愛しきワタバナの子よ

麗しき凰の鳥


まえもくじつづき




寝静まったティルの腕の中にコトはいた。
幼子は眠ることなく、腹に置かれたティルの右手を慈しむように握っている。
クレオが扉を開け、コトの瞳があいていることに気がついたとき何ともばつの悪い気持ちがわき起こったが、
コトは泣くでもなくわめくでもなく、その身をクレオにあっさりと引き渡した。
 
「コトをよろしくお願いします」
「ああ」
 
毛布にくるまれたコトをしっかりと体に固定したテオは、栗毛の立派な馬にまたがり、グレッグミンスターを後にした。
ここから森を抜け、バナーの村からの船で都市同盟の街、ラダトへ向かう。
そこからまた馬を駆り峠を越えて、幼子を預ける土地へと向かうのだ。
目的地に着く頃には昨夜から再びの夕闇を迎えていた。
 
静かに涼しい、高原の避暑地。
カレッカとは違い洗練された街ではあるが、気温はほんの少しだけ幼子の故郷に似ている。
町外れの道場のそばにある大きな木に馬を止めると、
いつまでも静かな幼子を地面に降ろした。
馬酔いなのか、その足はふらふらとし、大木に手をついて幼子は息を整えている。
たいした子供だとテオは感じ入っていた。
馬と船と、大がかりな移動は幼い子供にとって退屈と苦痛に満ちたものであったろうに、
何一つ声を出さず、透明な瞳は風景を映し続けていた。
 
「大丈夫か」
 
テオが声を掛けると幼子は頷き、その足下へ歩み寄ってくる。
手を伸ばせば物怖じすることなくその手をつかんでくる。
小さな歩幅に合わせて歩き出せば、幼子はようやく幼子らしく周りをきょろきょろと見回し始める。
そんな挙動一つに安心すると、古びた道場の扉を叩いた。
 
「ゲンカクどのはご在宅か」
 
扉を開けた幼子よりも幾分しっかりした表情の少女に声を掛けると、慌てた様子で道場の奥へと走っていってしまう。
 
「おじいちゃん! きたよ、きたきた! 私の弟だよね!」
 
少女の物言いに苦笑しながら幼子に顔を向けると、やはりきょとんとした瞳がテオを見つめていた。
 
「よくいらっしゃいましたな、マクドール殿」
「……無礼を承知の申し出を快く了解してくださり、感謝しております」
「いえ、そのような堅苦しい言葉はやめてください」
 
ゲンカクであろう初老の男は緩やかな道着で二人を出迎えた。
膝を折り、幼い子供にもまっすぐに礼をする。
 
「ナナミ、弟に食事を用意してあげなさい」
「はーい!」
「私とお客人には、酒を頼んだよ」
「はーい!」
 
ナナミと呼ばれた少女は幼子の手を取り、腕が外れるのではと危惧するほどに振り上げながら道場の奥へと向かう。テオは老師に促されるまま、ゲンカクの部屋へ通された。
 
差し出された透明な酒に口をつけながら、ろうそくの柔らかな明かりの下、男ふたりは会話を始める。
遠くには子供の声が響き、ゆったりとした雰囲気が流れている。
 
「あの子は、国に裏切られたわけですな」
「……大変、申し訳なく思っております」
「だからこそ、私は引き取ろうと思ったのです。もう二度と、裏切られることを経験してほしくない」
「…………」
 
ゲンカク老師はその昔、都市同盟のために尽力した将の一人だった。
しかし守り続けてきたものの陰謀に陥れられてしまったと聞いている。
それを誰に話すこともなく、こうして静かに隠居生活を続けているのだ。
どこまでも義に厚いこの老師に、テオは尊敬にも似た感情を抱いていた。
 
「して、あの子の名前は何と言いますか」
「あの子にまだ名はありません。ですから、コトと呼んでおりました」
「コト……愛しきワタバナの子……今は亡き村の優しい言葉ですな」
「はい。ですからもうその名は無くしてしまった方がよいかもしれません。息子のためにも」
「どういう事ですかね」
「息子があの子を好いていましてね、名前が何らかのかたちで息子の耳に入れば、何か行動を起こしてしまいそうで私には怖いのです」
「それはそれは、父上も大変なものですな」
「まったく……」
 
テオの苦い笑いに、ゲンカクはもう一献、と酒を勧めた。
 
「ここへ連れてくるのも一苦労だったのでしょうな」
「ええ、息子が眠っている間に連れ出しました。正直、帰るのが怖い」
 
二人はそこでひとしきり笑う。
 
「ほう、と息子が声に出せば、おう、と声を出すのがあの子だと、付き人から聞かされたときにはうちで育てるのがいいのかと思いましたが、今の情勢を考えると」
「あの子を思ってのことだと、ご子息も理解してくれるでしょう」
「だとよいのですが」
 
老師はそこで窓から夜空を見つめた。
高原にあるこの場所は空気が澄んでおり、その分鮮やかな藍色に銀が散らばって光っていた。
 
「もう夜も更けた。今日はこちらでゆっくりお休みください」
「ええ、しかし職務もありますので、日が昇る前にはおいとまいたしましょう」
 
では食事を用意しておきましょう、と老師は言うと、テオを残しその部屋を後にした。
テオは器に残された酒に夜空を映し、一気にあおり、硬いベッドに身を横たえた。
そして幼子の新しい人生を思い、目を閉じた。
 
ゲンカク老師はふたりの子供の寝顔を見つめながら微笑んだ。
幼子と同じように孤児であったナナミと、新たに家族となる子供。
その子供達のほおを撫で、老師は考える。
 
ほうと鳴けばおうと答える、それはまるで炎を模した尊き鳥のことのよう。
テオ殿の息子が執心するほどに大切な子供。
 
麗しき凰の鳥。
 
「リオウ……お前の名はリオウだ。愛しきワタバナの子よ」
 
老師がリオウの頬を撫でてやると、その子供の頬は優しくゆるんだ。


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