「あ、柳生先輩」



目の前を通った人に声をかけた。眼鏡をかけとるいかにも真面目そうな人。
この人もテニス部なんやろうか。運動部って言うよりインテリ系に見えるけど。



「切原君ではありませんか。何をしているのです?」

「あー…、ちょっと道案内を」



うちをちらっと見る。それを見て真面目先輩がうちを見る。



「そちらは?」

「うち、名字名前って言います。大阪から転校してきたんです」

「そうですか。私は柳生比呂士と言います」



柳生先輩っちゅうのか。なんやめっちゃ良い人そうや。
切原くんとは大違いやな。



「柳生先輩、俺、こいつを学校中案内しなきゃならねぇんで、部活遅れるよう伝えてもらってもいいッスか?」

「わかりました。伝えておきましょう」



柳生先輩は眼鏡を上げて、腕時計を見た。もう授業の時間やった。
チャイムまであと数分や。



「切原君、早くしないと授業に遅れますよ」



切原くんも時計を確認する。瞬間、顔が青くなって慌てだした。



「やっべぇ。次英語じゃねぇか!!柳生先輩、それじゃッス」



教室へ向かって走り出してしまった。
ちょっと、うち置いてきぼりかい。勝手に連れてきといて最後まで面倒見いや。



「名字さん、何かありましたら遠慮なく聞いてくださいね。それでは」



柳生先輩は優しく微笑んで階段を上がっていった。切原くんと違てめっちゃ紳士的でええ人やな。
ってぽーっとしとる場合とちゃう。早よせんと転校初授業をサボることになってまうわ。


うちも急いで自分の教室に走った。足にはちょっと自信あんねん。
これでも中学ではバスケ部でエースやったし、スタミナも人よりはあると思う。
こっから教室なんてあっという間や。確かこの階段を下りて左の奥から二つ目の教室やったな。


階段を一段飛ばしで下りていた時、急に目の前に人が現れた。
ちょっ!!急には止まれへんで!!
現れた人に突っ込んでしまい、階段の踊場で倒れ込んだ。相手もうちに押されて尻餅をつく。



「す、すんません!!大丈夫ですか?」



すぐに起き上がって、ぶつかった相手の顔を見たら信じられん人やった。
ついさっき階段を上がっていった人が何でここにおるんや!?



「や柳生先輩!?何で?さっき上に行かはったやないですか」



柳生先輩はうちの質問には答えずに、眼鏡の位置を直して立ち上がった。
不思議そうな顔をしている。



「貴女は?」

「はい!?」



さっき会うたばっかりやのにもう忘れてしもたんか。流石にそんなんあり得へんやろ。
せやけどこんな真面目そうな人が冗談なんか言うとは思われへんし。まさか双子とか!!
いやいや、それもちゃうやろ。例え双子だったとしてこんなに見分けがつかへんはずあらへんし。
思考を巡らしていたらチャイムが鳴った。



「あぁ!!チャイム!!柳生先輩、また」



頭を下げて振り替えらずに教室に向かって走り出す。柳生先輩であってたんかな。
なんや雰囲気違うような気もしたけど。


チャイムが鳴り終わる前にギリギリ教室に入れた。
セーフ…隣では切原くんが涼しい顔で座ってる。対してうちは走ったせいで汗だく。



「切原くん、おいてかんといてよ」



黒板に向いて文字を書く教師に聞こえないように小声で言う。



「悪ぃ。アンタがいるの忘れてた」


何でやねん!!自分で連れていっといて忘れるかい。



「それより、さっき柳生先輩らしき人に会うたんやけど」

「はぁ?そん時はまだ一緒にいたじゃねえか」

「ちゃうの。あの後もう一度あったんや」

「何言ってんだ、アンタ。柳生先輩が授業に遅れるわけねぇだろ」



切原くんが言うには柳生先輩がチャイムギリギリにそんなとこ歩いてるはずがないと言う。
確かに、誰?って言われたんやから知らん人なんやろうか。
でも顔は絶対柳生先輩だったよな。



「でもやっぱり柳生先輩やった」

「そんなわけねぇって」

「切原!!」



教師に気づかれて切原くんが注意された。
切原くんはやばって顔をして黒板を見る。そこには英語という名の呪文が書き連ねられとる。



「隣の可愛い転校生と話してる程俺の授業は暇なんだな?」

「いやー…ははは…」



笑って誤魔化そうと必死。
可愛いってそんなん言われたらいくら先生にでも照れるやん。やっぱり切原くん、うちのこと気になっとったんか。
なんて、そんなはずはないか。



「っち」

「何か言ったか?」

「いや何でも」



笑顔の先生に笑顔で切原くんも返す。
いやいや、今、自分舌打ちしたやないか。先生も絶対聞こえとるやろ。



「じゃあ、これ訳してみろ」



黒板の呪文を示す。
切原くんは顔をしかめて教科書を見る。ページをめくりながら頭をかく。



「何語だよ…」



ぼそっと呟いた。
いやいやいや、英語やって。自分でさっき言うてたやん。



「俺の教える英語がわからない切原は今日は居残りな」



さっきの舌打ちは聞こえないふりなのに、今の呟きは逃さへんねんな。
楽しそうに笑う先生の目はうちに向けられる。嫌な予感…



「名字はどうだ?」



ほらやっぱり。一応教科書を見るけどうちにわかるはずがなくて。
何を隠そううちは英語と数学が大の苦手。
他も別段できるわけと違うけどこの二つだけは比類ないできなさ。自慢にもならないけど。



「多分、英語やない…」



小さい声でさっきの切原くんの呟きに答える。
実際そんなはずはなくて、勿論ちゃんとした英語。ただうちがわからへんだけ。


一瞬間の沈黙の後、教室にどっと笑いが起きる。
男子も女子も大笑いだ。
笑われることなんてうちにとっては当たり前やから、何とも思わない。むしろ笑いをとれたことを得意に思った。
でも先生だけは呆れ顔。



「そーだな。お前らのレベルだったらな」

「先生、それどーゆー意味ですか!?」

「ん?お前も今日は切原と居残りってことだぞー」



不敵な笑みを浮かべて言われ、別の人に同じ質問をする。
やってしもた。転校初日にして初居残り。しかも切原くんと。
隣をさりげなく見るとかなり落ち込んでいた。ただ単純に居残りが嫌なんだと思った。


でもその本当の意味がわかったのは放課後になってからだった。