雪の日の幸運



東京で雪が降った。それも十年に一度の大雪らしい。生まれも育ちも東京の私はこんなにも雪深い道路を経験したことは、覚えている限りではないと思う。



「ついてない」



思えば私はいつもいつも、ついていないのだ。

遠足に行く日は大抵雨だし、買い物に行けば直前に欲しいものを買われてしまったり売り切れだったり。

今日だって、雪が道路に15センチ近く積もっていて天気も思わしくないにも関わらず、バイトだ。行くのはいいけど帰れなくなりはしないかと心配になる程に外の雪はすごい。そもそもこんな日にカフェに訪れる人が何人いるのか。



「名字さん、表の雪掻きしてきてくれる?寒いからコート着てけよ」



店長の声がお客さんが少ない店内で響く。暇を持て余していた私とバイトの先輩。当然後輩である私が雪掻きをやることになるわけで。

ついてない。後輩とのシフトであったなら、あるいは男の子とであったなら、私がやることもなかっただろうに。



「わかりました、行ってきます!」



嫌だという表情をしないように、お店にあるベンチコートとスコップを持って外に出る。私が来るときにはちらついていた雪はもう降ってはいない。

ただ都会特有の水分を含んだ湿っている重たい雪が目の前を真っ白に覆っている。目の前の道路は車が通るせいで雪はまばらに溶けて白というより茶色い。歩道の白さがいかに人通りが少ないかを表しているようで、雪掻きをしてまで開店する意味があるのかないのかわからない。



「さっむ。しかも重っ」



両手でぐっと力を入れて重くて白い塊を入口付近から退かす。


数十分それを繰り返してやっと入口周辺が片付いた頃、一人の初老のお客様が来店した。スーツ、というよりは燕尾服のような綺麗な格好をしていた。



「いらっしゃいませ」



雪掻きの疲労もあったけれど、接客用の笑顔を張り付けて挨拶をする。お客様もにこりと笑って会釈を返してくれた。


数分後、彼はうちのお店の紙袋を持って出ていった。向かう先は少し先にある黒塗りの高そうな車。運転席に入っていって暫く動かなかった。もしかしたらうちで買ったものを召し上がってるのかもしれない。



その時に聞こえた、ズザッという不吉な音。嫌な予感がして見上げると、屋根から雪が落ちてきた。


ああ、最悪。せっかく片付けたのにまたやり直しだ。


スコップを抱えてため息をついて、もう一度やり直そうとした。



「坊っちゃま!!」



その声と私の手が軽くなるのは同時だったと思う。驚いて振り返ると、後ろから長い腕で私が持っていたスコップを軽々と持っている至極綺麗な男の人がいた。



「あ、の…?」



私を見下ろす瞳は美しいアイスブルー。右目の下にある黒子がやけに妖艶で、きりりとした顔から多分モテるんだろうことがわかる。



「見てらんねぇんだよ」

「景吾坊っちゃま!そのようなことは私がやりますのでお車にお戻りください」



焦ったように声をかけてきたのは先程の初老のお客様。推測するにこの美しい男の人の使用人なんだろう。使用人なんて始めて見た。



「ミカエル、お前が戻っていろ」



厳しい口調で指示を出し、ミカエルさんは渋々と戻っていく。それに満足したのか、スコップで店の前の雪を払っていく。



「お、お客様っ!私の仕事なので、あの、大丈夫ですからっ」



我に返ってスコップに手を伸ばすと、彼はそれを避けるようにしてスコップを地面についた。



「女にこんなことさせるなんざろくな店じゃねぇな」



ガラス張りの入口から店内にいる唯一の男手である店長を鋭い目で見つめる。



「それに、」

「あ…」



不意に手を取られて、大きな手に包み込まれる。



「冷てぇ。女なんだから温かくしてろよ」



優しい眼差しを向けられて私はどうしたらいいのか分からなくなる。誰だってこんな状況ならそうなるだろう。

目の前にはイケメン。そしてそのイケメンに手を握られている。今まで彼氏がいなかったとは言わないけれど、イケメンな男の人とこんなにも接近するのは初めてのことで、ドキドキと私の心臓が暴れだす。



「チッ」



彼は店内を見て舌打ちをした。私も中を覗けば、店長が私達に気づいたらしく、向かってくる。


まずい。こんなところで仕事をサボってお客様と立ち話をしている場合ではない。


とっさにそう思った私は彼の手からすり抜けるようにして離れた。



「あの、すみませんでした!」



何だか良く分からないながらも頭を下げて謝罪をいれた。そうしたら彼は、綺麗な顔に笑みを浮かべて私に手を伸ばしてきた。



「跡部景吾だ。また来る」



さらりと私の頭を軽く撫でて、踵を返して高級車に向かっていく。その背中は自信と気品が溢れていて、とても一般人には見えない。さながら芸能人のようだ。



「どうかしたのか?」



外に出てきた店長に聞かれて、私はいいえと首を横に振る。

走り去る高級車を、見えなくなるまで見つめて先程までの出来事に思いを馳せる。



また来ると言った跡部さん。この出会いの日以降バイト中お客様が来店する度に確認してしまうんだ。

いつ、あのアイスブルーの瞳を持った美しい彼が現れるのか。早く会いたいというもどかしい気持ちで、仕事をする私はおかしいのだろうか。たった一度会っただけなのに。



「久しぶりだな」



そう笑顔で言って跡部さんが現れたのは季節が変わって雪の気配すらなくなった春。私が高校三年に進級し、しかし相も変わらずバイトに勤しんでいた時。


久しぶりに会えた跡部さんに私も笑顔で挨拶を返した。


彼が年下であることに気づくのは、もう少し先のこと。生徒会選挙に一年生が出馬するという噂を聞くその時。






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