鈴虫

リリリリリリ…


恋人である梶井基次郎の仕事場。
そこのベランダに、私はぼうっと立っていた。
もう夏は終わりに近づいている。微かに聞こえる鈴虫の声と、肌に吹き付ける冷たい風がその証拠だ。
夕方になればツクツクボウシが鳴くし、陽が落ちるのも早くなって来た。あんなに長かった一日が、何だかあっという間だ。
何やらもの寂しそうに鳴く鈴虫の声を聞きながら、夜空に瞬く星を見上げる。


「何してるの?」


ガラガラと窓を開けてやって来たのは、相変わらずの奇特な格好の恋人。
カコカコと下駄を鳴らして、私の隣へやって来る。
私の視線の先を見詰めた後、こちらを見る。


「何見てるのさ」


いつもと変わらない星空だ。
無論多少は星の配置が変わっているのかもしれないが、星に詳しくない私には分からない。寧ろ梶井さんの方が詳しいのではないだろうか。
とまぁ、そんな代わり映えのしない空を眺めているのが、彼にとって不思議でならないようだ。


「何だか、寂しいなぁって」


「なにが」


質問の答えになっていない解答に、梶井さんはまた質問を重ねる。
ゴーグルを外して、目を細め星を睨むように眺めていた。


「夏の終わりが近いから、でしょうか」


言葉に出したら、何だか急に寂しくなった。さっきよりも、ずっとだ。
リリリリ、鈴虫達は話すのをやめない。


「あぁ、確かにそうだね。もう涼しくなって来たし…っていうか、何で零時は夏が終わるのが寂しいんだい」


「…何ででしょう。私も、よく分からなくて」


毎年毎年、当然のようにやって来る夏。そしてまた、当然のように過ぎ去る夏。
私だって、幾度となく夏を歩いて来た。
いつからだろう、夏の終わりがこんなにも寂しくなったのは。
風鈴の音が、煩わしい蝉の声が、室内に戻って来た時の涼しさが、嫌になる程の暑さが、こんなにも恋しくなったのは。


「え、あれ、そんな、泣かないでよ」


「え、わたし泣いてますか、?」


「泣いてるよ。…あぁほら、泣かないで。きみの泣き顔を見たら、どうすればいいのか分からなくなるんだ」


彼の手が伸びて来て、そっと涙を拭われる。
ハンカチなんて洒落たものは生憎持ってないんでね、なんてからかうように言われたけれど、私は何も言えなかった。
リリリリリリ。
風の音に紛れて、ないている。


「…梶井さんは、いなくなったりしませんか」


「え?」


「夏が終わっても寂しくないように、夏が来ても憂鬱じゃないように、私の傍にいてくれますか?」


危険だらけな梶井さんの仕事は、よく分かっているつもりだ。
いつ帰って来なくなるかも分からないし、胸をはれる仕事でもない。
どれだけ危険を犯したって、人から非難され続けるような仕事だ。けれど、だからこそ、彼を支えたいと思った。
感傷的な夏の夜に、そっと傍にいてくれる彼の隣に、ずっといたいと思った。
きっと彼がいなくなったら、私一人になってしまったら、この夏を越えられない気がしたから。私はその夏で立ち止まって、歩き出せやしない気がしたから。


「不安?」


ゴーグル越しでない瞳が、そっと私に微笑みかけた。
否定することも、肯定することもせずに、ただそっと静かに、私達の夏の終わりが始まったのだった。


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twitterで話題にあがったので、久々の梶井さんです。
夏の終わりは感傷的になってしまって駄目ですね…(:3_ヽ)_




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