枝手折るのは

05






夜、リオウ達がアナベルさんと約束している時間時はまだ余裕がある。
この間に僕は人を一人殺す。今までも戦争で行ってきたことだ、何も怖がることはない。
 
執務室の扉を叩く。この先に、今から殺される人がいる。
 
彼女は、ひとりでワインを飲んでいた。その表情は柔らかな孤独に包まれているように感じた。
リオウとナナミはまだだと告げるアナベルさんに頷いて見せた。彼女は再び酒をあおった。
 
「あなたは、なんのためにここにいるんですか」
 
寂しさが気に掛かり出た疑問に、アナベルさんはふっと息を吐いて笑った。
 
「わかりきったことをお聞きでないよ……」
「守る、ことですか」
「そうだ。このミューズ、都市同盟。多くの人々が穏やかに暮らせる日々を守ること。それが私がここにいる理由だ。……ジョウイ、お前も少なからずそうだろう」
「そうです。そのためには力が必要なんです。僕の力の礎に、なってくださいますか」
 
僕はリストバンドからナイフを滑るように出し、右手に強く握った。
きらりと輝く切っ先に、アナベルさんの表情が硬くなっていくのがわかる。
 
「それを背負っていく力があるのかい」
「覚悟は……出来ています。僕には耐えられる理由があるから……」
 
自分の声が冷たくなっているのを感じた。どんどんと自分の中が変わっていくのを感じる。
このとき、この場所で、僕は僕ではない新しいものになるのだ。
それが望んだものであれ、望まぬものであれ。
 
彼女は最後の酒を楽しみたいと言った。僕はそれに謝った。
まだ僕には彼女の感情をくみ取ることが出来る。大丈夫、すべてが冷え切るわけではないんだ。
 
「甘いよ、少年!」
 
突然目の前が真っ赤に染まり、アルコールか気化する鋭さを持って僕の眼球を潤していく。
 
「くっ……」
 
ワインを目つぶしにされた、落ち着かなければ、落ち着かなければ!
僕は赤紫でぼやけた視界でナイフを振り回した。
その手を誰かがはじき、僕の手からナイフは離れた。
しくじった。彼女の動きがこうも機敏だったとは。
僕は真っ暗になる思考を押さえ込み、逃げる算段をする。この部屋の奥には窓がある。
そこから飛び出せば。
 
「馬鹿ジョウイ!」
 
いつか食らった拳よりは柔らかく、しかし鋭利な痛みを持って僕の頬は殴られた。
じんじんとした痛みが、目の前の視界をクリアにしていく。
 
「リ……リオウ……」
 
リオウの手には、僕の持っていたナイフが握られている。彼の後ろには、アナベルさんが大事そうにワインの瓶を手に持っていた。
 
「君はいつもそうだ! 一人で抱えて、悩んで、一人でどうにかしようとする! 自分のすべてをなげうってでもね!」
 
リオウの怒った声とともに、市内に騒がしさが巡ってゆく。
静まりかえった市庁舎に、慌ただしい足音が広がっていく。扉が開いた。
僕たち三人の間に、一人が加わった。……ジェスさんだ。
彼はリオウの手にしたナイフを見て怒り、おののいている。
 
「貴様! アナベル様を暗殺しようとしたか! さすがは裏切り者の子供だな!」
「ちがう! ジェスさん、違うんです!」
 
僕は必至になってジェスさんの誤解を解こうとした。リオウを傷つけたくなかった。守りたかった。
そうした行為の結果が、リオウを裏切り者にしてしまう!
 
僕はあわててリオウにナイフを返すよう叫んだ。悲しみが混じって声がひっくり返る。
 
「アナベル様! 逃げましょう、王国軍がリオウの手引きによって市内を蹂躙しています!」
「ちがう! リオウじゃない! 僕が!」
 
リオウが、僕の言葉を遮るようにゆっくりと声を出した。悲しみ絶望にゆがんだ僕の表情とは違い、穏やかだ。
月の光か、街の炎か、きらきらしたものがリオウの輪郭を縁取っている。
 
「ジョウイ、僕、言ったよね。枝が多くても、悪くても良いって。それにもし、枝がすべて折れているのだというのなら、添え木をしてあげれば良いんだよ」
「リオウ……」
 
リオウは僕のことを全部理解していたんだ。僕の胸はいっぱいになって、涙が止まることなくあふれ出した。
 
「さあ、ジョウイ、逃げて! アナベルさんと一緒に!」
「リオウ、君は!」
「アナベル様、ジョウイ、行くぞ!」
 
リオウは本来ならば僕がとるはずだった行動をとった。
ナイフを持って、裏切り者となり、悲鳴響く闇の中、窓から飛び降り走りゆく。
 
そうしてその先に向かうのは。
 
「だめだ! 戻って……戻ってこい、リオウ!」
 
僕の声は街の業火にかき消えた。


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