どうかぼくをころしてください

±零零▼潔癖


まえもくじつぎ




ルカ・ブライトが本拠地に迫ってくるという伝令が上書きされていくたび、リオウの心は高揚感でいっぱいになっていた。
自らの望みがゆっくりとそばへやってくる、足音がわかるという状況はなかなかないものだ。
それを今実感している、瞳は潤み、呼吸をするのももったいないくらいの心地でリオウはこの決戦を望んでいた。




そうしてリーダーの部隊は指示を待つまま硬直状態に陥り、
ほどなくしてハルモニアの援軍をルックが破ったという通達に部隊が湧き、軍主はひとり表情を暗くした。





「どうしたの? リオウ、顔色悪いよ?」





心配したナナミがリオウをのぞきこんでくる。
それを面倒くさいと思いつつも表情に出さないように、努めてやさしく少年はあしらう。





「ううん、いや、ルックは大丈夫だったのかなって」
「心配性だなあ、リオウは。ルックなら大丈夫だよ!」
「そっか、そうだよね……」





リオウは生返事をし、ナナミの明るい声を聞きながら皇子の居る方向を仰ぐ。
空には暗雲が立ちこめ、ルカ皇子の心の内を案じずには居られなかった。




大丈夫だろうか、ケガをしていないだろうか、雷に恐怖していないだろうか……
ハラハラと見守る中、自然発生ではない雷がまっすぐ地面にささった。




遠くの出来事にもかかわらず、耳もとでガラスを何枚もわられたような音がひびき、そして静かになった。
水に垂らしたインクのようなどす黒い雲はあとかたもなくなり、まっ白な雲を点々と残す晴天に様変わりする。




これは魔法だ、とリオウが納得した時、前方の部隊が湧いた。
伝令が走ってくる、あのルカに傷を負わせた、と。




ジーンの魔法兵隊の活躍によるものだ。
ナナミとトウタはリオウのとなりで手を取って喜び、それをまた軍主に求めたが、馬上の横顔は緊張を持ち続けていた。




ルカ皇子は無事だろうか。
ぼくは彼に何も懺悔をしていない、殺されていない。
彼に祈り、彼の目的は自分にあると伝えなければならないのに。




リオウは居ても立ってもおられず、手綱を引いた。馬がゆっくりと加速していく。





「ちょ、ちょっと、リオウ!! どこに行くの!?」
「ルカ・ブライトのところ!」
「な、なんでなんでなんでなんでー!! お姉ちゃん置いて行っちゃだめでしょー!!」





ナナミの抗議もこのときばかりは無視しリオウは走った。
騎馬兵隊を通りすぎたあたりで、馬の脇を歩兵が飛んでいく。




剣を持つ腕がない。
リオウはぞくりと背中を震わせた。きれいな切り口、のびやかな鮮血、それは戸惑いのない太刀筋をあらわしている。





「ウジ虫どもがあああああ!!」





肩の甲冑を破損し、服を焼けただれさせてもなお一等大きい男が、馬にまたがり袖で血をぬぐっては無差別に斬りかかっていく。
宙を舞う首は回転し、それに合わせて血液も円を描いた。
切り落とした腕ごと剣をつかむと、投げるように人を刺し殺す。阿鼻叫喚の中に狂った笑い声がひびく。
よかった、彼は死んでいない。むしろ、何かを乗り越えたかのように新しい強さを手に入れたようにも見える。





「貴様らごときにこの俺の首が取れるとでも思ったか!!」





馬の首さえもはじけ飛んだ。
飛んだのは軍主の馬の首だ。噴き出す血が噴水のように高く盛り上がり、リオウの体をまっ赤に染めていく。
動物の血は人間のような鉄を含んだにおいはせず、酸味の抜けた味のないソースのような空気をあたりにまき散らす。
馬は切られた首に気付かず、立ち尽くしたままだ。





ルカの目がリオウをとらえた。





何かにおどろいたような顔だった。それは馬の血にまみれながらも顔色一つ変えず、両手を広げ、男の前に立ちふさがっていたからなのか。





「貴様!! 死にたいのか!!」





振り上げられた剣に目を閉じるわけでもなく、リオウはルカの動きを見つめていた。





「ああ、殺せ! ぼくはお前の仇だ!!」





リオウの言葉に、ルカの動きが一瞬止まる。
その隙を見逃さなかった人物が血にまみれることも恐れずリオウを馬上から引き下ろした。





「リオウ、だめえ!!」
「ナナミ!!」




「今だ!!リオウ殿を守れ! 人垣になれ!」





シュウの声に兵士たちが姉弟を取り囲み、ルカの前に立ちふさがる。
リオウの目にそれはみんな震えていたし、ただのお節介にしか映らなかった。





「やめろ、ナナミも……みんなも!! 逃げろ!! ルカ皇子にこれ以上殺させるな!!」





リオウの悲痛な声が届いたからかどうなのか、ルカ・ブライトは剣を下ろした、ように見せかけて一閃。
軍主の前にいた兵士たちが、ずる、とたおれた。
目のあたりできれいに切れているその遺骸は、桃色の脳漿と血液、眼球のゼリーが入り交じり、人という物質を一瞬忘れさせてくる。





「貴様を殺すのはもう少し先になりそうだな……」





皇子はそうつぶやくと、顔面蒼白のまま震える同盟軍に鼻で笑い、きびすを返した。
彼の残虐な行動が功を奏し、皇子が去っていったあとには同盟軍の兵力は著しく落ちこみ、士気は冷え切っていた。












「くそっ、くそっ、くそっ!!」





リオウは同盟軍兵の亡骸の前で土を殴りながら罵声を上げた。
顔から出る液体の全てを出しながら兵士の死を悼んでいる。





ぼくのせいで死んだ、
ぼくのせいで殺させた、
ぼくは死にたいのに殺されたいのに。





ルカ皇子の深い悲しみと横暴を取り払うには、それしかないのに。





「なんで、ぼくがっ、生きてっ……るんだ!!」
「兵が守ったからです」





悲壮なリオウとは対照的に表情を動かさぬまま、軍師が後ろから答えた。





「お前が悪いんだ! ぼくの前に兵士を並べて! 無意味な死を引き起こした!!」
「それだけあなたが大切だからです!!」
「そんなものっ……!!」





リオウはシュウにつかみかかった。襟を持って引き下ろしても、軍師の視線はリオウよりも上にある。





「あんたなら誰でも軍主にでっち上げられるだろう……!?」
「紋章を継いでいるのは、あなただけだ」
「それすらも、シュウならごまかせる……!」
「……おれも随分と買いかぶられたものだな」





シュウは首元の少年の腕をとると地面に投げ捨てるようにリオウを叩きつけた。
ぎりぎりと歯がみし潤む目は憎しみすら感じられる、が、シュウはそれに気付かないふりをして続ける。





「お前は、人々を守るために、率いるために軍主になったのではないのか」
「……ああ、そうだよ。ぼくの全てをかけて、新しい国を建てる」





「ならばなぜ死へと急ぐようなまねをなさるんですか」
「ぼくの中に流れる下賤の血は、ルカ皇子を禊ぐためにあるから……」





「あなたが何をおっしゃっているのかわかりません」
「わからなくていい。ただ、もう、あまり兵士をぼくの軍に回すな」





「それは軍師としてのめる条件ではありませんな」
「軍主命令だ!! のめないならお前の脳天ぶち抜いて全員殺してやる……!!」





リオウの吠える言葉に、その一帯が一気に静かになる。
そのなか、シュウだけが口のはしを上げた。これにはリオウも驚き、たじろいだ。






「それがあなたの本質か……ルカ・ブライトにもまけぬ傲慢さだ」
「人を殺して平気な時点で、だれだって傲慢だろう……!?」






リオウはいつでも人を計っている、シュウはうすうす感じていた感覚を今日この場で完全に理解した。
少年はこうして人間を選定しているのだ。相手が信用たり得る人物なのかを。
それでいい、と軍師は笑んだ。その用心深さの裏側に慈愛を含んでいると読み取ったからだ。





リオウは自分だけが汚れようとしていると。
汚れを引き受ける人が好きだ、と少年が言った言葉を思い出した。
だが、その実誰も汚れさせないようにこの軍主は自分をおとしめようとしている。






「そうですな、だれも皆、ルカ・ブライトたり得る黒い人間ばかりだ。だからあなたがそれを全て引き受けることはない」
「ちがう! ちがうちがうちがう!!」





なんでわかってくれないんだ、ぼくは汚れているんだきたないんだ、
この汚らしさじゃないと、ルカ皇子を助けられないんだ、わかってくれよ!!



でも、言いたくないんだ、嫌われるのがこわいんだ、ぼくは、汚れたくても、踏みとどまる、賤しい汚い人間、ぼく。





リオウの悲痛さにシュウは腕を伸ばし、その体を抱きしめる。
逃げよじろうとする姿は人間に慣れない野良猫のようであり、それがシュウの庇護欲、忠誠心につながるなどとリオウは思ってもいない。





「わかりました。あなたのところは精鋭を集めた、少数部隊にいたしましょう」
「うーっ、うーっ、うー……っ!!」





ふたりのやりとりを見ていたまわりの兵士や住民は、リオウの担う重さを思い、その全てを背負おうとする少年に畏怖を抱いた。
そして彼にならついて行ける、と決意を新たにしたのだった。





すべてがすべて、リオウを裏切るかたちで結束していく。









憔悴しきったリオウは部屋にもどることも何かすることも出来ず、ただ本拠地のエントランスでぼんやりと人々の生活を見つめていた。
約束の石版の前にいるわけだが、ルックはただ眉根をよせるだけで非難の言葉を彼に浴びせることはなかった。




小麦を計る人、洗濯物を持っていく人、掃除する人、走り回り遊ぶ子供たち。




自分たちにもう策は残されておらず、このままいけばただ殺されるだけだというのに、それを知らされていない部分ののどかさが心苦しい。
どうにかしてだれよりも先に皇子の前に進み出て、自らの罪をはき出し、殺され、彼を王道の道へ歩ませるきっかけにならなければならない。




はやくルカ皇子の動向をつかまなくては。
そう考えられるのに、リオウの体は動かなかった。




ぼんやりと焦る思考と視界の中、一点の違和感がこちらに近づいてくる。
それなりに暑い気候だというのに体を衣服で覆い尽くす初老の男性……どことなく、はじめてあった時のシュウの雰囲気を持つその人。
男はリオウの前に歩みを止めると、軽く会釈する。





「こうして会うのは初めてですなリオウ殿。わしはレオン・シルバーバーグ。シュウはこちらに居ますかな」
「あの、えっと……」
「シュウは弟の教え子でな。今後について少し話しに来たのだ」
「多分、自室に……案内します」





レオン・シルバーバーグ……アップルの書いていた伝記にすこし記載があったことをリオウは思い出し、
できる限りの礼節を持ってレオンに接した。
なぜ今、彼がきたのか、リオウはまったく見当がつかなかった。





シュウの部屋に彼を通し、自分もまたシュウのとなりにおさまった。
自分は軍主だし、都合の悪いことがあれば何か言ってくるだろう、と軍師を見つめる。
シュウはリオウの心がわかるのか、ただ少し瞳で笑って見せただけで、話を聞くのを良しとしてくれたようだった。





「今夜、ルカ皇子がここに夜襲をかける」





レオンの言葉にシュウとリオウの動揺は隠しきれない。
椅子ががたりと音を立て、拳を握り動揺を戒める。





「それを好機ととるか、最期ととるか……お前次第だ、シュウ」
「なぜそれを伝えに来た?」
「あの皇子は簡単には扱えん。次代には膿となり我らを脅かす。だがハイランドが手を下すことは出来んからな」





お互い腹の探り合いなのか、軍師ふたりは互いをにらみ合ったまま沈黙している。
リオウはそのとなりで、ことの経緯を一生懸命整理していた。





王を暗殺し、実権を得たのはルカ皇子。それを殺して欲しいとハイランドが持ちかけた。
扱えないから、新しい時代には要らないから。
では新しい時代を誰が作る?
この男か、もしくは、キャロで一番頭が良く、リオウに読み書きや簡単な計算を授けた幼なじみか。





「ルカ皇子を殺すと考えたのはジョウイですね?」





リオウはレオンがごまかすことを考え、単刀直入に聞くことに決め、口に出した。
案の定、気付かぬ程度に瞳を泳がした男に、リオウは確信を得た。





「王の暗殺を持ちかけ、皇子をトップに据える。それが死んで得をするのは、その下にいる人物」
「何を言う……」
「クラウスやキバを見れば、武将に下克上を狙うものは少ないと考えられる……ならば、なんらかの目的があり野心があり、あなたのような理性的な人間だ」
「リオウ殿、今、そのような話をする時ではありません」
「ジョウイは、ルカ皇子に、王暗殺をけしかけたんだね?」





レオンのひげがぴくりと動き、無表情のまま沈黙する。





「あんたらは! 無意味な殺しを皇子にさせたんだ!!」
「あれは自らそれを望んで居られる。全てを灰にしたいのだ、ルカ・ブライトという男は」
「ちがう! 仇が見えないから、全てが敵に見えるだけなんだ!」






「かたき……?」






リオウは滑った言葉に口をふさぎ、うつむいた。
ふたりの不可解な視線を受けながら、ゆっくりと顔を上げる。





「ぼくは、皇子が立派な人間になると信じている」





絞り出した言葉にレオンが大きく笑う。





「なんですかな? それではリオウ殿、あなたは敵でありながら皇子の味方であるとおっしゃるのかな?」
「そうです。ぼくは、いつでも平和を考えている。いらぬ人間を蹴落とす平和じゃなくて、ね」





泣くのをこらえるようにレオンを睨み付けると、脇からシュウの腕が伸び、リオウの肩を抱いた。





「もうしわけない。我が軍主は、誰よりも潔癖症でね、許して頂きたい」
「やめてよ、シュウ、謝る必要なんてないよ」
「夜襲の件、ありがたく利用させてもらう」
「……うむ。双方に利益のある展開を期待している」





シュウは使用人を呼ぶとレオンの見送りを頼んだ。
あとには軍師と軍主、ふたりがならび座るだけになる。





「お前は……誰彼かまわずかみつくな」





ぽんぽんと、むきだしの肩に触れる手のひらは熱く、奇妙な不快感をリオウに与える。
子供扱いをされていらいらする感情に似ていた。





「だが、いい論破だった。勉強をはじめたばかりとはいえ、頭の回転が速いからか」
「ぼくは、たくさん考えなくちゃいけないから……」





「お前の優しさは長所であり短所だな。敵にまで情けをかけるな」
「でも、そうしなくちゃ、良い人材は手に入らない、でしょ? 宋江の人材収集法に書いてあったよ」





「……そんなもの貸したか」
「アップルに借りた」
「そいつの本は当てにならん。結局殺されるんだからな」
「いいじゃん。キバもクラウスもよく働いてくれてる」





シュウは手のひらをリオウの頭に移動させ、くしゃくしゃと撫でた。
首をはねようとした奴の言葉じゃない、と笑われて、リオウも少し心がかるくなった。
自分の皇子への感情を、ただの感情移入や優しさだと受けとられていることに安堵したからだ。












レオンから手に入れた夜襲のルートから、少数精鋭で皇子の本隊にぶつかることをシュウは同盟軍全体に伝令した。
準備は追われに追われた。なにせ今夜だ。




昼も過ぎたさなかに全てを揃えることは難しい。
兵は疲れ、軍備も乏しい。それ故の少数部隊なのだろうか。





「夜襲なら、今から少し寝ておくかな」





部隊の一つを任されたビクトールが大きくあくびをしながらのんびりと口にする。





「準備は良いの?」





びっくりして思わずリオウは問いかけてしまう。
それに悪く思うでもなく、ビクトールは少年の頭を掻き乱す。





「本番眠気でとちっちまったら悪いだろ?」
「そうかもしれないけど、みんな緊張で眠れないみたいなのに」
「くぐり抜けてきた修羅場がちがうってな。なあ、フリック」





声をかけられた青いマントは、きっ、と振り返って一言漏らす。





「眠れるのはお前ぐらいだ」




「ちげえねえ」





リオウの乱れた髪を手ぐしで直しながらビクトールは声を立てて笑う。




大きくておおらかな人だ。そして、自分の悲しみを隠して振る舞える強い人だ。
汚れることをいとわない、少年が信頼を寄せる人物のひとり。





「ニキビ出来てるぞ。お前も準備は周りに任せてゆっくり休め」
「ぼくも眠れそうにないや」
「なんだ、抱いてやろうか、ぐっすり眠れるぞ」
「くまさんだもんね、大きいぬいぐるみだ」





「こんな不細工なぬいぐるみ、誰も欲しがらんだろう」





フリックのつっこみに、みんなが笑う。
大丈夫。全員笑う余裕がある。元気だ、とリオウも周りを確かめるようにして笑った。






夜の集会で、リオウは号令をかけるようにシュウに言われていた。
全員の前でひとり立ちすくみ、これから始まることへの決意もこめて、大きく息を吸う。




「みんな! 無理はするな、死ぬな、やばくなったら逃げろ! あとにはぼくがいる! だから気負うな! 生きろ!!」





リオウの後ろ向き、なおかつ気遣う号令に、シュウや近しい人間は苦く笑うしかなかった。
けれども兵士全員が、少年の頼りがいがある様に、逆に鼓舞され、静かに未来への勝ちどきを上げた。





ルカに出会えるまで、あと少し。






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