翠湖市伝え書き覚え書き〜ぼくととりまく世界〜

005:同じもの同じ時間


まえもくじつづく





夕方、爺ちゃんは家に帰ってきた。



塩麹につけておいた豚肉を取り出すのを止めて、出迎えに行く。
表情は重く、ゆっくりと溜息をつく。



「ルカさん、どうだった?」
「うむ……放っておいてくれと言われたよ、自分の知ったことではない、とね」
「そんな……」



お父さんの会社が大変なのに、どうしてそんなことが言えるんだろう。
ぼくはエプロンを脱ぐと爺ちゃんに手渡した。



「ぼく、行ってくる。晩ご飯は塩麹漬けの豚肉があるから、焼いて、あと、お味噌汁とサラダもあるから」
「ああ、わかった。家のことは気にせず、行っておいで」



玄関を飛び出すと、菜々実とティルさんにぶつかりそうになる。
それをすんでの所でかわすと、門扉を開く。



「理央、どこいくの?」



「ルカさんのところ!」



菜々実の問いにしっかり答えられるほどの余裕はなかった。
ただ、なんとかしてお父さんのことを考えなおしてもらいたい、それだけだ。







きのう見たアパートが、今日は夕日に照らされて赤く燃えているみたいだった。
踏みしめる鉄階段は、足を動かすごとにはがれた赤茶色い鉄くずが震えていく。



五つ並んだ扉の、手前から三つめが彼の部屋だ。表札を確認すると、インターホンを押した。



軽く押しても鳴らなかったので、もう一回、強く押してみると、押している間だけ音がひびいた。
……鳴らしても出てこないので、こっちも意地になってインターホンの黒いボタンをおもいっきり指で押しこみ続ける。



そうすればほどなくして、ゆっくりと薄いベニヤの扉が震えて、開いていく。
部屋の主は僕の姿に一瞬驚いて、それから困ったような顔になった。



「入って、いいですか」
「……断ったら、またブザーを鳴らすだろう」



体を反らして、ぼくの進めるスペースを作ってくれたので、そこに体を滑り込ませた。
玄関の左手にすぐ風呂があり、右手には台所がある。二間先の窓際に、ぽつんとくみ取り式の古いトイレがある。
四畳二間、バス、トイレ別の古いアパートは、やっぱり新しくした方がいいな、と思った。
二十一世紀にボットン便所はいただけない。



「奥にテーブルがあるだろう、そのあたりに居ろ」
「あ、はい。おじゃまします」



敷きっぱなしのふとんのそばにある折りたたみ式のテーブルには、ノートパソコンが置いてある。
他には筆記用具が散らばっているくらいで、娯楽品の気配がない。
ティルさんの部屋には少年誌がたくさんあったし、テッドさんの部屋にはいろんなアイドルのポスターが貼ってあった。
だけどここにはそんなものが見あたらない。生活臭が薄いというか、すぐ出て行けるように、みたいな雰囲気だろうか。



「飲め」
「あ、ありがとうございます」



渡された五百ミリリットルのペットボトル。ジンジャーエールのキャップをひねって、少し飲んだ。



「どうした」
「あの、どうして、家に帰らないんですか」
「親父のことは親父のことだ、俺には関係ない」
「でも、家族じゃないですか、血のつながりがある、特別なひとじゃないですか」



ルカさんはノートパソコンのキーを少し叩いて、それから僕の目を見る。



「血がつながっていれば、無条件で助けなければならないのか? 相手がどれだけ悪くても?」
「それ、は……悪いことをしていたら、それを怒らなくちゃいけないと思う、けど、それとこれとは別じゃないですか」
「俺は血のつながりなんて信用しない」
「そんな……」



彼の言葉は、僕の心に突き刺さる。
世の中で、血が通っている人間なんて、一握りで……それだけで、素敵な奇跡なんだと思っていたから。
大切にしていきたいものだと考えていたから。



家族を。



ぼくは、その単語ではっとして、うつむいていた顔を上げ、こちらからも視線を合わせた。
じいっと見つめあって、それから口を開いた。何時間も経ったような気がしたけれど、実質、目を合わせていたのは十秒程度だったみたいだ。



「ぼくは、あなたを家族だと思っています」
「……面白いことを言うな」
「同じものを食べて、同じ時間をすごして……家族はそうやって出来るものだから。それは血のつながりじゃない、もっと尊いものだと、思うから」
「ふむ……」



ルカさんは手のひらであごを包むように支えると、窓の向こうの空を見つめた。
そうして、考えがまとまったのか、再び視線を合わせてくる。



「家族を信じるか」
「……はい」
「ならば俺のすることに口出しをするな」
「それは……」
「なんだ? お前は家族だと言いつつ、俺をここから追い出したいのか?」



眉を寄せて、口の端をにやりと持ち上げて、こちらを試すような悪い笑みだ。
ぼくは、ぼくは。うつむいて、恥ずかしい自分の気持ちを唱える。



「お父さんのところに帰った方がいいと思ってるけど、本当は、ルカさんに、出て行って欲しくない……」



これじゃ小学生の駄々じゃないか。矛盾をどちらも欲しがるなんて、どうかしてる。
でも、正直に話さなくちゃ、血のつながりを信用しないと言い切る彼に、通用しないと思うから。



「アパートだし、人の入れ替わりがあるのは、仕方がないことだって、わかってるんです、けど」



「良いことを聞いたな」



ふっと息を吐き、ノートパソコンを閉じると彼は、テーブルに身を乗り出し、にやりと笑ってこう続けた。



「ならばなおさら、口出しするな」



……話が通じなかったのだろうか、僕は眉をひそめたまま、静かにうなずくしかなかった。
やり込められたということか。
どうなんだろう、わからない。大人の考えてることは、中学生には遠すぎる。







数日すると、ルカさんが可愛い化粧箱を三つ持ってやってきた。
それを渡されるまま受けとると、ジルを呼べ、と命令される。
ぼくに言われても……ということで、道場でティルさんとなんちゃって手合わせをしているジョウイさんにお願いした。



そして今。



どんよりとした姿でくだんの女性がやってきた。
ジルさんはルカさんを目に留めると、他は目に入らないとでも言うように彼に突っ走っていく。
そして、胸板を小さなこぶしでたよりなく殴りつけていく。



ぼくたちはそれを見ていた。
ジョウイさんも止めることをせず、ただ、現状を受け入れようという、真剣な表情でそれを見守っていた。



「ひどいです! あんまりですわ、お兄様!! お兄様がいらっしゃったら、帰ってきていたら、会社は乗っ取られなくてすんだのに!」



ジルさんの言葉から、会社は最悪の道をたどったことがわかった。
彼女の悲しみを受け止めている彼の表情は動かず、ただ受け入れているだけだ。



「自社株は高いから買い占められない、と慢心した親父の負けだ」
「そんな……!」
「買い占めの兆候が現れた時点で上場を廃止し、黄金株の発行に乗り出すことも出来たはずだ」
「わかっていたなら、方法があったのなら、どうして父に進言してくださらなかったのですか!」
「言ったろう、慢心した親父の負けだ、と」
「ひどい、ひどいわ……! これから、誰かもわからない人間が、会社を決めていくことになるなんて……!」



泣き崩れるジルさんをそのままに、彼はソファにくつろいだ。
これにはジョウイさんも我慢がならなかったのか、彼女を抱きしめ、にらみつける。



「あなたには、血も涙もないのですか!」
「……お前は、この負け犬の娘をどうする?」
「もちろん、どんなことがあっても結婚します! 僕は、彼女を愛している!」



まっすぐに言い放つジョウイさんに、なぜかこっちが照れてしまう。
きっと、ジルさん、すごく嬉しいだろうな、とすがりつく手のひらを見つめてそう思った。



「ジョウイ、お前のその言葉はジルと親父を救ったな」



ルカさんが、やさしく笑った。
そんな表情を見るのは初めてで、みんな、あっけにとられていた。
それに気付いているのかいないのか、話はつながっていく。



「次の株主総会では、取締役に親父を選んでやろう」



ぼくはその言葉の意味がわからずに、ただぼんやりと頭を傾けるだけだったけど、
ジルさん、ジョウイさん、そしてティルさんがかたまったのはよくわかった。



「えっと、それって、輝城さん、が、父親の会社を乗っ取ったってこと、だよね?」
「そうだ。親父の意識を変えるには手っ取り早い。他の企業への牽制アピールにもなるしな」



ティルさんの言葉に、しれっと答えを返すルカさん。
それって、それって、きっとそういうこと。



「お、お兄様!!」



声を荒げるジルさんを手で止めると、話を続ける。



「ジョウイ、お前がここにいなければ、種明かしはもう少し先になる予定だったのだが……運が良かったな」
「お兄さんは、僕を嫌っていたのではないんですか……!?」
「試していただけだ。妹にふさわしいかどうかをな。ただ家柄や財産だけで了承した婚約だとわかれば、破棄していたところだ」



ルカさんが親元を離れて隠れるように会社を乗っ取ったのは、お父さんと、妹のことを考えてのことだったんだ。
ぼくは、一方的な物の見方だけで決めつけていたんだ……自分が嫌になる。
はやく大人になれば、もっといろいろな物の見方が出来るようになるのかな。



嬉しそうに抱き合うふたりを見つめて、それから自分の足を見つめた。
手のひらが頭にふってくる。
それはやさしくて、大きくて、あたたかい。



「よく、信じてくれたな」
「ぼくは、疑問を持ったまま、過ごしてました……信じてなんか、なかったんです……」
「俺の言うとおり、口出しもせず、待った。それは信じることと等しいはずだ」



本当にそうだろうか。どうしても自分を肯定できず、沈んだ気持ちのままだ。
すると、頭に置かれた手に力が入り、僕の顔が前を向くように動いた。



「理央、渡していた箱を持ってこい。それと、爺さんと、菜々実とテッドも呼んでこい」
「え、あ……はい!」



ぼくは慌ててティルさんにテッドさんを呼ぶようお願いすると、化粧箱と爺ちゃん、菜々実を揃えて居間に集まる。
みんなが集まると、箱を開けるように言う。
菜々実と、テッドさんと、ジルさんが開けたその中身は、大きなバケツプリンだった。



みんなでお皿にプリンを広げると、大きなそれが三つ並び、圧巻で、面白くて、みんなではしゃいで。
思い思いに取り分けて食べるそれは、今まで食べたプリンのどれよりも美味しかった。



「ルカさんがバケツプリンを持ってくるとか、私、ちょっとびっくりしちゃった」

「そうだよね、想像つかないよ」



楽しそうに話す菜々実と、それに相づちをうつティルさん。
目を腫らして、でも嬉しそうなジルさんと、それを見つめてるジョウイさん。
爺ちゃんにプリンをよそってくれるテッドさん。



それを優しい表情で見ているルカさん。



「ん? どうした?」



ぼくの視線に気がついて、目を合わせてくれる、その表情は、やっぱり柔らかかった。
いつものきつめの表情と、今の表情、どっちが本当のルカさんなんだろう。
いろいろわかったような気がしたけれど、やっぱりぼくはわかってないみたいだ。



「どうしてプリンにしたんですか?」



菜々実の言葉を借りて、質問してみる。



「同じものを食べ、同じ時間をすごすのが家族なら、それは楽しい方がいいだろう」



返ってきたそれは、ぼくの言葉。
みんなルカさんの言葉に湧いて、恥ずかしいと笑った。







「お兄様、いつ帰ってきてくださるの?」



ジルさんの言葉に、はっとした。
そうだ、このサプライズが終わったのなら、彼にあの場所は必要ないんだ。
胸がちくりと痛んだ。



「帰らんぞ」



なのに、その一言で、胸に刺さった針がどこかへ飛んでいってしまった。
だれかに刺さって痛くなってなければいいけれど。



「ど、どうしてですか? お父様も、ジルさんも、お兄さんを待っているのに」



慌てて説得するジョウイさんに、ルカさんはいやみったらしく笑う。
あ、こっちのほうが、本当っぽい。この表情のほうがおちつくなあ。



「彼処に住んでいると、タダメシが食えるからな」



「そういう考えならさっさと引き払ってもらった方がいいですよ、ゲンカク老師。収支がマイナスになる」
「貴様よりはマイナスにならんと思うぞ、ティル」



これはルカさんの方に軍配があがったのか、ティルさんはそこから一言も返せず、不機嫌な顔つきになる。



「理央の料理が美味しいのがいけないんだ……」
「ええ!? ちょ、ちょっと、それ褒めてるのか貶めてるのかわかんないですよ!?」



料理を褒めてもらえるのは嬉しいけれど、そのせいで赤字になるのは嫌だし、おかしい。



「あ、それ、僕も思いました。理央は料理人になったらいいと思うよ」
「ジョウイさんまで……」
「コックになったら、高待遇で雇ってあげるからね」
「あ、ありがとうございます……」



なんだか変な話の流れになってる。
それをなんとか変えようと思うけれど、どうすればいいのかがわからない。
こういうとき、頼りになるのは爺ちゃんだ。じーっと、助け船を待ってみる。



「輝城さんが住んでくださるなら、わしの方は大歓迎ですよ」



「と、いうことだ。これからも引き続き頼む」
「桃鉄、wiiスポーツと続いて……次はいたストとドカポンでこてんぱんにしてあげますよ」
「臨むところだ」



火花を散らすルカさんとティルさんを姉弟そろって眺める。



「またしばらく賑やかになりそうだね、理央」
「うん。楽しみだね」



ふたりで頭をぐりぐりこすりつけながら笑った。
今度は、ぼくもいっぱいゲームに参加しよう、一緒の時間を、いっぱいすごそう。
ジョウイさんもジルさんも巻き込んで、たくさんの時間をすごして、素敵な家族になっていけたらいいな。



まえもくじつづく

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