リオウは歌いながらもいつもと違う違和感に戸惑っていた。
歌うそばから視界をルカ・ブライトがせわしなく動いているからだ。
はさみの音が不規則なのも、リオウの中のリズム感を狂わせていく要因だ。
「リオウ、歌をやめてこっちへ来てみろ」
そろそろ休憩したかった頃だと、リオウはタイミングの良さに喜んでルカ・ブライトのそばへ寄った。
「見ろ、これは母上が大事に育ててきた、ジルという品種だ」
寒い地域であるにもかかわらず、紫がかったピンクの花はみずみずしくそこにある。
「この花の名前……お姫様の」
「そうだ。母は女が生まれたらバラの名前をつける、といっていたからな」
「お母さんは?」
「……ジルを生んで死んだ」
「そう、か……お母さんの分まで、ルカが世話をしてるんだね」
「久々に生き生きとした花を見た。お前の歌のおかげだろう」
頭を軽く叩いてくるルカをじっと見つめ、リオウはただ単にバラのために自分をおいておきたかったのか、と思った。母親の分までバラを育てようとするなんて、滅多に出来るものではないと、子供の頃バラの世話は難しいと小耳に挟んだことがあるリオウには容易に理解できる。
「ルカも、歌いながら世話をすればいいのに」
「馬鹿を言うな」
鼻から息が抜ける音がして、ルカが笑う。
リオウは変な気持ちになる。ひどいことも言えばひどいことを簡単にやってのけるこの男は、一体どんな人物なのだろうと。自分に向ける表情と、ジョウイたちに向ける表情の違い。
血の近い人間に優しいと言うことなのだろうか。自分がもし、血の近しい人間でなければ、こんな風に接してくれることはなくなるのだろうか?
そう考える自分にリオウは気持ち悪くなる。
「……歌え」
突然、ルカの声色が変わり、ざわついた表情に変わる。
気持ち悪さを隠すように、何を疑うこともなく、歌い始める。
ルカもまた、バラに向かって作業を始める。
程なくしてそこに現れたのは片手に剣を携えたジョウイだった。
ルカ・ブライトの目の前で殺すことで忠誠の厚さを見てもらおうと考えているのだろうか、
磨かれた剣はきらめいている。
「リオウ、すまない……」
謝るジョウイの視線は、リオウに向かわず、こちらに背を向けているルカに注がれている。
なにかがおかしい、とそう思ったときには、ジョウイはルカの背中めがけて殺意をとがらせていた。勘づいたリオウも歌をやめ、ジョウイに向かい体を動かす。
振り下ろされる剣を、リオウはとっさに伸ばした腕でつかみ、その軌道を止めた。
「ジョウイ、君は間違ってる」
「リオウ、それは君だ!」
したたり落ちる血ですらかまうことなく、ジョウイとリオウはお互いの表情を読み取ることに必死だ。
「ジョウイは、ルカ・ブライトを知ろうとはしないのか!?」
「知ろうとしたさ! それでも僕は、この男がどうしても許せない! 君こそおかしいよ、こいつに何をされた!? 全てを奪われたじゃないか!」
ジョウイの言葉は正論だ。それだけに心も痛い。
「それが貴様の答えか」
ゆっくりとルカ・ブライトが立ち上がる。
リオウの後ろから剣を握り、ルカもまた血を流す。
「リオウ、お前も矛盾した人間だな、親友ではなく俺を守るのか」
自由な方の腕が、リオウから剣を離す。そしてそのまま脇に寄せると、ジョウイとルカ・ブライトが向き合うかたちになる。
「力を込めて俺を殺せ。いずれはそうするつもりだったのだろう? ジルを手に入れ、俺とともに父親を殺し、そうして有頂天になった俺を同盟軍に殺させるつもりだったのだろう?」
「どうして、それを……!」
「貴様が信用できなかったからな。カゲを潜ませておいた。リオウがいたことで、さらに確証が持てたわけだが」
ジョウイの腕が震える。そうだ、ここで行動を起こせば、ルルノイエは内部から破壊できる。
言い得てみればバラの咲き誇るこの中庭が、戦場の最前線なのだ。
「うおおおおお!」
ジョウイは意を決したかのように吠え、ルカの手のひらごと刃を振り下ろした。
ルカは痛みに顔をゆがめることもなく、傷口に左手をかざした。
裂傷はゆっくりとふさがっていく。
「何をしている? それでは俺はいつまで経っても死なない」
「それは……獣の紋章!」
紋章に気がついたジョウイの表情はみるみる険しくなっていき、剣技は熾烈を極めていく。
それを余裕で払い、ルカ・ブライトは火の海で見せたような笑顔を浮かべた。
「あれから少しはましになったようだが、まだまだだな」
ルカは力を込めると受け止めた刃ごとジョウイを投げ飛ばした。
ふたりの戦いに目を奪われていたリオウは我に返りジョウイに向かい駆け寄る。
意識を失ったその体をゆっくりと抱き上げた。
「お前は誰の味方だ?」
苦々しい声のルカ・ブライトをまっすぐに見つめ、リオウは答えた。
「ぼくは、ぼくの信じる全ての味方だ」
「お前の考えていることは、混沌の中にあるようだな」
ルカの言葉に気を止めることなく、リオウは盾の紋章の力でジョウイを癒していく。
ゆっくりと意識を取り戻していくジョウイにリオウは安堵した。
しかしその端から、男の痛烈な言葉が飛んだ。
「ジョウイ・アトレイドを牢へ入れろ!」
ジョウイの表情にかげりが差した。