名探偵にはお見通し




「あ、乱歩さん、唇切れてますよ」


「ん」


椅子に腰掛けながら、探偵は暇そうに机に足を乗せている。
探偵の名前は、江戸川乱歩。
彼は只の探偵ではない、“名探偵”である。
今日は特に大きな依頼もなく、平和な事務所内、そしてその中の事務員の一人が私だ。
そしてそんな私に指摘された名探偵は、面倒くさそうにぺろりと唇を舐めた。


「駄目ですよ、乱歩さん。
舐めたら、余計に酷くなっちゃいます」


私がそう言うと、名探偵はもっと面倒くさそうに顔を顰めた。
手元にあったお菓子を口に運びつつ、新聞(の4コマ漫画)に目を移す。


「折角綺麗な唇してるんですから、きちんと手入れしないと。
リップクリーム付けるだけでも、大分変わるんですよ」


そう言う私も、愛用リップクリームを持っている。
少し前までは面倒くさくて使っていなかったのだけれども……そこはまぁ、譲歩してほしい。


「だって僕、リップなんて持ってないし。
そもそも面倒くさいよ」


ふぁあ、なんて欠伸をする名探偵。
その拍子に、切れた唇から血が滲む。


「ほら、また血が出てます。
私がリップを買って来てあげますから、少し待ってて下さいね」


流石に見るに耐えなくなり、席を立つ。
すると、名探偵がお菓子を咥えながら言った。


「いいよいいよ、別に。
だってキミ、リップ持ってるんでしょ?」


「え、でも…」


「でも、じゃなくてさ。
持ってるんでしょ。
なら、其れを付けてよ」


こうなると、名探偵は頑固だ。
今まで何度かこんな状態に陥ったが、一度も私の意見が通った事などない。


「でも乱歩さん、すぐ戻って来ますから。
私の使った物なんかじゃなくて…」


尚も言い訳をしようとすれば、名探偵は血の滲む唇をぺろりと舐めた。


「僕はキミの使ったのがいいの。
名探偵の言う事が聞けないの?」


不貞腐れた名探偵は、ふう、と溜息をついた。
足を机から下ろして、私の方へ歩み寄る。
背中を丸めて、私と視線を合わせた。


「…それとも、」


途端、ちゅ、とリップ音がした。
吃驚して動けないでいると、目の前には名探偵の顔。


「…こうやって、キミの唇から貰っちゃおうか。」


名探偵の顔は笑っている。
私の戸惑った顔を見て、御満悦のようだ。
全く意地の悪い名探偵である。


「……ら、乱歩、さん、…」


言葉が途切れ途切れにしか出て来ない。
私は驚いていたのだ。
何に、かと問われれば、何より…恋人でない者に、キスをされても嫌でない自分自身に、である。

頭がぐるぐるして、顔が熱い。
そして今、初めて気付く。
あぁ、この感じは……そうか、そう言う事だったのか。

自分の気持ちに今気付いた私の前で、名探偵はにやりと笑っている。
名探偵には、お見通しなのだ。


「あの、私…」


「キミが言わなくったって、名探偵にはお見通しだよ。
キミが今、言おうとしていた事を当ててみせようか。

そうだね……『乱歩さんが好きです』とか、そんな感じかな?」


どきり。

やはり名探偵、全て気付かれている。
恥ずかしいのに、心が暖かい。

私が呆然としていれば、目の前の名探偵は血を滲ませた唇に人差し指を当てる。
そして、静かに笑った。


「返事は、さっきのキスだよ。」









名探偵にはお見通し







(…そ、それって…!)

(どう言う意味だと思う?)

(自分で推理してごらん)



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