はんぶんこ



恋人としてのノボリさんは、優しくて紳士的で、とてもとても素敵な人だ。こんな素敵な人が私の恋人でいいのか、などと無粋なことを思うくらい。それに弟のクダリさんも、私に対してとても親切にしてくれる。
彼らは双子であるらしく(一卵性双生児のため見た目がそっくりだ)、唯一のお兄さんを私みたいなのに取られて嫌な思いをしているんじゃないかと不安だった。しかしそれも杞憂で、クダリさんは私に気さくに話しかけてくれた。
実は最初に見かけたことがあったのは、クダリさんだった。ホームで迷子になっていた子供に優しく声をかけている、優しいお兄さん。そんな姿を見ていたら、声をかけずにはいられなくて。迷惑だろうに、「お手伝いします!」なんて声をかけた。そして無事ご両親を見つけた時、かのサブウェイマスターが二人揃って私にお礼を言ってくれたのだ。現恋人であるノボリさんと出会ったのは、そこが初めてである。なんせサブウェイマスターなんて名前しか聞いたことのないような存在だったから。
そんな都市伝説みたいな彼が、今私の横にいる。それはなんだか、すごく不思議な事に思えた。

「ノボリさん、お疲れ様です。何か飲み物はいかがですか?」

「あぁ、いえ。お気になさらないで下さいまし。わたくしは零時さまと共にいられるだけで、幸せなのですから」

仕事帰りに私の家へ寄ってくれたノボリさんにそう声をかけると、優しく微笑まれた。
そんな風に微笑まれたら、幸せでどうにかなっちゃいそう。なんて、柄にもないことを心の中で言ってみる。

「でも、私も飲みたいですから!一緒にどうですか?」

「えぇ、それならいただきます。いつもありがとうございます」

彼は上品に微笑むと、ネクタイを緩めながらリビングのテーブルへ腰掛けた。
暖かいコーヒーの入った二つのカップをトレイに乗せて、リビングへ向かう。
…入れてから気付いたけど、夜なのにコーヒーってまずくない?
あっ、と自分の失態に気づいてしまったけれど、人から出されたものなら何でも礼儀正しく頂くであろう彼の好意に甘えることにする(以前は大失敗した料理を嬉しそうに食べてくれた。あれは流石に申し訳なかった…)。

「お待たせしました」

彼の利き手の方に取っ手を寄せ、私用のミルクと砂糖を机上に広げる。ノボリさんはいつもコーヒーはブラックで飲む。やはりあの激務だから、カフェインを入れないとやっていけないのだろうか。…その割にクダリさんは見た目通りにこにことしながらコーヒーにどばどばとミルクと砂糖を突っ込むのだけれど…
…と私がコーヒーブレイクをしているクダリさんに想いを馳せていると、何を思ったか目の前のノボリさんはいつもなら入れない角砂糖とぽとりぽとりとコーヒーの中へ突っ込んだ。そしてまたミルクも然り、である。

「珍しいですね」

そう声をかけると、ノボリさんは驚いたように顔を上げた。まるでうたた寝から覚めたような、そんな反応だ。はっと何かに気付いたような。

「疲れたからでしょうか、甘いものが欲しくなるのでございます」

そんな奇妙な反応は一瞬で、今度は照れたように甘いコーヒーをすするノボリさん。
なぁんだ、そういうことか。
やけにクダリさんの仕草と重なった事は気付かないふりをした。もしそのことに目を向けてしまったなら、私は何か重大で、恐ろしいことに気付いてしまうような気がしたから。

「今日もお疲れ様でした」

頭にまとわりつくような不安をはらうようにそうノボリさんに声をかける。しかしまだ、何故だろう、今日は不安が私に延々と囁きかける。いっそのこと口にしてしまえ、と、甘く囁く。
本人に聞いて、否定して貰えばいいじゃないか。
そうできればどれだけ楽か。
しかし面倒なことに、この不安を口にしたら、現実のものになってしまうような気がするのだ。
この幸せな日常が壊れてしまう。そんなのは、絶対に嫌だった。

「零時さま、大丈夫でございますか?」

いつもと変わらない優しい声色で、そう声をかけられた。何故か胸が締め付けられて、泣きそうになった。
気が緩んで、つい、不安がふいをついて出た。

「…ノボリさんは、本当のノボリさんですよね?」

言葉にしてしまえば、なんて馬鹿馬鹿しい事だろう。そうに決まっている。分かっているから、ほら、早く否定して。「勿論でございます」って、その一言だけでいい。
でも彼の反応は、私が求めているものではなかった。

「…それは、どういう事でございますか」

悲しそうに、目を伏せる彼。
えっ、待って、それってどういうこと?どうして否定してくれないの?
頭の中が混乱して、不安が私の身体をのっとった。もう止まらない。

「時々、私に会いに来てくれるノボリさんはクダリさんなんじゃないかって思う時があるんです」

馬鹿馬鹿しい。彼のことをこんなに好いているのだから、例え血が繋がっていようと別人なのだから、区別くらいつく筈だ。こんなに長らく一緒にいて、恋人だと思っていた男が別人なんて、そんな笑えないブラックジョークはない。

「…では、今目の前にいるわたくしは、クダリだと、そう仰るのですか」

ごくり。
前々から感じていた違和感の元を、当の本人が口にする。
考えれば考えるほど、目の前の一人の男が一体誰なのか分からなくなるのだ。
トレードマークである白と黒のコートを脱いだ彼らは、傍から見ればまるで鏡のようで。以前おどけたようにノボリさんのまねをしていたクダリさんを見て、得体の知れない寒気を感じていた。もし入れ替わってしまったら、私はどちらがどちらか気付けるのだろうか、と。

「沈黙は肯定と受け取らせていただきますよ、零時さま。」

「あ、あの、ノボリさ」

「いいのですよ、区別などつけて下さらなくても。わたくしたちはいつでも一緒におりました。つらいことも楽しいことも嫌いなものも何でも全て、二人で分け合って参りました。えぇ勿論、好きなものも、でございます」

淡々と紡がれていく言葉が、まるで呪詛のように聞こえる。
あぁ、だってこれはつまり、私が頭の片隅で考えていた最悪の答えで、

「そ、そんなこと、」

「信じられませんか?」

「ご、ごめんなさい、でも」

「いいのですよ、構いません。寧ろ謝らなければならないのはわたくしたちの方ですので…」

ただただ頭がぐるぐるして、どちらが悪い、とか、そんなのはもうどうだってよくなっていた。
ただこの悪い夢が覚めてさえくれれば、もうどうだっていい。
吐き気を抑えて手元のコーヒーカップを見つめる私に、目の前の男はとどめをさした。私の心臓に深い深い刃をたてた。
そう、私の顔を「いつもの柔らかい笑み」でのぞき込んだのだ。

「ゴメンね、零時ちゃん。だってぼく、君のことが欲しくて欲しくて堪らなかったから」

だから分けてもらっちゃった。



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ゲームもアニメも当時一周ずつしかしていないにわかですので、細かい所は気にしないで見て頂けたらと思います…。
この話を中心に派生のお話なんかもちょこっと書けたらな、なんて。

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