ほうと鳴くのに君はなく

光明と絶望


まえもくじつづき




酒場で安酒をあおる男の姿は以前会ったときより老けていた、それ以外、何も変わってはいない。
穴の空いた床、また穴の空いた屋根。
割れた酒瓶からの腐敗臭。積もったほこりで空気がよどんでいる。
すべてが何も変わってはいなかった。再び、ティルの気が滅入っていく。
 
「すみません、この村は昔綿花の栽培地だったって本当ですか?」
 
言葉のでないティルの代わりに、グレミオが男に尋ねた。
 
「おうよ、静かな村の家並みに、綿の花がふわふわ咲き乱れる、穏やかな村だったさ」
「へえ……」
「みんな幸せでよ、本当だったら真っ昼間の今だ、コトたちの笑い声が暖かい風を連れてきてくれてたのによ」
「コト……?」
 
ティルの気後れし淀んだ表情に、一筋の光が走った。
 
コト。
それは父の連れてきたみなしごの名前。
ふわふわ暖かな、はじめて守りたいと思った存在。
居なくなった存在に、父に忘れろと言いくるめられてきた、僕の大切なコト。
ハイランドへ連れて行った父を恨んだ。
コトの名前を変えたというハイランドの養い手を憎んだ。
だけど戦争が激化し、解放軍のリーダーとなって、はじめて父にコトのことを感謝した。
 
遠くに置くことで守ると言うこと。
それも必要なことだったのだと、グレミオを一時失ったときに痛感した。
コトを忘れることが、守ることだと思っていた。
それなのに、今その名前をここで聞くなんて。
 
ティルはグレミオを押しのけ、男の酒にかすんだ目を鋭いまなざしで射貫いた。
その鋭さにつられて男の濁った目が思わず輝くのが見えた。
 
「コトを知っているのか!?」
「そ、そりゃしってるよ、コトは村の宝だからな」
「コトの親を知ってるか!? コトはそこで幸せだったのか!?」
「こ、コトっていいますがね、どのコトについて答えれば良いんですかい?」
 
ティルの喉はからからに渇いていく。
 
「どういうことだ」
「へ、へえ、コトっていうのは、カレッカの幼子の愛称なんでさ。愛しきワタバナの子っていう意味の。だから、子供のことを答えようにも、名前がわからねえと……」
「そっか……そうだったんだ……」
 
最初からあの子には名前がなかったんだ、という事実に触れ、ティルは砂っぽい床に膝をついた。
 
「グレミオは……もしかして知っていた……?」
 
ティルの問いかけにグレミオは答えない。それは肯定を意味していた。
 
「僕は! あの子の名前を一度も呼んだことがなかったんだ!」
 
少年はこの数年間で久方ぶりともいえる哭声をあげた。
グレミオはその様子に自身の体を折り、ティルの背をなで続ける。
酒を飲み続けている男にはわからない彼らのやりとりだったが、カレッカの子供のことを思い、嘆いてくれていることだけ理解し、酒を再びあおり始めた。



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