この霧が晴れたら

20


まえもくじつづき




抜け穴を通り、ぼくはかぶっていたローブを脱いだ。それに紋章をくるむと腹に固定する。
留めておいた馬に乗り、草原を駆け出した。
馬の身体は未だ汗がにじんでおり、長く走らせることは出来ないだろう。
ゆっくりと走っていくか、つぶれるまで全力か。
考える間もなく、何頭もの馬の駆ける音が聞こえてくる。
いくら何でも早すぎる。ぼくは焦って、手綱を強く馬に当てた。
 
ミューズの人々が逃げる間を、よけるようにぼくは走る。
川のように伸びる人々の列はマチルダへと向かっており、このままではぼく自身もマチルダ領に入っていくことになるかも知れない。
遠回りは避けたい。なのにうまく頭が回らない。
 
「貴様! 戻ってこい!」
 
ルカが惑うことなくぼくを目指して走ってくる。
馬に強く鞭を当てても、馬の速度は上がらない。萎縮しているのだ、後ろからやってくる狂気に。
 
関所が見えてきた。もしかしたら、あそこを抜ければうまくルカを足止めしハイランドへ帰れるかも知れない。
希望を見いだしたときだった。視点がいきなり落ちる。
馬の足がもつれたのだ。ぼくは馬上から放り出され、地面に横倒しになった。
久々の土と草の感触に楽しむ暇はない。ぼくは馬への同情心も押さえ、起き上がり走り出す。
 
「お前は俺が憎いのだろう! 逃げれば俺の首は取れなくなるぞ!」
 
ルカの声が響く。恐怖に足がもつれそうになる。
どれだけ走っただろうか、時間がどれだけ経ったのかもわからない感覚の先、
とうとう足に石をぶつけられ、ぼくはなけなしのバランス感覚を失い、倒れ込んだ。
 
「紋章を返せ」
 
ぼくは何も応えず、うつぶせのままローブにくるんだそれを抱きしめた。
ルカは馬から下りて、ぼくを見下ろしている。動ける隙を与えてはくれない。
 
「おまえは、次は敵国に情けを掛けるのか?」
 
ぼくは目を瞑って、蠢く紋章を抱きしめ続ける。
 
「それもまあいいだろう。だが!」
 
次の瞬間、ぼくの目の前は真っ赤になった。
音が体中を貫く。足が、ぎりぎりと、熱さに広がっていく。
 
「お前が憎むのは俺だけだ!」
 
片方の足が感覚を失い、身体の線とはあり得ない方向へ傾いている。
あまりの痛みに声も出ないというのは、本当らしい。呼吸もままならず、ぼくは口を開いては閉じる、それだけを繰り返す。
 
「どうあってもお前は声を出さないのか!」
 
折れて分離した足を再び踏みつけられる。呼吸が、ますます困難になっていく。悲しくもないのに涙が出る。
唾液は出るのに口の中は乾いている。
 
「憎め! 憎め! 憎め! 憎め!」
 
言葉に合わせてルカは踏み続ける。腕の中の紋章が、それに呼応するかのようにじりじりと熱を放ち出す。
ちがう、ぼくはお前のための血を流しているんじゃない!
 
ぼくはもう、どうあっても動けないだろう。たぶん片側の足が粉々に砕かれただろうから。
身体に力も入らない。紋章をかばう腕の拘束が解かれていく。
ルカがぼくの頭を掴んで持ち上げる。
涙と唾液まみれの力ない顔を見て、お前はなんて思うんだろう。
 
「ずっと側にいろ、そして俺を憎み続けろ」
 
獣めいた瞳で奇妙なことをいうルカ。
憎め? ぼくはもう憎みすぎてなんだかおかしくなってしまったみたいだ。
まるでお前が子供みたいに見える。頭を撫でてほしがっている、飢えている子供だ。
歪んでいる。ぼくの身体も、ルカの心も。
 
目を閉じるさなかに輝いた、ルカの背中にある黒い剣。
そんな武器も持っていたんだ。
ぼくは重力に従ってまぶたを落とす。
 
鳩が飛んでいる、それはそれは高く、高く。
霧の中を戸惑うことなく。
 
次に目覚めたら、ぼくはルカを憎んでいるのだろうか?


×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -