「赤也ー!!」

「げっ…来た」



教室に怒声が響いたのは切原くんと二人で居残りのプリントをやっていた時。
びっくりして体が跳ねる。冗談抜きで、ほんまに。
声のしたドア付近には老けたおっさん。でもテニスウェアを着とるから、テニス部の監督さんかなんかやろう。
遠慮も何もなく、ずかずかと教室に入ってきて切原くんをすごい形相で見下ろす。



「遅いと思えば居残りではないか!!たるんどる!!」



ぶっ!!たるんどるっておっさんいつの時代やねん。ちゅうか声でかすぎやし。



「す、すんません。いろいろ事情があって…」

「明日、グラウンド30周だ」

「……うぃーっす」



切原くんに有無を言わさずおっさんは従わせる。どんだけの権力者なんや。
切原くんの返事を聞いて出て行く。おっさんが嵐のように去って行ったあと切原くんは肩を落とす。



「平気?」

「おぉ…」



口ではそう言うてるけど表情は暗い。
グラウンドって朝見たけど結構広い。それを30周やなんてどんな鬼畜やねん。



「めっちゃ恐いおっさんやな」



笑って場を和ませようとすると、切原くんに笑われた。何ややけにおかしそうに笑うからつられてうちも笑った。



「あれ、おっさんじゃなくて先輩だし」

「ほんま!?」



いやいやいや、あれはどう見ても高校生には見えへんよ。
貫禄ありすぎやろ。下手したらおっさんよりおっさんらしゅう見えるって。



「副部長の皇帝、真田弦一郎。」

「皇帝!?」



切原くんによればレギュラーにはそれぞれに異名があるらしい。
聖書やらスピードスターみたいなもんか。どこにでもあるんやな。
それより柳生先輩が紳士って、そのまんまや。



「切原くんは?」

「俺?悪魔…?いや、えーと…」



ワカメやないんや。悪魔ってどないテニスするんやろう。
だいたい皇帝なのに副部長って、部長は何なんや。それより偉い地位なんてないやろ。



「30周って大変やんな」

「まぁな。慣れてっけど」

「慣れとるって、それはあんまええこととちゃうよね」

「ほっとけよ」



切原くんはプリントに向き合い直す。
かれこれ1時間はやっとるのにうちのプリントは白紙に近い。隣のプリントを気づかれないように見ると、五十歩百歩。
下校時間までに終わるんか、これ。


それから2時間。もう外は真っ暗で最終下校時間やった。



「終わらへん…」



少なくともあと半分は残っとるプリントを見て突っ伏す。



「俺は終わったぜ!!」

「え!?」



切原くんは立ち上がってうちにプリントを自慢げに見せる。その顔は勝ち誇ったようで若干ムカついた。
プリントを切原くんの手から奪い取って最初の問題から見ていく。



「うちが見てもわかる。めっちゃ間違えてんで」



うちが終わっとるところだけでもほとんどあってない。もしかしてうちより英語できへんのかも。



「っは!!終わってりゃいいんだよ」



うちから自分のプリントを手荒に取り返して、帰り支度をし始める。
ラケットバックに物を放り込んでるだけやけど。


確かに終わってればええんやろうけど、いくらなんでもあれは酷すぎるやろ。



「じゃーな。俺、部室寄って帰っから」



ラケットバックを持ってさっさと教室を出て行く。
うちを置いてくなんて薄情や。居残り仲間なんに。


仕方なくうちもシャーペンやら消しゴムやらをなおして鞄を持つ。
終わらない課題は家で続きをやることにした。


一人で下校なんていつ以来やろ。大阪ではいつもテニス部が絡んできてくれてたから、大概がテニス部連中と帰ってた。


静かな廊下を一人で下駄箱に向かう。
新しい校舎は前の学校より全然きれいで、思わずキョロキョロと見てしまう。
転校生やから端っこの下駄箱を使ううちは上履きを脱いでそこに入れた。
買ったばかりの真っ白な新しい上履きが古ぼけた下駄箱から浮いて見える。
それはまるでうちみたい。
関東にやってきた関西人。まだまだ多分うちは浮いた存在や。