酔うと記憶がなくなるんです


優雅な音楽が流れる。
クラシック音楽と言うのだろうか?音楽に疎い私は全く分からないが、様々な楽器の音色が重なり合って心地良い。
先ほど述べた通り音楽に関しては無知なので、この曲に使われている楽器はヴァイオリンとトランペットくらいしか区別がつかないのだが。
…まぁそんな音楽に合わせて、紳士淑女がくるりくるりと踊っている。
カチン、とグラスの触れ合う音や、料理を食す招待客の姿が入り混じる。
ご察しの通り、ここはパーティ会場である。しかも、かの組合団長フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド主催の、だ。
彼も奇特な人間で、団員を招いて大掛かりなパーティを主催しようと言い出したのだ。
組合団員である私(お恥ずかしながらそう地位は高くはないが)も例外でなく、数日前団長からの招待状(当然のように拒否権はない)が届いた。
私的にこのような華やかな場はあまり得意ではなく(勿論嫌いな訳ではないのだが)、ダンスが踊れる訳でもないので暇を持て余していた。
折角美味しそうな料理や酒が並んでいるのだ、それを食そう。
そう思い歩きだそうとすると、後ろから、「あら」という声が聞こえた。
コツコツとヒールの音。
ふと振り返ってみると、ふんわりドレスを身に纏った一人の女性の姿が。


「ミズ・ミッチェル!お久しぶりですね!」


「えぇ、久しぶりね、零時。随分と退屈そうだけれど、ダンスのお相手は見付かったのかしら?」


くすくすと悪戯に、しかし優美に笑う彼女こそ、組合従弟のマーガレット・ミッチェル。彼女の異能は美しく、悲しく、また野生的である。全てを塵に還す、つまりは風化能力。色々と訳ありのようだが、そんな素振りを見せない強い女性だ。


「見ての通り全くです。と言うよりかは、私はダンスが出来ないので…」


紳士淑女が、オルゴールの音楽に合わせて踊るバレリーナのようにくるくると舞う姿を私はぼうっと眺めるだけ。


「あら、そんなのつまらないでしょうに。それなら今度私が……っと、そろそろ私はお暇(いとま)するわ」


「え」


「ダンスだけがパーティじゃないわ。食事でもして楽しんで頂戴。それでは御機嫌よう、零時」


私の背後にちらりと視線をやって、ミズ・ミッチェルは踵を返す。豪奢なドレスの裾を摘みながら、コツコツとヒールの音を鳴らす。
去っていく姿も美しいとは、全く罪な女性である。
それにしても、もう少し話をしてくれてもよかったものを。何か用事でも見付けたのだろうか、何やら急いでいた様子だが。
何かあったのだろうかと、ミズ・ミッチェルが目をやった方に視線を移す。
すると、そこには仏頂面の一人の男が立っていた。


「全く…彼女は相変わらず失礼な人ですね」


同意を求めるように落とされた視線を拾い集める術を私は持っておらず、ミズ・ミッチェルは私にとって大切な友人の一人でもあったので笑って誤魔化す事に専念した。
無論、組合の職人であり神に深い深い信仰心を持つ彼は、全く誤魔化されてはくれなかった訳だが。


「今のミッチェルを見たでしょう。きっと私の姿を見て逃げたのですよ」


カチャリと眼鏡を押し上げるその姿は実に様になっていて、私まで魅力されるくらいなのに。全くこの人は損をしている…密かに女性の視線を身に受けている事を知らないのだ。


「先ほどの会話は聞こえていましたよ。私もあまりダンスは好んでいない。
…あぁそこのウェイター、ワインを。
貴女も飲みますか?」


「あ、いえ、結構です」


すっかり話し込むモードだ。
いつの間にか彼のペースに飲まれて、人との関わりが苦手そうな顔をして彼の話術にはお手挙げである。
運ばれて来たワインを口にするホーソーンさん。その姿はこのパーティにすっかり馴染んでいて、実に優雅だ。


「何を見ているのです。
飲みたいのなら注文すればいいでしょう」


「あ、いえ、私お酒苦手なので。遠慮させていただきますね」


「そうですか。今夜のワインはハーラン エステートのものらしく、フィッツジェラルド様も自慢げでしたよ。彼の母国の原産ですからね。
…しかし彼が自慢したくなる気持も分からなくもない気もします。このワインは果実的な甘さとタンニンや酸味のバランスが実に絶妙だ。滑らかな舌触りも、名残惜しげなカシスの余韻も私好みです。
このような高価なワインを飲する機会などそうそうないというのに、アルコールが苦手とは本当に残念だ」


ぺらぺらぺら。
何だかいつものホーソーンさんよりも饒舌に感じる。
仕事での立場上そう多く共に働く機会などないから、私の勘違いかも知れないが……ワインが美味しいから?それとも、実はパーティが好きなのだろうか。もしかしたら、お酒はあまり強い方ではないのかもしれない。


「…久々にアルコールを摂取したからでしょうか、何だか酔いの回りが速い、」


ちらりとこちらを見下ろすホーソーンさんの目が濡れたように光って、一瞬動けなくなった。
視線を奪われる、って言うのはこういう事を言うんだ。
少し虚ろな目をしたホーソーンさんの腕を掴みながら私は言う。


「大丈夫ですか?団長に言って抜けますか?」


家まで付き添いますよ、と付け加えると、目の前の牧師は少し驚いたように目を見開いた。
酔った頬は赤く紅潮していて、何だか色っぽい。


「…良いのですか」


「え?あぁ、私なら全然構わないですよ!さっき聞かれた通りこのようなパーティはあまり得意ではないので。」


「…そうではなくて…」


は、と言う間もなく、私の視界は真っ暗になった。
煌びやかなシャンデリアの光も、踊り続ける紳士淑女の姿も、流れるクラシック音楽も、皆なくなってしまった。
与えられたのは、温かな温度と私に乗っかる重さだけ。
ホーソーンさんに抱き締められているのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。ただ、気付いた所でどうする事も出来なかったのだが。
どうしよう、と突っ立っている私の耳元で、彼はそっと囁く。


「私と二人で抜けてしまえば、これ以上の事をされても誰にも助けて貰えませんよ。」


ふと解放された体。体を起こしたホーソーンさんは困ったように笑っていた。
顔が熱い。頭がぼうっとして、何も考えられなかった。ただ、ホーソーンさんの姿を眺めるだけ。


「いつもこんなことを考えていたんです、最低でしょう?
ワインに酔って、おかしくなってしまったみたいだ」


「あ、あの、」


「私はもう帰ります。フィッツジェラルド様に宜しくお伝え下さい」


コトン、と近くのテーブルにワイングラスを置いて、ホーソーンさんはそう言った。
あぁ、追いかけなきゃ。曖昧にしておいちゃ駄目だ。
そう思うのに、足が動かない。口が金魚みたいにぱくぱくと動くばかりで、声も出ない。
もう、この臆病者。
そうしたら、ホーソーンさんが私の頭をそっと撫でた。
手探るような撫で方だった。


「言い忘れていましたが、そのドレス似合ってますよ。フィッツジェラルド様の見立てでしょうか……いつか私が、そのドレスよりも美しいウエディングドレスを貴女に着せて差し上げたい」


またもや「え」の間も与えずに、ホーソーンさんは私に背を向けてしまった。コツコツと革靴の足音が遠ざかる。
あぁ、言い逃げなんてずるい。
そんなの、そんなの。
言い返せる訳ないじゃないか。







パーティ翌日組合所有の建物内を歩いていたら、いつもの黒い衣服に身を包んだ牧師様が向かいから歩いて来た。
何事もなかったかのような顔だ。このまま素通りされそうなくらいに。
けれど、私がそうはさせない。


「ホーソーンさん」


廊下で上司を呼び止めるなんて、生まれて初めてかもしれない。しかも私事で。
まさか私に話し掛けられる等とは思っていなかったのだろう。はたまた私の存在に気付いていなかったか。
何れにしろ彼は不思議そうな顔でこっちを見てくる。


「何ですか」


「あの、昨日の事なんですけど!」


言わなきゃ。言わなきゃ。
折角勇気を出して呼び止めたんだから。
しかし私よりも先に、ホーソーンさんが口を開いた。


「あぁ、その事ですか。お恥ずかしながら、昨日のパーティから記憶がないのですよ。
久しぶりに酒を飲んで酔ってしまったからだと思うのですが…」


「え?覚えてないんですか?」


「えぇ、パーティの間の記憶がほぼ丸々抜けているんです。昨日の私が何か失礼な事でもしましたか」


「…あの、ウエディングドレスの話とか、覚えてませんか…?」


「…っな、う、ウエディングドレス?どこでその情報を…」


あれ。あれれ。
これってもしかしてもしかして。
何だか愉快になって来て、私はくすりと笑ってしまった。








▽牧師様と優美なステップ

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