嫉妬する彼の台詞 | ナノ



「か、可愛い…!」


夕暮れの公園。
草むらの陰から出て来たのは、一匹の子猫だ。
真っ黒で艶やかな毛並み、何処か凛とした瞳。
私の彼氏…古橋康次郎に何処と無く似ていた。


「昨日部活帰りに見付けたんだ。
零時が好きそうだと思ってな」


隣でそう呟く男子こそ、先程言った私の彼氏だ。
この猫は、どうやら彼が見付けてくれたらしい。
私と言えば、何やら見せたいものがあると古橋くんに言われ、彼の部活が終わるまで待っていた。そうしてこの公園へと来たのである。
なので辺りは夕焼け色に焼けているのだけれども、黒猫は艶やかな毛並みで光を反射してきらきらと輝いていた。
二人で猫の前にしゃがみ込んで、猫をじっと見つめる。


「何だか古橋くんに似てるね、この猫」


「…そうか?」


「うん。
毛の色も、凛とした態度とか瞳も。
これからこの子のこと『康次郎』って呼ぼうかなぁ」


にゃぉうん、と鳴きながら私の手に擦り寄ってくる猫を撫でながら、そんな事を言ってみる。
流石に猫に似てると言われたら、気分を悪くするだろうか。
私としては、自分が動物に例えられる事は多々あるし嫌いではない。
女子の好きな『心理テスト』のようなものだ。
だが古橋くんは男の子だし、感情が表に出にくい。
本当に嫌でも、言葉だけで騙せてしまう事があるのだ。
私としてはそのような事は好きではないので、なるべく古橋くんの考えている事を理解しようと日々努めている。
だが、まだそれも完全ではない。

そう考えてふと古橋くんの方を見ると、案の定むすっとした表情だ。
無論ほぼ表情は変わっていない。
少しだけ眉間に皺が寄って…不機嫌な表情を作っている。
これを読み取れる人は数少ないのでは無いかと豪語しちゃったり。
つまり、これが彼女としての私の努力の成果と言うことだ。


「やっぱり嫌だったかな、猫に似てる、なんて言われるの」


「別に、猫に似ているのが嫌な訳じゃない。
俺が嫌なのは、何ヶ月も付き合っている筈の彼氏である俺が、さっき会ったばかりの猫に負けていると言う事だ。」


「え、」


それってどういうこと?
そう聞こうとしたら、康次郎がにゃあおぅんと鳴いた。
いや、でもね康次郎、私全然分からない。
身長だって頭の良さだって、顔だって声だって全部全部…古橋くんの方が勝っている筈なのに。
何が『負けている』と言うのだろう。
心底不思議そうに首を傾げていると、古橋くんが溜息をついた。
康次郎を撫でる私の手に、そっと自らの手を重ねる。
そうして、ぽつり。


「…名前。」


「…え?」


「その猫は『康次郎』と呼んでいるのに、俺の事はいつまで経っても『古橋くん』だ。
好きな女子が自分の名前を呼んでいるのに、その子の視線は自分に向いていないとなると、良い気分ではないな。」


そう言いながら、指を絡めて来る古橋くん。
彼が触れている場所から、私の手は熱を持っていく。
そして彼は何を思ったか、ゆっくり距離を詰めて私の耳元で囁いたのだ。


「…名前、呼んで」


掠れたようなその声が、鼓膜をくすぐる。
ひゃあ、なんて色気のない声が出た。
それでも古橋くんは囁くのを止めない。
拒んだって、運動部の男子に力で敵う訳がない。
簡単に押し戻されて、諭される。
名前を呼べ、と。


「名前で、呼んでくれ。
康次郎、と、その声で」


びくり。
身体が跳ねた。身体が熱い。
古橋くんの吐息が直ぐそこに聞こえて、びくりとする。
名前を呼ぶのも恥ずかしいけれど、今の状況に比べれば全くマシだ。
意を決して、私は口を開く。
上手く話せない、声が震える。


「…こ、こう、じろう…、」


「…だめ。足りない、もっと、」


「…こうじろ、康次郎、っ、こう、じろう…!」


何度も何度もその言葉を繰り返す。
もう良いかと口を閉じれば、またも耳元で『もっと』と囁かれる。
顔が熱くて、くらくらする。
何度も何度も繰り返して、最早何度目かも分からなくなった私に、古橋くんは深くキスをした。
酸欠になっても離してくれなくて、ばたばたと暴れる。
やっと離してくれたと思ったら、古橋くんは瞳を揺らして此方を見た。


「…今呼んだのは、俺?
それとも、この猫?」


当然古橋くんに決まっているのだが、ささやかな反抗の意を込めて「猫」と答えた。
案の定古橋くんはまたむっとしたのだが、すかさず彼から離れ猫を抱き上げる。


「でもほら古橋くん、康次郎こんなに可愛いんだよ」


必死に誤魔化そうとしている私の努力を知ってか知らずか、古橋くんは私を抱き寄せて、耳元に唇を寄せる。
掠れたような低く甘い声で、そっと呟いた。








俺だけ見てれば

良いだろう。








(ほら、もう一度呼んでみろ。
今度は『俺に向かって』だぞ。)

(うぅ…)



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