滑稽な平行世界論理
eX02:歪んだ肉塊あるいは精神、あるいは思想その変化
好きだ、と震える声を男は静かに聞いていた、否、自らの腕を抱き、衝動に静かに耐えていた。
寒い国の冷たい部屋は、夜の行為によって湿気を含み、息苦しい熱情の残り香を漂わせている。
同性同士の営みは娼館で嗅ぐような匂い立つものではなく、ふしぎな酸味の中に香ばしさを含んでいる。
男は部屋の雰囲気をあらためることで自身の感覚をおぼろげにし、自らのいいようにした少年……の言葉を聞いていた。
男は気付かれぬように歯がみする。
少年の自己完結の言葉にいらだっているのだ。
思わず体をよじり布擦れの音をひびかせると、少年のしゃくり上げる声が止まった。
起きていることに気付かれたか、と腕の拘束を解こうとしたが、声は続いたため、また体に力を入れた。
少年が他人よりも永く生きることぐらい男は理解していたし、それによる対処法も考えているというのに、
どうして一方的な思想でのみ動こうとするのか、考えれば考えるほどわからなくなった。
だが、一理もあるのだ。
少年が数日そばに居ない間の空虚な世界。
一年も前ならば日常であるはずのその世界がひどく億劫なものであったことを男は思い出す。
誰も踏み込もうとしなかった男の心に少年は不作法に乗り込んできた……それは泥のたくさん付いた靴で思い切り踏みしめるように。
それが新鮮で煩わしく、男は少年を不可思議な生物だとしか感じなかったというのに。
今では誰よりも信頼し恋慕し所有欲を抱くようになってしまっていた。
それは、自分でも異常だと感じていた、少年の居ない三日間の間に己の歪んだ感情と肉塊を再認識していた。
だめだと、危険だと、男も理解した……なのに結果は、感情にまかせ思いを遂げてしまっている。
(リオウ、ひとりで悩むな……)
わかっているのだ、わからないなりに。
だからこそ今、拘束したい衝動を抑え、少年の好きにさせている。
自己完結の言葉を吐かせ、下履きを履かせ、残滓を吐かせ。
歯ぎしりの不快な音を飲みこみながら、シーツに隠した背中で監視する。
扉の開く音、続いて閉じる音が聞こえた。
男は反射的に体を起こした。
整えられた部屋に、放たれた窓は終わった欲情を霧散させていく。
(貴様は大きなまちがいを犯している)
両手で顔を覆い、男は短く息を吐いた。
(何を選んでも、栄光は変わらぬのだ)
それでも、少年が納得するために、離れるというのならばそのようにしてやろう、と男は髪をかき上げる。
必要な半身なのだ、彼には……あの均衡を欠いた少年が。
やさしく受け入れキスを与えてくれた、自分より相手のことを考える、強い人間、出来た人格。
それが自分のそばに居ること……歪んだ精神と肉塊を持つ男にとって、それは神の御息がごとく。
「一方的な別れは別れではない」
男はつぶやき、半身を送り出した扉を見つめた。
「……次は俺の番だ」
少年の全てを受け止めるために、男は決意を新たにする。
白い光が窓の向こう、地平線から昇ってくる。紫色が薄青に変化する、新しい朝。
浅黒い肌を白に溶かしながら、男もベッドから完全に体を分離させた。
依存ではなく、共存を。
悲観的な思想ではなく、楽観的な未来を。
決意が、王の片鱗をあらわにしていく……
……男はすでに少年の知る男ではなくなっていた。