鎧戸を閉めて外は見えるか

17


まえもくじつづき




ソロン・ジーと会ってから幾度か日の出と日の入りを繰り返した後、
謹慎処分が明けたらしく朝食後、しばらく経ってから侍女が呼びに来た。
ぼくはそれに従って、ルカの執務室の扉をノックする。
入れ、の声を聞いてゆっくりと扉を開けた。
 
ルカはぼくに視線を合わせることもなく、数枚の書類に目を通している。
いつもの光景だ。真新しい部分は見あたらなかった。
ぼくの気持ちだけ、空虚だった。
今までは、どうやってルカを倒すか、それをずっと考えて過ごしていたのに、それが出来ない。
その感覚に戸惑って、ぼくは焦る。みんなのことを、ぼくは忘れているわけではないのに。
 
椅子のきしむ音が響いて、ルカがまたいつものようにソファに横になる。
後頭部がぼくの目の前にある。遠くから固そうなその髪の毛を見つめた。
 
「机の上の書類をクラウスのところへ持って行け」
 
ぼくは初めての命令に驚いて、全くまじめにそれを行ってしまった。
今まで、見張れ、部屋から出るな、そばから離れるな、それぐらいだったのに。
仕事を終えて戻ってきた執務室の前で、ぼくは再び驚いた。
この扉を開けたとき、ルカはどうしているのだろうか。それを確かめる日がやってきたのだ。
眠っているのならば、確実に今まで考えてきた行動を実行に移すことが出来るだろう。
そう考えることのできたぼくは自分の考えに安心し、努めて音を立てず、そうっと扉を開いた。
中央のソファに、寝転がっている後頭部が見える。よかった、眠っている。
 
ぼくはそれでもゆっくりと、ルカの呼吸に耳をそばだてる。
起きているときと眠っているとき、タイミングが少しずれるのだ。
それを聞き定めてからでないと、この男はあなどれないのだから。
 
この部屋で聞く呼吸とは、全く違ったものが空気を振動させる。
ぼくはそれが気になって、ゆっくりと近寄った。
真横に立っても、ルカは目を覚まそうとはしなかった。
眉を寄せ、うっすらと汗をにじませて、呼吸が荒い。思わず手を伸ばして額から熱を測る。
かなり熱いんじゃないだろうか。子供の体温が一瞬にして負けてしまった。
ぼくは右手に意識を集中させる。
 
「やめろ」
 
かすれた声がぼくの行為を止めさせる。
ルカは起きていたのか。そして、立ち上がれないほどの疲れが身体を支配しているのか。
ぼくは右手を左手で包みながら、ルカの続く言葉を待った。
 
「貴様の力を借りるほどでもないわ。眠っていれば治る」
 
眠って治る程度とは思えなかった。防具を脱いで、お医者さんに看てもらって、ゆっくりと休まないと治るものも治らないはずだ。
 
「俺を憎んでいるなら、妙な行動を起こすな」
 
ルカの口から憎んでいると音に出されて、ぼくは体中の血が沸騰していくのを感じていた。
あからさまに態度には出していたが、それを憎しみを向けている対象から口に出されると自分が酷い人間に思えてくるのが不思議だ。
ぼくは執務室を飛び出した。
 
見回りで歩いている近衛兵に医者はどこかと尋ねる。
医者はすべて戦争に借り出され、王宮仕えの医師も今は一人としていないらしい。
そしてそれは全てルカの采配によるもので、軍の全権を握る彼に誰も反論は出来ないのだそうだ。
 
あの男はおかしい。自分がいつ病気になってもいいようにぼくをそばに置いているのに、どうしてぼくの紋章を使おうとしないんだ。今、一番必要な時じゃないのか。
ぼくは厨房に走り、酒と卵をもらい砂糖で煮詰める。出来たそれをカップに注いで、後片付けをし、一礼をしてその場を後にする。
無言で怒りながらのぼくの行動は、料理人全員の不可解な視線を買うことになってしまったけれど、それでもいい。人間、誰しも嫌なことがあるもんだ、と勝手に解釈してもらうのを待とう。
 
部屋に戻るとルカは変わらず横になっていた。
大股で気遣いなど見せない歩き方でルカの側に寄る。それでも起きないルカの額を、ゆっくりと叩く。
目覚めたルカにカップを渡すと、力なく男は笑う。
 
「今ならどんな微細な毒でも死ねるだろう、貴様にしては考えた方ではないか」
 
ぼくは無言でルカの頬を軽く叩く。貴様、と続く前に力強く人差し指をカップへと向けた。
 
「この毒は、酷く甘いな」
 
悪態をつきながら、それでもルカはぼくの用意した卵酒を全て飲み干した。
再びソファに身体を横たえるルカに右手を差し出しても、それをいらん、と突き放してくる。
やはり訳がわからない。
 
「俺の代わりはいくらでもある。だが、貴様にはないだろう。紋章を使う場面は、ここではない。戦場だ」
 
ルカはつぶやいて、ゆっくりと眠りに身体を浸していく。
そこで気がついた。
医者が全員軍に従事しているのも、紋章の力を拒む理由も。
ルカは紋章によるぼくの負担に気がついていたのではないのだろうか。
外へ出るな、というのも、側を離れるな、というのも、ぼくに紋章を使わせないため。
謹慎は……ぼくの怪我を治すため?
 
憎む対象に恩情を掛けられていたことに気がついて、ぼくは恥ずかしさに耐えきれなくなった。
この男はおかしい。尊大で、傲慢で、残虐で。やさしさなんか持ってちゃいけないはずなんだから。
それに、ぼくだって、前は体力だけが自慢だった。今の弱さはあっちゃいけないはずだったんだ。
 
ふざけるな、ぼくは木登りだって出来る、トンファーだって振り回せる、魔物を狩ることなんて、遊びみたいなものなんだから。ぼくは強いんだ。気に掛けられるほど、弱くなんか無いんだ!
人一人の病くらい治したところでかかる負担は知れているんだ。
ぼくは右手を振りかざした。
 
みっつめの命令拒否は、ルカに紋章を使うこと。
内臓が悲鳴を上げた。


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