言葉のちから

23


まえもくじつづき




大広間の外につながる扉が開き、ロビーに集まっている人々に緊張が走った。
ぼくも顔を上げて、逆光の中の人物を見据えた。シュウ軍師だ。彼はまっすぐに僕に向かって歩いてくる。
そして腕をとり、立ち上がらせる。
 
「リオウ殿、ご同行願います」
「いったい、何があったんですか」
「我が軍は、ルカ・ブライトたった一人に苦戦を強いられています。その男が、あなたを呼びつづけているのです。あなたを呼んで、あなたに見立てた兵を次々に斬り殺しています。あれはもはや狂気の沙汰です」
「ぼくを連れて行って、それを餌に交渉するんですね」
「そう、それがあなたの価値だ。大丈夫、あなたを殺させはしない。ルカがあなたに気をとられているうちに、それを好機と全力で仕留めますので」
「ルカ・ブライトは止まることなく、ぼくを殺しに来るんじゃないかな」
「その可能性もありますが、どちらにしろ隙は出来ます」
「ぼくがそこで命を落とせば、軍師にとって気苦労も減る、ということですね」
 
シュウ軍師はそれには答えず、ぼくの腕を引いて城を後にする。
ぼくが逃げないように、一頭の馬でシュウ軍師が手綱を操る。両脇にある軍師の腕を眺めて、そうっと腹の紋章を撫でた。変わらずにそこにある球体に、ぼくは落ち着きを取り戻そうとしていた。
 
ルカが、ぼくを殺しにやってくる。
それも良い、と思っているはずなのに、身体は恐怖に震えた。使い物にならないこの身体も、死にたくないと拒否するのか。
 
前方から、伝令兵が走り抜けていく。お互いに交差したところで、伝令兵が声を上げてこちらの馬を止めてくる。シュウ軍師は眉を寄せ、急いでいるから早くしろ、と兵に口を出す。
 
「はっ! 先ほど状況が一変、ジョウイ様が持つ黒き刃の紋章でルカ・ブライトが膝を折りました。ただいま双方にらみ合い、ですがジョウイ様の体力は十分、勝機が見え始めました!」
「そうか! ご苦労、早く城にも伝えてやってくれ」
「了解いたしました!」
 
ルカが膝を折った。その言葉に身体の震えは増す。
死ぬ。あの恐ろしいほどの力を持った強い男が。
 
「リオウ殿。もう震えることをせずとも大丈夫です。我々が到着する頃には、ルカブライトは全ての力を無くしているでしょう」
「それは死ぬ、ということですか」
「そうです」
 
ぼくはいてもたってもいられなくなり、馬から転げ落ちた。真っ白だった服が土に茶色に変わっていく。
急がなければ、ルカは悲しいまま死んでしまう。
なのに身体はうまく動いてくれない。走り出したいのに、片方の足が鉛のように重いから、引きずり歩くことしかできない。
シュウ軍師は馬から下りると、歩いてぼくの腕をとった。
 
「放してください!」
「それは聞けません。ジョウイ殿にはあなたを死なせるなと命令されていますので」
「いやだ、ぼくは、ルカ・ブライトのところへ行く!」
 
ぼくの言葉に、軍師は不可解な表情を浮かべた。
 
「ぞんざいな扱いをされたあなたが、どうしてそのようなことを? まさかご自分でとどめを刺したいとでも言うつもりですか」
 
ぼくは答えない。もしかしたら、そうなのかもしれない。だけどやっぱりわからなかった。
無意識に紋章に触れる。そのときだった。
腹から光があふれ出し、それは目の前で立派な狼の姿をとる。
シロよりも数倍大きな白い獣は、うなり声を上げ、こちらを威嚇し始める。
シュウ軍師が身体を緊張させ、掴んだ腕を引っ張ろうとしたときだった。
ぼくの腕を狼が咥え、シュウ軍師から引き離したのだ。痛みに視界が一瞬真っ白になる。
 
「獣の紋章……リオウ殿を放せ!」
 
軍師の緊張した声にもお構いなしに、狼はぼくの腕を咥えたまま森の中を走り出す。
紋章がルカに反応して、自らが行動し主の元に戻ろうというのだろうか。
ぼくは腕の痛みに意識を失いそうになるのをこらえながら、狼の行うがままに身をゆだねた。
 
大きな木が一本、ルカの背に立っていた。周りは見晴らしが良く、遠くの山も見渡せる。
ルカとにらみ合っているのは、ジョウイ。お互いに身体を血まみれにして、肩で大きく息をしている。
 
「貴様は、リオウではない! リオウを出せ!」
「ルカ・ブライト。お前はリオウを憎んでいる。危害を与えるとわかっている者に、そう易々と連れてくる人間は居ない」
「そうだ、俺はリオウを憎んでいる! 貴様らブタども以上に! 全てよりも深く! 早くリオウを出せ!」
 
リオウ、とぼくの名を叫ぶルカを崖の上から見ていた。
やっぱりぼくの名前を知っていたんじゃないか、と悠長に考えられるのは、未だ咥えられている腕の痛みで麻痺しているからだろうか。狼は未だぼくの腕を放してはくれず、うろうろと、崖の先端を歩き回っている。
放してほしい。放して、そうしたらこの崖を転げ落ちてでも、ルカの元にいける。走るより、歩くよりも速く。
 
ぼくの願いが通じたのか、狼が不意にあごの力を抜いた。身体が自由になる反動で、ぼくは崖から投げ出される。崖の斜面を跳ねるように転げ落ちていく。服が破れる音と、腕へ、皮膚へ加わる熱。回転して一方方向へぶれる視界で、ルカとジョウイ、二人がこちらに気付いたのを理解した。
 
「リオウ!」
 
ルカが叫んだ。ジョウイはその声で我に返ったのか、持っている武器を掲げる。
だめだ、ルカ。こっちに気をとられちゃいけない。ジョウイ、やめるんだ、ルカが死んで、悲しむ人も、やっぱりいるんだよ。
 
体中に響く土砂の音に衝撃音が混じる。地面に到着した弾みで上下に揺れる視界に、ルカがジョウイによって倒される瞬間が映った。
ぼくは戸惑うことなく右手を広げた。
 
「ぼくの、紋章、全部使ってもいい、許しを」
 
光が広がる。薄い緑の光はすぐに溶けることなく、ぼくはその輝きの中、身体を引きずりながら腕の力だけで進んでいく。
薄緑の世界に、ルカがうつぶせに倒れている。ぼくはすぐ側まで寄り力を抜いた。精一杯腕を伸ばし、血にまみれ、固まった髪の毛を優しく撫でてやる。
ぼく達ふたり、満身創痍だね。笑ってみせると、ルカのまぶたが震えた。
 
「貴様……やっと戻ってきたか……」
「うん、ごめんね、ルカ。いっぱい怪我してる」
「ふん……こんなもの、傷のうちにも入らんわ……」
 
手のひらで頬を流れる血を拭ってやると、ルカは口の端をゆがめて笑う。
 
「俺を憎んでいるのなら、……そんなことをするな……放っておけ、いずれ死ぬ……」
「ぼく、ルカを憎んでないよ、たぶん」
「なん、だと……憎め、俺を。ずっと、いつでも俺を殺せるような場所に、居ろ……」
「ルカこそ、ぼくが憎いんでしょう、聞こえてたよ。ぼくを殺さなくて良いの」
 
ぼくの言葉に、ルカは目を見開いた。その目には、感情に対する疑問が含まれている、そんな気がした。
 
「そうだ、俺は、お前が憎い。俺に声を聞かせず、人にばかり情けを掛けて、お前に情けを掛けられる人間は……どれだけ気持ちがよいのだろう」
「ルカ、今、気持ちが良い?」
「……わからん。お前は情けを掛けて、それで終わりだろう……だから俺を憎め」
「もう、憎めないよ。ルカ、おかしいから」
「おかしいだと、この俺が! 笑わせるな!」
 
光の中で傷が癒えたのだろう、ルカは身体を起こした。ぼくもそれに合わせて上体を持ち上げた。
ぼく達は向かい合わせになる。そうっと腕を伸ばして、ルカの頭を胸に抱きしめた。
そう、ぼくは同盟軍で目を覚ましてから、ずっとルカにこうしたかったんだ。
子供にするように、優しくあやすように。優しい気持ちを、少しでも信じられるようになりますように。
 
「ルカ、ぼくが憎い?」
「ああ、憎い。憎くてたまらない。だから、いつでも殺せるような場所に居ろ」
「うん、いるよ、側にいる」
「そうか、なら、いい」
 
ルカの腕がぼくの背にまわる。すがりつくように、指先が背中の布を掴む感触に、ぼくは優しく頭を撫でた。
薄緑の光はゆっくりと薄れ、周りの兵士も、木々も、本来の形を取り戻していく。
滑稽なぼく達の姿に、同盟軍も王国軍も、争いのことを忘れそうなほど、驚くんじゃないかな。
笑いながら、身体が妙な浮遊感にとらわれているのに気がついた。
ふわふわと、ああ、気を失うのか。なんだろう、妙に気持ちが良い。
ルカの髪の毛の感触が指を滑っていくのを感じながら、ぼくは身体の力を抜いた。


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