譲れないモノ






君はいつだって大切なものを簡単に譲ってしまう。あたしはそんな君が好きで、嫌いで、やっぱり好きだ。






同じクラスの男子テニス部紅白コンビ。

紅くて元気で無邪気な、自称ボレーのスペシャリスト。
銀色の飄々として何考えてんのかわからないコート上の詐欺師。


その片割れの彼、仁王雅治君とは去年も同じクラス。今年も同じクラスになったから少しだけ話す。ただそれだけ。


でも知ってる。仁王君は欲を見せない。

自分が一番に考えてきたものだって簡単に誰かに譲ってしまう。それは仁王君なりの優しさかもしれない。


でも譲ってしまった後に彼には何が残るの?



「なぁ、仁王。明日の練習の相手変わってくれよぃ」



俺あいつ苦手でさ、と丸井君が渋い顔をすると仁王君はいとも簡単に了承の返事をする。


あたしは知ってる。仁王君の練習相手は仁王君の望む相手だったことを。
昨日偶然に会って話した時、珍しく嬉しそうに言ったんだ。



「明後日の練習で久々に柳生とシングルの試合練習するんじゃ」



柳生君とはダブルスのペアだから相手として闘うことはなかなかないんだとか。仁王君にとって柳生君は良い相棒であって好敵手なんだろう。
それなのに今は丸井君の要望で交換してしまっている。楽しみにしてた筈なのに。



「仁王君」

「?何じゃ名字」

「ちょっといい?」



考えてたらイライラして仁王君を教室から連れ出した。人がいない空き教室に入って扉を閉めた。



「どうしたんじゃ」

「…」

「言わんとわからんぜよ」



いくら聡い仁王君でもきっとわからないよ。だってこれはあたしが勝手に思ったことで、仁王君はちっとも気にとめてないんだから。



「…何でなの」

「何が?」

「あんなに楽しみにしてたのに」


それでわかったんだろう。仁王君はククッと笑った。



「お前さんが怒ることじゃなかろ?」



確かにそうなんだ。ただのクラスメートであるあたしは何かを言える立場にはない。

でもやっぱり少しムカつくんだ。
何も知らずに奪っていく丸井君にも、気にしないで手放してしまう仁王君にも。



「別にええんじゃ」

「…嫌だ」



嫌だって…。あたしの問題じゃないのにね。馬鹿みたいだ。何様だよって話だ。


「ええんじゃって。またそのうちチャンスはくる」

「仁王君は、いつもそうだ」



またチャンスがあるって思って簡単に渡しちゃうんだもん。



「簡単に譲っちゃっていいの?」

「しょうがないじゃろ」

「あたし、仁王君のそういうとこ…嫌い」



手をぎゅっと握り締めて彼を見上げる。


その考えは大人なのかもしれない。でもあたしたちはまだ中3だよ?そんな大人の考え持たなくていいし、我が儘だって言っていい年齢なのに。



「嫌い、ね」



ポケットに手を突っ込んでちょっと眉間に皺を作る。仁王君が今何考えてんのかわからない。



「何でも譲っちゃうんだもん。そんなの、何も大切に思ってないみたい」

「…言いたいことはそんだけじゃな?」



じわりじわりと近寄ってくる仁王君に後ずさる。背中が壁にぶつかってもう下がれないとこまできて、自分が踏み込んだことを言ったのを自覚した。

仁王君を怒らせてしまった。



「…ごめん。余計なお世話だったね」



俯いて謝る。仁王君をよく知ってる訳でもないのになんて失礼なことを言ったんだろう。


だんって大きな音がして顔を上に向けると至近距離に仁王君の綺麗な顔があった。

さっきの音は仁王君が出したらしい。肘から先をあたしの頭上について少し身をかがめている。


こんなに好きな人に近づかれたら否が応でもドキドキしてしまうし、顔も赤くなる。



「俺には大切なもんが無いって言いたいんか?」

「あ、いや、そんなつもりない、の」



仁王君の壁についてない方の手の細長い指があたしの顎を持ち上げる。
切れ長の鋭い瞳から逃げられなくなる。それに触れられた所から熱が広がっていく。



「柳生とはいつだって試合くらいできる。どんなことにもそれきりなんてことはないから俺は次でいいって思う。でも俺にだって譲れないもんはあるぜよ」



珍しく饒舌な仁王君はあたしを逃がしてはくれない。仁王君を見つめたままゴクリと唾を飲むと、顔が近づいてきた。


唇には温かくて柔らかい感触。
感じたことがないほど近い息づかい。


一瞬何が起きてるかわからなくて、キスをされたんだって気づいた時にはもう唇は離れていた。



「なんっ…んん!?」



もう一度仁王君の唇が降ってくる。腰を引き寄せ、後頭部を抑えて深いキスをされる。何度も何度も。



「ちょ、ちょっと、何で、」

「お前さんが好きじゃから」

「え…?」

「名字だけは誰にも譲れん」



ぎゅうっと抱きしめられて、額にキスが落とされる。

体中が熱を帯びてあたしは下を向く。こんな真っ赤な顔見られたら恥ずかしい。



「名字、こっち向きんしゃい」



黙って首を横に振ると仁王君があたしの頬に手を添えて上を向かせる。



「俺んこと嫌い?」

「…」



どう答えたらいいんだろう。さっきあたし嫌いって言っちゃった。本当は好きなのに。



「言って、名前」



いきなり名前で呼ばれて心臓が飛び跳ねる。



「……すき、です」

「ん」



仁王君は満足そうに笑ってあたしの頭を撫でてくれた。











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