誰も止めてはならぬ(2主死ネタ)

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鍵盤の重いキィを人さし指で押し込めば、ハンマーが弦を叩き鼓動のドの音階を響かせる。
一秒間に一回の早さで、一秒間に二回の早さで、くり返したり、止めてみたり、響く鼓動は命を体現する。


ルカ・ブライトは倒した譜面代の上にひとつ、少年の顔を置いた。頬には拭われた血の跡、首には焼け焦げた痕がある、朽ちゆく物体。
狂皇子は装備を外したくつろげる格好で、真四角い部屋、グランドピアノだけが中央に置かれた部屋でイスに座っている。


壁は白く、無数の穴が音を吸収し、世界から切り離された空間。ルカ・ブライトは少年の顔を初めてじっくりと見ていた。
どこにでも居そうなパーツの並びに、これがどうして覇道を阻んでいたのか今では滑稽な気持ちを抱く。鼻をつまんでみても反応はなく、瞼も固い。


もしも、ゆっくりと向かい合う時間があったなら……どんな語り合いが出来ただろう?


幼い頃の手習いを出鱈目に皇子は鍵盤を押し込んでいく。穏やかに、時には激しく、流れるように、キィの感触は皮膚に触れるようで。それは少年の心臓が動き、今にもその思想を語り出し、互いの違いを討論するかのように。平和な時間が音の鼓動によって花開いていく。


――お前の生きてきた人生は、薄っぺらい苦さを含み、美しい新緑の木陰のようだ。


名も無き音楽が指先から生まれていく。ルカ・ブライトは自分の意味不明な行動に疑問をもつでもなく、誰に聞かれるでもない鼓動を、少年のための鼓動を途切れさせないように指を動かし、ペダルを踏み込む。


『一度、ゆっくり話をする時間が欲しかったよ、ルカ・ブライト』


――ああ、俺もだ。一体何を焦っていたのか、憎んでいたのか、もうわからなくなってしまった。


『君、指が血だらけだよ。そろそろやめてもいいんだよ』


――お前の心臓を止めろと言うのか? やっとじっくり話す時間が出来たというのに。


『……好きにしたらいいよ。君がここでは唯一だもの』


皇子の奏でる心音は誰の心にも届かない。扉の向こうに道はなく、壁の果てには荒野のみ。



世界でひとり、狂皇子は狂った。喉は渇き、指は重く、血で滑る鍵盤。くすぶったグレィ・スケールの世界にあって、ルカ・ブライトの視界には、鮮やかな幼い夢が広がっていた。





【誰も止めてはならぬ】



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テーマ「人外ファンタジー」
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