どうかぼくをころしてください

−零弐▼雷轟音


はじめ|もくじつぎ




男はひとりくさり、サウスウィンドウから少し離れた山へと単身足を運んでいた。




天候は文句の付け所のない快晴、雲もなく、ふわりと吹き上がる風はうっすらと汗ばんだ肌に心地が良い。
時折夏草と花の香りがまじる美しい世界のなか、男は相も変わらず不満をにじませた表情で歩き続けている。




簡単な黒の揃えに蒼いマントを羽織るその姿は、浅黒い肌と髪に映え、遠くからでも高貴さを漂わせていた。




「俺に先陣を切らせればよいものを……」




そうすれば部下に与えるまでもなく屍の城を築いてやれるのに、と男は歯ぎしりをした。




この男……ハイランドの皇子、ルカ・ブライトがくさり、ひとり歩いているのはここに理由があった。





皇子のさっさと同盟軍本拠地を叩いてしまえと言う短気な言葉に、軍師クラウスは難色を示した。
シミュレートすれば、そのやり方は賢くない、と。四方からつまれて投了になる、と言うのだ。




俺が居ればそんなことにもならん、と真実を述べてやっても、クラウスは首を縦に振らず……
自分の思い通りにいかない皇子はトゥーリバー制圧を任せ、サウスウィンドウでつかの間の休日を過ごすことを決めたのだった。





ルカ・ブライトはその軍議の雰囲気の重苦しさと煩わしさをひとたび思い出し、舌打ちすると草場に隠れていた蛙をけり潰した。
さっさと獣でも狩って憂さ晴らしをしよう……このあたりには手強く面白いものはあるだろうか……
キャロの避暑地近くの山で遊んでいた記憶を思い出しながら、皇子は山へと足を踏み入れていく。





うっそうと茂る草木は、ハイランドとは違い熱気と湿度にあふれていた。
湿り気を帯びていても涼しかった地元とは違い、焼けた石が発するような熱気を土や草が発散させている。





鎧を脱いできていて正解だった、侍女や官僚の苦言を振り払ってきた自分を自ら褒め称えていると、山は草を鳴らして獣の気配を伝えてきた。
皇子は鍛え直した自身の剣をさやから引き抜き、熱気を一刀で振り払う。冷たいまっすぐな音は、熱さを一瞬忘れさせてくれる。
そして、狩りの本能を研ぎ澄ませていく。





体を低くし、両手で剣を腰に固定し、草原を突っ切っていく。
鋭利な草が体をかすめていく感覚にルカ・ブライトは高揚感を覚えていく。夜の奇襲、村の焼き払い。
人間が積み上げていったものを一瞬にして握りつぶすあの快楽。
それにはとうてい及ばずとも、命を奪い取る感覚は、むなしさに近いところで男を愉悦に浸らせる。





でかい鼠や二つ頭の大蛇をのしてしまうと、一瞬にして空間が重く、湿気を倍増させていった。
見上げれば、先ほどまでは確認できなかったまっ黒な雨雲が、山の全てを押し包むように出来上がっていく。





皇子は先ほどの喜びとはまたちがった悪寒を体に走らせた。それは心が発する危険信号だ。
大きな石臼を引くような重い音が一帯に響きだし、皇子はこわばる足を無理矢理動かしながらしのげる場所をさがして走った。











獣を追い深くまでやってきていたことを悔やみながらも、丁度いい洞穴に体を潜めることに成功し、男は息をついた。
木々の隙間から見える雨雲を伺えば、合間合間に光の稲穂が走っていく。
雨が降るのも時間の問題か、と皇子は洞穴の中腹で腰を下ろし、自身の肩を抱いて縮こまった。





雨の音と雷の音と深い湿気の波、幼い頃心に刻みつけられた、男の唯一恐ろしいものだ。





どこかもわからぬ石の部屋、石の壁に不躾な窓、そこ打ち付ける雨の軌跡を雷光と轟音が見せつけてくる。
熱気は湿気を孕み、男と母親の生み出す空気と混じり合い、膨張し、幼い皇子の鼻腔になすりつけていく。
耳をふさぎ目をふさぎ、部屋の角に小さく体をたたみ、耐えても、匂いと空気感覚からは逃げられなかった。
すっぱく、まったりとしたにおい。耐えきれず喉の奥から苦いものがあがる。




いつまで雨が降るたびに震え上がらなければならないのか。
男は自嘲しつつもあがってくる苦い水を飲みこむことに躍起になる。





「……あ、先客がいましたか、相席大丈夫ですか? なんちゃって」






第三者の声にルカ・ブライトははじかれるように入り口を見た。
そこには雨に濡れそぼり、しずくを規則正しくひびかせる少年の輪郭。
何度か見たことのあるそのフォルムに、男は眉を寄せた。
と同時にそばに居てくれる人物が現れただけで安堵している自分に歯がみした。





「貴様、ユニコーン少年兵隊にいたやつだな……」
「あれ? ぼくのことご存じなんですか……ルカ皇子」
「知っているもなにも……」





男は反論しようとしてやめた。
安心感で言葉がゆるんでいる自分に気がついたということもあるが、さも自然に横に並んで座る少年に違和感を感じたからだ。
この子供は、奇妙だった。





ルカ・ブライトは思い出す。





ユニコーン隊を殺しに行った際、無言でそばにやってこようとした少年。殺されると思わなかったのだろうか。
濡れた髪をかき上げて襟足で水を絞る姿をいぶかしげに眺めていると、目があった。





「同盟軍のリーダーがここにいることがふしぎですか」





そうではなかったが、なんとなくうなずいてみせると少年は明るく笑った。





「ちょっとお金を悪ガキにすられちゃって。資金集めに狩りをしていたんですよ」





その途中で降られちゃって、仲間とはぐれました、と続く。





「ルカ皇子も狩りの途中雷雨に遭遇したクチですか?」
「まあな……」





雷の怒りを含んだような唸りにルカ・ブライトは肯定する一言を口にするだけでいっぱいになる。
そして洞穴の入り口……男から見た出口から、光と雨の走るかたちが浮かび上がり、吠えるような轟音が続いた。





思わずかたまり、かみ合わない歯を必死に隠していると、少年がこちらの異変を確かめるように眺めてくる。
何を考えているのかわからない瞳に、男は自らのプライドからか、そらすことも瞑ることもせず視線を許容した。





「雷、怖いんですか?」
「フン……貴様、殺すなら今が好機だぞ」
「殺すなんて……今日はお互い、お休みの日でしょう? そういうのは、なしの日です」






頭のどこにもそんなこと考えてませんでした、と言う顔をして、少年はしめったグローブを外し、その手を男の背に置いた。
ゆっくりとたたき、さするその手は頼りなく、冷たいもので、安心というよりもつたない不安感を男に与えていく。






「……そうですよね、いやですよね……こんな天気」
「無理して話を合わす必要など無い……貴様は敵で家臣ではないだろう」






震えた声で嫌みを言えば、まあまあ、と返ってくる。変な子供だ。
少年と一緒にいたジョウイは頭の切れる人物で、ルカも面白く見ていたのだが、このリオウという人物はそういったものではなく、
なにか、どこか、ほの暗い感覚を与えてくる。アンバランスで手をさしのべたくなるような……いや、そんな気持ちになるのもおかしいか。
男は自分の考えに息をつき、背中を流れる手のひらを忘れようとした。







「山の雨だから、もうすぐ終わりますよ」
「そうか」






背中の手のひらはじんわりとあたたかくなり、ルカ・ブライトはなぜか泣きたい気持ちになってくる。
この手のひらが幼い頃にあれば、という後悔とも悔しさともちがう複雑な気持ちを抱いたからかも知れない。






「雷は神様の部屋の模様替えなんですよ」






まるで乳飲み子に話しかけるようなゆっくりとした声でリオウは続ける。






「だから怖がらなくて良いんです……大丈夫なんですよ……」






「つらい思いをさせて、ごめんなさい」






どうして貴様が謝るのか、声に出すのも億劫なぐらい、男は眠気に支配されていた。
暖かな手のひらを忘れようとしながら、その感覚が眠りへと男を誘っていった。











鳥と虫のざわめきに、男は意識を取り戻した。
傍らにはひざをかかえるように座る同盟軍主、リオウの姿がある。
夢ではなかったのか、とルカ・ブライトは片手で顔をぬぐうようにさらなる頭の覚醒を促した。





「半刻も経ってませんよ」
「そうか」
「ね、言ったとおりだったでしょ」





やはり、少年が笑う姿に違和感を感じた男は、手探りで剣のかたちを確認した。
もしや自分の眠っている間に仲間を呼び、一網打尽にする気なのではと、己の起こした行動に皇子は歯をきつくかんだ。





「あ、ぼくを殺しますか?」
「貴様、何を言う」
「だって、皇子様の憎い敵じゃないですか」





にこにこ笑う少年の真意を、男は測りきれない。





「いいですよ。雨もやんだし、死骸は誰か見つけてくれるでしょうし」





……虚無だ、とルカ・ブライトは違和感の正体にやっと名前をつけることが出来た。
この人間から、生きる事への渇望が感じられないのだ。





死にたくない、と懇願し、豚のまねまでした女が、人間らしいと言うならば、
リオウはまねしないから殺してください、とこちらが戸惑うことを唱えるのではないか。





明るい目、明るい肌、明るい声、優しい表情。その全部が無に感じられ、男ははじめて萎縮した。





「今は……役割など関係ないのだろう……」




「そうですか、殺しませんか。まあ、またの機会に。たくさん、その機会はありますからね」
「ああ……」





リオウはルカ・ブライトに改めてにじり寄ると、やさしく手をさしだしてくる。
反射的にさしだし返すと、やさしく両手で包み込み、握手される。





「ここで出会えて、話が出来て良かったです」
「…………」





この場は、俺もだ、と言うべきなのだろうか。




むしろ話さないほうがよかった、自分は、と皇子は思う。
どうして虚無を抱くのか、殺して欲しそうな言葉を発するのか、そんなにやさしくするのか……
敵として破壊する対象から、ただその人となりを知りたいという、はじめて抱く感情に変化しようとしているからだ。
複雑な感情を抱く相手に敵を据えるのは、一国を担う身として良しと出来るものではない。





「ぼくたちはやっぱり戦わなくちゃ」





意識を改めたようなリオウの声に、ルカ・ブライトは肯定も否定も出来なかった。
俺はこの小さな敵をどうしたいのだろう。





雷雨の恐怖よりも、幼い記憶よりも、不可解な感情を考えることがだんだんとルカ・ブライトの日課となっていくのだろうか。
お互いに武具ダコのある手のひらの感触を感じ取りながら、むなしさを体現する少年を自分は殺せるのか、と自問し、
即座に否の答えが浮かんだ。





これが少年の狙いだとすれば、ジョウイよりも頭の切れる、恐ろしい人物だ、と後に皇子は自嘲することになるだろう。
そうして雷轟音の思い出は、いつしかトラウマをすり替えていくのだった。





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