蝉の声


ジジジジジ…

夏だ。
煩いほどに、蝉が鳴いている。
大合唱だ、なんて甘い表現じゃあ伝わらない。
沢山の蝉が、鳴いている。
通常文面で表すならば、

ミーンミンミンミー

なんてミンミンゼミの鳴き声を出したりするが、普通アブラゼミの方が割合は高い。
よって街を歩いていても、聞こえてくるのはアブラゼミの耳障りな音だけなのだ。

隣で黙々と歩く男、古橋康次郎は、そんな声が聞こえているかいないか分からない程に、無表情だった。


「古橋くん、」


呼び掛けると、彼は今私の存在に気付いたかのように此方を見る。
その目には何も映っていなくて、本当に今私の声が聞こえたのかどうかも定かではなかった。

だが勿論のこと、彼の額にもうっすらと汗が浮かんでおり、何やら安心した。
まるで人間じみていない人だな、なんて実感する。


「蝉、うるさいね。」


頭痛くなってくるよ、と付け足すと、彼は考え込むような様子を見せる。
その間にも蝉はジィジィと鳴いていて、全く静かになることを知らない。
照りつける日差しを直に受けつつその声を聞くと、もう夏になったんだと今更ながら実感する。
あんなに寒かった冬の事などもう覚えていない、人とは何故こうも楽観的なのか。

やれやれ、なんて考えて、額の汗を拭うと、隣の男はぽつりと話し出した。
まるで蝉の声にかき消されそうな声だった。


「蝉は確かに、煩いな。」


それだけ言うと、彼は顔を顰める。
陽射しの強い空を睨み付けている。


「だが、蝉が静かになると、夏が終わりに近付いている事に気付いて急に寂しくなる。
今日みたいな暑い日は、あんなに夏を拒んでいたと言うのに」


馬鹿馬鹿しいな、なんて首を傾げるのは止めて欲しい。
まだ終わる筈のない夏が遠ざかる、煩い蝉の声が消えてしまった。
一瞬だけ、私は夏の終わりを目にしたのだ。




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蝉の声は、わりと嫌いじゃないです。



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