翠湖市伝え書き覚え書き〜ぼくととりまく世界〜

003:遠い世界と近い場所


まえもくじつづき






留学生は、菜々実の学校に転入するらしい。
自分よりも年上ということに、少しだけしょんぼりした。
仲良くなれるかどうかさらに不安になった、ということもあるし、純粋に自分がずっと一番年下なのが嫌だということもある。
今ですら、話しについていけなくてさみしく感じるときがあるのに……まあ、いいか。
接待はみんなに任せて、ぼくは身の回りのお世話を頑張ろう。



「理央、おねーちゃん今から迎えに行ってくるからね」



テーブルを拭いていると、菜々実が顔を出してくる。
客人用にと広げたクッキーを一枚つまんで、玄関へと走っていった。



「菜々実ひとりだけで行くの?」
「ううん、学校でティル君とテッド君に合流して、四人で帰ってくるつもりだよ」
「そっか、うん、わかった」
「歓迎パーティーの準備よろしくぅ!」
「はーい」



玄関の扉が勢い良く閉まり、ためいきをついた。
やっぱり、同い年っていいなあ、と思いながら。



それよりも、準備しておこう。
クッキーとおせんべいとポッキーとポテトチップス……お菓子はこんなものでいいし、
飲みものはコーヒー、紅茶に緑茶にジュースも揃えたから、きっとまかなえるはず。



夕飯は会話が弾みそうな手巻き寿司にする。
具材と酢飯の用意をするだけなので、ぼくも気楽だ。
爺ちゃんは遠出をしていい刺身を買ってくると豪語してくれたから、ちょっとたのしみにしている。



炊きあがったごはんをおひつに移して酢飯を作っていく。
切るように混ぜて、お米がつやつやになったら良いあんばいだ。



海苔も、噛みちぎりやすいように百円均一で買った海苔パンチャーで小さな穴を開けていく。



きゅうりとたくあんを切って、卵も焼いた。
北欧の人はカニかまが好きだとテレビでやっていたから、それも用意して。



ひと息つくと、勝手口からじいちゃんが帰ってきた。
肩にかけていたクーラーボックスを下ろして、台所へあがってくる。



「ただいま、理央」
「爺ちゃん、おかえり、お刺身は?」



「ああ、活きの良いのをさばいてもらった」
「え? それってもしかして魚市場まで行ってきたの?」



受けとったスチロールパックの中身は、マグロにハマチ、エビにいくらにサーモンだ。



「日本に来たならうまい生魚を食べてもらわないとなあ」
「うん、おいしいって言ってもらえたらいいね」



ふたりでにっこり笑うと、準備した具材を一緒に冷蔵庫へ入れていく。







チャイムが鳴って、菜々実たちが帰ってくる。
ぼくはエプロンを外すのも忘れて、玄関へと慌てて向かった。
もちろん爺ちゃんも後ろから付いてくる。



「はーい! ハイランドからの留学生、ジョウイ・アトレイド君でーす!」



菜々実とテッドさんが留学生の横で手のひらをひらひらさせて、じゃじゃーん、と披露する。
まん中の彼は、恥ずかしそうにうつむいていた。



綺麗な人だなあ、とびっくりした。
白い肌に、肌の色に近い金の髪、グレーに似たアイスブルーの瞳。
お坊ちゃんだとは聞いたけど、まるで王子様だ。この家を提供するのがかわいそうになってくる。



「こんにちは、えっと、田尾 理央です。ジョウイさん、短い間ですが、よろしくお願いします」



深々と頭を下げると、焦ったような言葉が後頭部にひびいた。



「いえ、僕の方こそ、お世話になります。よろしくお願いいたします」



お互いに深く頭を下げていたのか、ぼくたち以外の全員が笑った。
それにとまどっていると爺ちゃんが促してくれて、みんな玄関に靴を落としていく。



やっぱり、外国の人だ。靴を脱ぐっていうことにおたおたしている。
ぼくはあわててスリッパを取り出すと、履き替えるように笑いかける。
彼もはにかんだように笑って、スリッパを履いてくれた。



声もだけど、動きも綺麗だ。いまだとれない緊張を押し隠しながら、ジョウイさんをダイニングへと案内した。



席に着いたら、やっぱり彼に質問攻めだ。
ルカさんのときと全く同じ会話の流れが面白くて、つい笑ってしまう。



「どう? うまくやっていけそう?」



お菓子を食べて盛り上がる菜々実たちをよそに、ティルさんがそっとこちらに気を遣ってくれる。
それをありがたく思いながら返事を返す。



「ええ。とても礼儀正しくて、綺麗で、こっちが申し訳なくなるぐらいです」
「うん、確かに綺麗だよね……さすが外人っていうか」



そう言ったあと、じいっと顔を見つめられる。



「な、なんですか」
「理央も外国人離れした顔でいいと思うよ」
「そうですか? ……て、それ日本人ってことじゃないですか」



からかわれてることがわかって、互いに軽口を言い合う。
ティルさんはぼくが仲間はずれになったような気持ちにならないように、
ジョウイさんと話すのを抑えて、僕に声をかけてくれたんだろう。
くすぐったい優しさに、そこまでしてくれなくてもいいのに、とひねくれつつ喜んだ。



「ねえねえ、ジョウイ君はどうしてそんなに日本語が上手なの?」
「え? あ……僕のフィアンセが、日本に住んでいる方なので……」
「うお、もう結婚する相手が居るんだ! すごいなー」
「へえ、それで彼女のために覚えたんだ、素敵だね」



住む世界がちがうんだなあ、と驚きながらぼくとティルさんも会話に耳をそばだてる。
恋の話もろくにしたことがないのに、なんだか興味が湧いてしまう。



「それで、彼女のお兄さんに家庭教師になってもらって、覚えました」
「お兄さんが家庭教師かー、けっこういびられたんじゃないか?」
「そんな……まあ、少しは。それだけ彼女が愛されているということですから、構いません」
「人間出来てるなあ、おれだったら彼女のお兄さんに勉強教えてもらうとか出来ないぜ」



興味を一番持っているのは、テッドさんかもしれない。
ぐいぐい話していく姿は、菜々実でさえ少し気押されている。



「お兄さんは、すごく格好良いんですよ」
「えー! ほんとほんと?」



……あ、菜々実が食いついた。
女の子だなあ、と苦笑すると、横でティルさんも同じように笑っていた。



「ソーシャルネットワークの……えっと、ネットゲームとかの会社を経営してるんですが、僕のあこがれです」
「ネトゲ? スマホとかの?」
「ええ、そうです。それと個人でFXをされてるんですが、観察眼が優れていて、マイナスを出したことがないんですよ」
「FX?」



首をかしげるふたりにティルさんが口を挟んだ。



「外国為替証拠金取引のこと。海外通貨を売買して利益を得る、えーっと、まあ、株と似たようなやつ」



ふうん、と首をかしげたままふたりはわかったのかわからないのか、どっちともとれる返事を返してくる。
それに肩を上げてお手上げのジェスチャーをすると、ポテトチップスに手をのばした。どうやら食べることに専念するらしい。



「ハイリスクを物怖じせずにハイリターンをたたき出す……僕もあんなメンタルを手に入れたいです」



紅茶に口をつけて、ジョウイさんはゆっくりと言葉を吐き出した。
嬉しそうにつぶやくようなその言葉、それは本当に心からの言葉なのだろう。
こんなに綺麗で位の高い人が憧れるのなら、そのお兄さんも、すごく綺麗だったりするのかな。
それで、彼女は可愛かったりするんだろうなあ、日本語、覚えるくらいだもんね……



「ん? 理央どうしたの?」



ぼんやりとそう考えていると、菜々実が心配してくる。
ぼくは慌てて夕飯の手巻き寿司の準備に取りかかることにして、その場をごまかした。







おのおの好きな具材を酢飯と海苔で丸め込みながら早めの夕飯を楽しんでいく。
海苔に一瞬ひるんだジョウイさんも、今は楽しそうにたくさんのカニかまを酢飯の上に広げていた。
よかった、たくさん買っていて。でも、それよりも刺身をたくさん食べて欲しいなあ、なんて動向の一つ一つにハラハラしていると玄関のチャイムが鳴った。



はあい、と大きくひとつ返事をすると、みんなにことわって玄関へと向かう。
カラカラとかわいた音をひびかせて扉を開けると、目の前にバスキンロビンスの袋を突きつけられた。



「今日からだろう」
「あ、はい、そうです、けど……アイスですか?」
「寒いところにすんでる奴は大概好んで食うからな。夕飯後にでも出してやれ」



アイスのつまった袋をぼくに渡すと、ルカさんは帰ろうとする。その腕をとっさにつかむと、驚いた表情がこちらを見てくる。
自分のした行動に気がついて、慌てて手を離して謝った。



「あ、ご、ごめんなさい。あの、今みんなで手巻き寿司食べてるんですよ。爺ちゃんが新鮮な刺身も買ってきてくれて、良かったら食べて帰りませんか」
「……定員オーバーだろう」
「そんなことありませんよ、ルカさんの場所もちゃんとあります。第一、アイスだけもらって帰すなんてこと、出来ません」



さあ、と手振りで促すと、しぶしぶ靴を脱いでくれる。その姿に満足して、ふたりでダイニングの扉を開けた。



「爺ちゃん、ルカさんがアイス持ってきてくれたよ」
「ほう、いつもいつもすみません」
「いや、構わん。勝手にしていることだ」



ルカさんに自分の座っていた席を明け渡すと、使っていた受け皿を新しいものに取り替える。



「飲みものはどうします? ビールでも出しましょうか」
「ああ、たのむ」



冷蔵庫から麒麟マークのビールを取り出して、グラスと一緒にテーブルに持っていく。プルタブを開けて、自分で注げるようにしておいて。
そのあとでアイスを冷凍庫に入れるため、袋から箱を取り出した。



「あ……ジョウイさんはアイス好きですか?」



ふと思い立ったように言葉をかけると、その視線は先ほどやってきた彼に向かってかたまっていた。



「……お」



「お?」



どんな言葉が続くのかわからずに首をかしげる。



「お兄さん!!」
「……貴様は!!」



声ではじめて誰かわかったのか、ルカさんも彼と一緒におどろいた顔をする。
そして残されたぼくたちも、すこしおくれておどろいた顔になる。



ルカさんが、ジョウイさんのあこがれの人ってことは、あの女性が彼のお嫁さん……!?



遠い世界の話は、案外近い場所ではじまるのかも知れない。




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