この霧が晴れたら

18


まえもくじつづき




「貴様はどうして他人に情けを掛けられる? 自分の身体に負担がかかることを知りながら」
 
しらないよ、そんなこと。頼まれたら、見てしまえば、自分に出来ることがあるってわかっているのなら、そうするのが普通じゃないか。
 
「お前はおかしい。俺を憎んでいるだろう、なのになぜ助ける」
 
従いたくなかったからだ、それだけだ。他に何もないよ。
 
「お前に情けを掛けられる程度ではないわ」
 
それはこっちの台詞だよ。
 
「あの酒は、酷く甘い。だが、悪くはなかった」
 
そう、それはよかった。あれはおじいちゃん直伝なんだ。熱が出たとき、あの卵酒を飲んでぐっすりと眠りについて、それで元気になれるんだ。
 
「お前はこれからもたくさんの人間に情けを掛けるのか」
 
人が困っていて、自分が役に立てるなら、普通に声を掛けるだろう? それが情けだというのなら、ぼくはそれを続けていくかも知れない。
 
「憎むのは、俺だけか」
 
……そうかもしれない。
 
「ならば、良い」
 
……何が……?
 
城内の慌ただしさにぼくは瞬きを繰り返した。
目の前にはぼやけた刺繍。身体を起こそうとして胃のあたりがきりきりと収斂する。
そうだ、ぼくは病気のルカに紋章を使って……
そこから先を覚えていない。内臓が爆発するような感覚で意識が途切れている。
今こうして起きて考えられると言うことで、本当に爆発していないことがわかってほっとする。
 
変な夢を見たものだ。ルカがずっとぼくに問いかけてくる。
夢の中でもぼくは答えなかった。なのに会話がつながってるみたいだった。
相変わらず変な男だった。憎まれるのが良い、なんて。
……ぼくをこの部屋に運んだのはルカだろうか。いや、考えるのはよそう。
 
起き上がってローブに袖を通す。内臓も、痛みは寝起きの一瞬だけだったようだ。
やはりただの風邪を治療する負担は軽いらしい。
 
未だ城内は騒がしく、ぼくは扉を開いた。
廊下をばたばたと走り回る近衛兵達は、ぼくの姿に気がつき、声を掛けてくる。
 
「ルカ様はそちらにいらっしゃいませんか?」
 
開口一番におかしな男の所在を訊ねられて面食らってしまう。
 
「知りません。何かあったんですか?」
「いえ、その、部隊を一つ率いて、ミューズへ出て行かれてしまったらしく、でも見間違いかも知れませんから」
 
それだけでこの騒ぎはおかしいのではないだろうか。
近衛兵は、何か言葉を濁しているようだし。
いぶかしむぼくのところに、皇女様が駆け寄ってくる。
 
「リオウ! お体はもう平気なのですか?」
 
ぼくよりも皇女様の顔色の方が悪い。青ざめて、身体を細かく震わせている。
 
「ぼくは大丈夫です。皇女様のほうこそ調子悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です、それよりも、兄が、兄が出て行ってしまったんです!」
「……遠征ではないんですか?」
 
ぼくの言葉に皇女様は今にも泣き出しそうになり、慌てて部屋に彼女を招き入れた。
いつもお茶に使うテーブルに、今は華々しいティーセットやお菓子は並ばない。
そこに落ち着いた皇女様はうつむいて、ゆっくりと話し始める。
 
「ハルモニアより賜った、王家の紋章を兄が無断で持ち出したのです。早く戦いを終わらせるためだと……」
 
早く戦争が終わるのなら、良いことではないのだろうか、皇女様にハンカチを差し出しながら、ぼくは続きを待つ。動揺を涙で表しながら、声は気丈に続いていった。
 
「王家の紋章、それは獣の紋章というのですが、覚醒には犠牲を必要とするのです」
「犠牲……?」
 
大丈夫なはずの内臓が熱く、不安定な感覚をぼくに伝えた。犠牲とは、あまり聞きたくない響きだ。
 
「兄は、ミューズの人々の命、血を使って紋章を覚醒させるつもりなのでしょう、人の味を知った獣は、人々を食らうのでしょう」
「ど、どうして! どうしてそんな!」
「ブライト王家の絶大な力を近隣諸国に見せつけ、無条件降伏を促す、そうであろうと父は申していました」
「おかしいよ、そんなことをしたら、ルカ・ブライトは完全な絶対悪になってしまう!」
「そうです、そしてそのことでさらに戦争が起こる、その事を父も、私も予見しています」
「どうして、ならすぐに、止めに行かなきゃ!」
「あの兄に、誰が刃向かえるでしょう! 兵はまだ王宮にいるのではと探すフリ、軍将はもとより自分の首を恐れ動くことをしないのです!」
 
僕たちは互いに立ち上がり、お互いを怒るように言葉を投げ合う。皇女様の瞳には涙がたまり、ぼくの瞳もまた、熱い。
 
「兄を止められるものなど……いないのです」
 
力が抜けたように皇女様は椅子に座り、机に重心を傾けてうなだれる。
ぼくの心臓は冷えたような冷たい感覚を体中に巡らせていく。
 
「皇女様。ぼくがいきます」
「リオウ……でも、あなた、兄が、お嫌いなのに……」
「そうです、憎んでいます。だから、ルカ・ブライトがすることは何でも気にくわないんです。勝手に行動して、皇女様やみんなを悲しませて。だから、獣の紋章を盗んでこようと思うんです」
 
皇女様の瞳にゆっくりと力が戻っていく。
ぼくは笑って頷いて、彼女の手を取った。
 
「ぼくはあなたのオリーブの枝になれたでしょうか」
「ええ、ええ、ありがとう、ありがとう、リオウ。立派な枝を、ありがとう……!」


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