翠湖市伝え書き覚え書き〜ぼくととりまく世界〜

000:世界観伝え書き


はじめ|もくじつづき



二十世紀終わりに建てられた、今は古めのビルが翠湖(すいこ)市二丁目駅前に連なっている。
駅の真っ正面は商店街になっており、やはりそこも現代の風潮に飲まれ、廃れつつあった。
半ばシャッター街と化しつつあるそこを抜けると国道があるが、
そこを横切るようにある市道を通った場所に、この物語の舞台があった。


道を行けば閑静な住宅街、一軒家やアパートが建ち並ぶ。
その端に、古びた日本家屋があった。今では少ない平屋の、大きな屋敷だ。
隣には道場が併設されており、この一角だけは懐かしき日本の空気を漂わせている。


控えめな表札には[田尾]と記されてある。よく見れば道場にも[田尾古武術道場]とあり、
どちらも一個人が所有していると見て取れた。


その家の方へ、ツーブロックの髪型を丁寧にワックスで整えた、高校生くらいの少年が駆け込んでいく。


「テッドさん」


少年を迎え入れたのは、センターで分かれた前髪を持つ、ショートカットの少年だ。
学ランにエプロンといった出で立ちで声をかける。


「あいつ来てる?」


テッドは迎えてくれた少年に笑いかけながらここへ来た目的を口に出す。
問いに肯定する首の傾きを理解すると、まるで我が家のように広い玄関に靴を落とし、下駄箱の上にある水槽を泳ぐ熱帯魚を横目に、すぐそばのふすまを開けた。


テッドの目の前には、二人がけのソファを一人占領し横たわる少年の姿。
五十インチはあるかという液晶テレビを眺めながら手作りと思わしきクッキーに手を伸ばしている。


「まあたお前は家に帰らないでここに来てるのかよ、世話役の澪(みお)さんの愚痴を聞かされるこっちの身にもなれよ」


「どこに来てるかわかるんだから良いだろ、哲人(てつひと)」
「なんだよ、あだ名で呼ばないなんて、機嫌悪いのか? ティル」


ティルと呼ばれた少年は横柄な態度のまま、テレビを見続けている。


「べーつーにー」
「なんかあっただろー?」


否定し続けるティルと、下手に出続けるテッド。その押し問答の先は、
元気な少女の帰宅を告げる声で一旦停止した。


「ただいまー! お姉ちゃん帰ってきたよー! おなかすいたー理央(りおう)ー!」


リオウと呼ばれたのはエプロン姿の少年だ。
彼は声がしたとたん、子犬のような人なつこさで玄関に駆け寄り、声の主、姉の荷物を受け取った。


「今日はテッド君も来てるんだ、めずらしいねえ」
「うん、そのことなんだけど、菜々実(ななみ)」


リオウがことのあらましを説明しようとする前に、一家の主も続いて帰宅した。


「ただいま」
「あー、おじいちゃん、お帰りー!」
「おかえりなさい」


リオウは祖父の荷物も受け取ると、くつろぎに今へ向かう二人の横を通り過ぎ、おのおのの部屋へと荷物を置いた。
その後彼は夕餉の支度を再開する。リオウがこのように家事をかいがいしく行うには理由があった。


彼ら姉弟の両親は離婚し、母方の祖父である厳画(げんかく)の元に身を寄せることになったのだが、母すらも音信不通となり、実質、祖父がふたりの世話をすることになったのだ。
小さく古いアパートの賃貸業と道場の経営で保たれている生活に、いきなり子供がふたり介入するとなれば、いろいろと生活が苦しくなってくるのは明白だ。
姉弟もそれを心苦しく思い、出来るだけ負担をかけないという名目で協力することにした。
高校生の姉はアルバイトを、中学生の弟は学校でアルバイトを禁止されているため、その分、家事を手伝うことで協力している。


そういったわけで、リオウが甲斐甲斐しく家事を行っていることに疑問を持たないでやって欲しい。
さて、それではリオウの食事の準備も整い、全員が食卓へ着いたようだ。話を元に戻そう。


テーブルに着いているのは、祖父、菜々実、理央、テッド、ティルの五人だ。
円形の食卓の中央にはサラダの大皿があり、各自が好きなように器に盛った。
コンソメスープと目玉焼きをのせたハンバーグが並び、よそわれた白飯はみずみずしい湯気を立ち上らせている。


「そういえば、アパートの空室がなくなった」
「ええ!? ほんと!? よかったね、ね、ね、どんな人? おじいちゃん? おばあちゃん?」
「若い男だ」
「あのおじいちゃんとおばあちゃんばっかりのアパートに?」


「気になるのか、菜々実も年頃だなあ」


テッドの茶々に菜々実はにらみで応戦した。ティルは会話に興味もなく、からになった茶碗を理央に差し出す。


「そのうち家賃を持ってくるだろうから、楽しみにしていなさい」
「おじいちゃんまで! ひどいよ!」


祖父のからかい混じりの笑い声に、菜々実は頬をふくらませる。


「めずらしくテッド君まで居るとは、どうしたのかな?」


湯飲みを傾けながら本題に移す厳画の声は静かにその場を制した。


「……親父が、再婚したいって」


ぼそっとつぶいやいたティルの言葉を深く咀嚼しながら祖父はうなずく。


「別にさ、好きにすればいいと思うよ。でも相手がぼくの家庭教師っていつの間にだよ手が早いよ年齢差考えろよとかいろいろ考えてたらだんだん顔を合わせづらくなって」


祖父はなおもゆっくりとうなずき、テッドは合点がいったと目を見開く。
菜々実は神妙にティルを見つめ、理央はよそったご飯をそばに置いた。


「好きなだけここにいると良い。自分の中で完全に折り合いが付くまで」
「でもそれじゃ、ゲンカク老師に迷惑がかかりますから」
「何を言う、こうして食卓を囲むのはいつものことじゃないか……そうだな、カイの道場に通っていた君と理央が手合わせをしてからだから……五年ほどか、それだけ一緒なら家族も同然だ」
「……ありがとう、ございます」


礼を言い、うなだれながらも箸を動かすティルの姿に一同がほっと息をつくと、和やかな食事が再開された。


「そっかー、ティル君が入り浸るようになってそんなに経つのかあ」


でもなんでだっけ? と続く菜々実の言葉に、理央が申し訳なさそうに口を開いた。


「決着が付かなかったから……ですよね、それで再戦を申し込むためにティルさんが通ってくれていたんですけどぼくがどうしても手合が出来なくて……」


菜々実もそこまで聞いてはっと口をつぐんだ。
その頃、母親がふたりの前から消えたことを思い出したからだ。


「もういいよ、そういう過去のことは。今の目的なんてここでご飯を食べてだらだらしたいだけなんだから」


ティルがご飯を掻き込みながら話を遮る。


自分たちの今ある世界は、何か不安定なものが重なってバランスを保っているようだ、と理央はテーブルに着いた面々をあらためていた。


物語の舞台は、こうした不安定な現代社会。
その中でなんでもない普通の日々を過ごす彼らも、また世界の一つ。



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