言葉のちから

21


まえもくじつづき




遠くから、闇に包まれた瞳と思考の向こうでざわめきがさざ波にように流れてゆく。
絶叫の中、ぼくを呼ぶ声が響く。ぼくはそれに向かって力の限り手を伸ばした。
その手を取るものはなく、声もまた、騒がしい音の中に遠くなっていく。
ぼくの名前を呼ぶのは誰? 急いで起きなくちゃ、遠くに行ってしまう。
 
「リオウ!」
 
ぼくをのぞき込む人物は、天井からの明かりで暗い影のようにしか見えない。
覚醒のピントはずれて、天井の石を敷き詰められた模様がしっかりと目に入る。
天使降臨の刺繍でもない、素朴な幾何学模様を描く石の並び。
 
「リオウ、良かった、本当に、良かった……!」
 
懐かしい、肩の力の抜けるその顔。ボブカットの、表情のくるくる変わるぼくの姉。
どうしてナナミがハイランドにいるのだろう。
 
「ナ、ナミ、どうして、ここにいるの……」
「どうして、って、リオウが大けがで帰ってきたから、私驚いて、眠ってないんだからね? 起きて一番の言葉がどうして、なんてひどいよ」
「ごめん、ナナミ、会えて嬉しいよ。嬉しいから、驚いたんだ。ナナミはルカ・ブライトに掴まっちゃったの?」
 
ぼくの言葉に、ナナミはこらえきれず泣き出して、ぼくの首にすがりついてくる。
ナナミの背中を優しく叩いてやると、泣き声はさらに大きくなる。ぼくはどうすればよいのだろう、ナナミを解放するように、陳情を出そうか、でもルカにお願いしても聞き入れてもらえるだろうか。
 
「つらかったんだね、大変だったんだね、ごめんね、ごめんねリオウ、お姉ちゃんが守ってあげなくちゃいけなかったのに、でもね、もう大丈夫だよ、これからはお姉ちゃんがずっと守ってあげるから。ジョウイと一緒に、リオウを守るからね……!」
「ジョウイと一緒って……そんな、同盟軍はハイランドに……」
「ちがうよ、ここは同盟軍。ハイランドでもない、ルカ・ブライトもいない」
 
どういうことだろう。今までのことは全て夢? 腕を持ち上げる。傷跡が残る、弱々しい腕がある。
足を動かそうとして、激痛が走る。こらえて片目を瞑る。夢な訳がない。
ぼくはルカに掴まったはずだ。ぼくはそこで力が抜けて。
 
「リオウ、目が覚めたんだね……」
 
懐かしい声が扉を開けてまたやってくる。
ジョウイの顔つきが、以前よりもしっかりと頼りがいのあるかたちに変化していた。
声もまた、凜と、力のある全てを率いることのできる声になっている。
 
「ロックアックスに用事があって出かけていた先で、ミューズから人々が逃げ出しているって連絡があってね、同盟軍も兵を出したんだ」
 
あの場所に、いた? ぼくは記憶の中、ルカの後ろにあった黒い剣を思い出し、ジョウイの顔を食い入るように見つめた。
 
「そこにルカが現れて、逃げている君に非道の限りを尽くし始めた。マチルダ騎士団は動き出さない。僕は君が痛めつけられているのを、見て見ぬふりは出来なくて、単身飛び出した」
 
やはりそうだ、あの黒い剣は装飾品でも武器でもなく、ジョウイの紋章の力。見れば彼の右腕がすす焦げている。ルカはあれをまともに食らったのか? 喉がしまり、息が止まる。
 
「ルカ・ブライトは恐ろしい男だ。紋章の攻撃を、ぎりぎり剣で防いだんだ。致死には至らなかった。でも相応のダメージは与えられたみたいだ。君は衝撃でルカの手元から落ち、同盟軍一の俊足、スタリオンが君の身体を保護した。あの男は執念深いんだね、部下に撤退を促されて、大けがをして、その身を引きずられても、君の名を呼び、あがき続けていたよ」
 
生きている。ぼくは開かれた気管に思い切り空気を吸い込み、吐き出した。
よかった、死んでいない。安心すると同時に、深く心配してしまう。
そんなときのためにぼくが居るのに、肝心なときに側にいることが出来ないなんて。
ぼくは両手で顔を覆った。ああ、どうしてこんなに、あんな基地外じみた男が気になるんだ!
 
「君が、どれだけハイランドで苦労してきたのか、ホウアン先生に看てもらって思い知らされたよ……本来ならば、きっと僕がリオウのようになっていたに違いないのに。謝っても、謝りきれない……」
「それは、ちがうよ、ジョウイ。ぼくは馬鹿だから、仕方がないんだ。君ならきっとうまく立ち回れていたと思う」
「リオウ……ホウアン先生が君の足を一生懸命に治してくれたよ。何とか形は戻しているけれど、それでも走ることは出来なくなるって……」
「そう、いいんだ、歩けるだけ、良かったよ」
「リオウ、君はそんなになってまで、ミューズの人々を助けてくれたんだね、ありがとう……!」
「助けた? ぼくが?」
 
ぼくは慌てて腹に縛り付けた紋章を探したけれど、手のひらはただ服の感触を伝えるだけだ。
獣の紋章がここにないのなら、ミューズの人々は犠牲になっているはず。
 
「君の探しているのは、これかい?」
 
ジョウイがぼくの探していた紋章を手渡してくれる。ぼくは躊躇せずそれを抱きしめて息をついた。
 
「君がそれを持ち出してくれたこと、そしてそれと君がここにいること。天はどうやら同盟軍に味方してくれているらしい」
 
腕の中の紋章が、ぐるうりと獣毛を一回りさせた。ジョウイはぼくの姿に、眉を寄せて顔を歪ませる。
 
「僕は誓うよ、リオウ。君をそんな風に痛々しい姿にしたルカ・ブライトを、ハイランドを、僕は許せない。絶対に、倒してみせる」
 
ジョウイの言葉には力があった。ぼくの恐れていた力だ。世界を動かしてしまいそうなその意志の魔力。
そして、ぼくの言葉にも同じような力があるはずだ。それが何かの意志でもかまわない。
今使わなくちゃ、ぼくの言葉を。
 
「だめだ、ジョウイ。憎しみで戦っちゃだめだ。何か他に、方法があるはずだよ!」
「リオウ、君は優しいね。でも、僕のために、いや、苦しみ続ける人々のためにも、僕はそれを聞き入れることが出来ない。どうしてだろうね、昔は君の言うことが全て正しいような気がしていたのに、今、僕は自分の意志を貫くことが出来る。これって、我が強くなったのかな、困ることだけれど……」
 
ちがう、そうじゃない。我が強くなったわけじゃない。何らかの意志が、ぼくではなくジョウイに移ったということ。ジョウイを中心に、全てがまとまっていく。ぼくではなく、ジョウイに全てが集まっていく。
こんな時こそぼくに力がいるのに。必要ないと思っていた恐ろしい力を、失ってから必要とするなんて。
 
「いやだ、だめだ、ジョウイ! お願い、ルカ・ブライトを殺さないで! 殺しちゃだめなんだ!」
 
ジョウイが退室しようと向けた背中にぼくは訴えた。彼は、理解できないといった面持ちで振り返る。
 
「君は、ルカ・ブライトが恐くないのか? 憎くないのかい?」
「恐いし、憎いよ、でも、なんだかその感情も通り過ぎちゃったみたいだ。殺しても、何も始まらない、そう思うから……」
「……リオウ、本当に君は優しいね。だから僕もこうして生きているんだろう。出来ることなら、君の思うようにしてあげたい。でも、僕はたくさんの人の気持ちを背負っているし、何よりも優しいが故に傷つく君を、僕も、ナナミも、もう見たくないんだ。わかってくれ、リオウ……」
 
ジョウイの言葉は、ぼくでさえ、そうかもしれないと流されてしまいそうになる。それをこらえる。
わからないよ。どうしてぼくはルカをかばっているんだろう。
あの男は、一人寂しく死んでいく運命なのか?
 
身体も不自由、言葉にも力はない。何も出来ることがない。
ぼくは完全な非力という可能性を選んでしまったというだろうか。
 
ぼくの言葉はもう誰一人動かすことが出来ない。


×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -