなりに一緒に行動していたし、二人で出かけるときは自分で言うのもなんだけどいいカップルに見えていたと思う。





式というのはただの儀礼的な催しで、実際私たちにとっての楽しい時間は最後の放課後だ。

みんなと写真をとって、卒アルに寄せ書きをして、「また会おうね」「高校に行ってもよろしく」そんな会話が繰り広げられる。泣いている子もいれば、爆笑している子もいる。それぞれが思い出を語り、それぞれが三年間に思いを馳せる。


私は、笑っていた。恵まれたクラスメイトと思い出話に花を咲かせて。卒アルにはみんなからもらった言葉たち。どれもこれも嬉しい。でもみんな自然と一番目立つ真ん中を空けていた。

一番仲良しの友達に「特別な人のスペースやろ」なんて言われて、蔵ノ介に視線を向ける。


教室の別の場所で男子と塊になっている蔵ノ介も、笑っていた。男女共に人気だったし、卒アルの寄せ書きのページは真っ黒だろう。きっと密かに思いを寄せる子だって書いているかもしれない。でもいいんだ。それだけみんなから好かれているってことだから。自慢の彼氏ってことだから。



「名前、俺部活ん方行ってきてええかな」



蔵ノ介が、暫く教室で留まって友達と騒いでいる時に声をかけてきた。一緒に帰る約束なんてしてなかったけど、お互いの気持ちはわかっていた。一緒に帰りたい。



「うん、ここで待ってるね。ゆっくりしておいで」



蔵ノ介はおおきに、と言って教室を出ていった。


それぞれが部活の集まりや先生に挨拶に行って、私もお世話になった先生に挨拶に行った。それから教室に帰ってみればもう大分人数は減っていた。そこから一人、また一人と笑顔で帰っていくのを見送って蔵ノ介が戻ってくるのを待っていた。


慣れ親しんだ教室。もう今日で終わりなんだと思うと寂しくて、でも何だか誇らしい。目を閉じればたくさんの思い出が走馬灯のように流れていく。鼻の奥がツンとして静かに目を開けた。



「名前」



優しい声色で名前が呼ばれて私は笑顔で振り返った。そこには私の思い出全てに登場する、愛しい愛しい人。



「おかえり。部活の人ともっと一緒にいたかっただろうにごめんね」

「ええんや、高校に行っても一緒やから。それにいつでも会えるしな」



ゆっくりと近づいてきて口角を上げた。そうか、みんな推薦を蹴ってまで一緒に全国目指すって決めたんだもんね。大好きな人がもう一度輝くのを近くで見れないなんて残念。



「そっか。高校に行っても頑張って、ね」



ちゃんと声は震えずに言えたかな。近い未来に蔵ノ介の隣に自分がいないことを考えたらやっぱり泣きたくなってしまった。今日は泣かないって決めてきた私はぐっと涙を堪える。誤魔化すように抱きつくと、蔵ノ介の匂いに包まれて暖かい体温を感じる。



「もう泣いてもええんやで」



その言葉にびっくりして見上げると頭を抱えられるようにして抱きしめられた。そんなことをされて私の涙腺が耐えられる訳はなく。蔵ノ介の優しさの中でついに涙を流した。



「泣き虫の名前が今日一日頑張っとったんは知っとった」

「うぇっ、う……」



耐えきれず嗚咽を漏らす私の背中をトントンと叩いてくれた。蔵ノ介には全部、全部お見通しだったみたい。

本当は高校からこの大阪を離れるのが寂しくて仕方ないことも。友達と離れるのが嫌だってことも。蔵ノ介と離れたくないってことも。



「名前」



呼びかけられて泣き顔のまま蔵ノ介を見ると、頬に掌を当てて親指で涙を拭ってくれた。止まらない涙はどんどん蔵ノ介の手を濡らしていく。



「泣き止んで?」



そう言って、唇に甘いキスを落としてくれた。ほんの少し長めの口付けの後、蔵ノ介は笑っていた。それも楽しそうに。



「涙、止まったな」

「くら、」



もう一度、今度は深いキスを落としてくる。舌を絡めて離すまいとでも言うような蔵ノ介の熱い唇に息ができなくて、苦しくなった頃に胸をトントンと叩いた。



「離れてても、大丈夫やから。俺らの気持ちは離れへんやろ?」

「うん」

「名前がずっとずっと好きや」

「うん。浮気しちゃ、やだよ?」

「東京のカッコええ男に色目使うたらあかんよ?」



にやっと笑ってぎゅっと腕に力を入れた。色目なんて使わないもん。私には蔵ノ介がナンバーワンでオンリーワンなんだから。



「…蔵ノ介」

「ん?」

「大好き!」



さっきまで泣いてたのが嘘のように笑えた。そのまま蔵ノ介の頬に手を伸ばして、珍しく私から唇を重ねた。


蔵ノ介は嬉しそうに笑って、そして、泣いたんだ。中学生活を懸けてきた全国大会で負けてしまった時だって泣かなかったあの蔵ノ介が。



「泣かないで?」



さっきの蔵ノ介の真似をして、一筋だけ流れた涙を拭ってあげた。初めて見た蔵ノ介の涙はとても綺麗で、とても…温かった。



「頑張ろな」

「頑張ろうね」
笑顔で交わした言葉は"頑張ろう"


頑張れじゃないの。一緒に頑張るの。蔵ノ介は大阪で。私は東京で。

だからお互い笑って進もう。見ている未来は同じだから。過去だけでなく今も未来も共有してくれる最愛の人。



寄せ書きのページのど真ん中に綴られた言葉は二人とも同じ。






大好き!






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