42

「助けて…下さったんですか」


リイに名を呼ばれた我愛羅が、僅かに目を見開く。しかしそれはすぐに戸惑いの表情へと変わった。

「…里からの命令だ。うちはサスケの奪還任務についた木ノ葉の小隊を援護しろと―――…。だが、何故お前がここに…」

恐らく我愛羅は、リイがこの場に居る事など想像もしていなかったのだろう。
ナルト達が里を経ってすぐ、綱手が砂の国に飛ばした救援要請。リイはそれを受け取るのが、彼を含む砂の三姉弟だという事を知っていた。当然、我愛羅がこの場に現れることも予測済みだ。

しかしそれでも、前回あれだけの死闘を繰り広げた相手に助けられるというのは、どうにも奇妙で、かつ複雑な心境だった。

立ちすくむリイの元へ、我愛羅がゆっくりと近づいてくる。信じられないとでも言いたげな表情を浮かべ、佇むリイに触れようと、すっと伸ばされる腕。
そして近づいてきた指先に、リイは思わず身を強張らせる。曲がりなりにも殺されかけたのだ。あの時感じた、避けられない死への恐怖が、瞬間的にリイの身体の動きを止める。
思わず後退りしたリイに、我愛羅はハッとして手を止めた。己の手足をなぞる我愛羅の視線を受け止めながら、リイは小さく眉間に皺を寄せる。

…どうやら複雑な心境を抱いているのは、自分だけではないらしい。

口を開きかけた我愛羅が、何かを言おうとして言葉を詰まらせる。瞳に浮かんでいるのは、罪悪感と後悔か。俯いて唇を噛む我愛羅から目を反らしたリイは、静かに肩から力を抜いた。

「…あなたには、それはもう大変な目に遭わされましたが…」

我愛羅に負わされた怪我は決して軽いものではなかった。敬愛するガイや仲間達には多大な心配を掛けてしまったし、思うように動かない手足はリイに耐え難い苦痛を齎した。
それでも。
我愛羅が居なければきっと、リイはリーに会う事はできなかった。
理由はどうであれ、あの傷が、リーとの邂逅の鍵となった事だけは確かなのだから。

「この通りですよ。…救援にしては、少々遅かったかもしれませんね?」

悪戯っぽく笑って、リイは首を傾げる。

恨みはしない。
元より、自分達はそういう世界を生きているのだ。

リイはスッと右手の指を二本立てて片手印を組む。そしてそのまま、その手を我愛羅に向かって差し出した。

『和解の印』。もとは忍が組手を行う際にする作法の一つで、礼儀のようなものだ。
リイのそれが何を意味するのか、分からない我愛羅ではないだろう。

「オレは…」

息を飲んだ我愛羅が拳を握りしめる。
震える声は、堪え切れないように懺悔の言葉を紡いだ。

「違う。オレは、お前を殺すつもりだったんだ。オレは」

ナルトに出会い、その存在に救われるまで、我愛羅は憎しみと殺意以外の感情を知らなかった。
それ故に、我愛羅は美しく微笑む少女の凛とした姿に震えた心を、抱いたその激情を、何の迷いもなく『殺意』だと判断した。そしてその感情が己の存在を脅かすのならば、排除しなければならないと思い込んだ。

「もう少しで、お前を殺すところだった…」

血溜まりに倒れ伏したリイの姿が脳裏を過る。
ナルト達が駆けつけるのがあと数秒でも遅かったなら、リイはあの時死んでいただろう。

肩を震わせる我愛羅を見て、リイは首を振る。

「…今はともかく、あの時の私達は明確な敵同士でしたから」

リイだって我愛羅に対して手加減をしていたとは言い難い。あの場で彼が死なないであろう事は知っていたし、一人で適う相手ではないと思っていたからこそ、そこまで考えは至らなかったが、運が良ければ…、いや、悪ければ、リイも我愛羅を殺していたかもしれないのだ。

「あの時の事はお互い様です」、とリイは肩を竦める。

我愛羅はその言葉に顔を上げると、目を大きく開いて、差し出されたままだったリイの手を暫くの間じっと見つめた。

「…いいのだろうか」

戸惑うような我愛羅の声に、リイはどこか呆れたように口元を歪める。

「昨日の敵は今日の友、とはよく言ったものです。この場は、言ってみれば二国の縮図のようなものでしょう。ねえ、同盟国の砂の忍さん?」

木ノ葉と砂。一時は戦争状態にまで陥った両里がこうして救援を送りあう仲まで回復するためには、きっとリイの想像もつかない程の並々ならない努力があったに違いない。

その努力を無駄にしない為にも。

リイは促すように、右手を我愛羅の目の前まで持ち上げた。
ややあって、我愛羅は意を決したように自らも片手印を作る。瞼を伏せながらそっとリイの指と絡められた指は、僅かな熱を持っていた。

指を重ねた二人の間を、風が吹き抜けていく。

その瞬間、満足そうに頬を緩めたリイに、我愛羅の双眸は釘づけになった。

耳元で鳴る心臓。指先から伝わる温度に、鼓動はその速さを増していく。
うずまきナルトの存在によって、憎しみと殺意以外の繋がりを知った我愛羅は、その感情が何であるのか、この時漸く気が付いた。

そっと解かれた指を追いかけるように、我愛羅は一歩踏み込むと、手を伸ばしてリイの頬に触れる。
柔らかな感触の髪を払い、すべらかな白い肌に指を添わせれば、リイはきょとんとした顔で瞬きをしながら我愛羅を見つめる。

「ロック・リイ」

名を呼べば、不思議そうな表情のリイが「はい?」と首を捻る。
感情を表す術を殆ど持たない我愛羅とは違い、くるくるとよく変わる表情だ。なまじ容姿がずば抜けて整っているだけに、目が離せない。

「どうやらオレは、お前の事が好きらしい」

その言葉があまりにも自然に我愛羅の唇から滑り出たものだから、リイは一瞬、半ば本気で自分が何を言われたのか理解できなかった。
唐突すぎて疑問符すら出てこない。というよりも、脳がその言葉を受け付ける事を拒絶した。

『好き』。

そんな陳腐な告白の言葉は、ロック・リイとしてこの世界に生まれて以降、星の数の男から聞かされ続けてきた。
ガイ以外の男からの愛の言葉など、リイにとっては塵ほどの価値も持たない。だからこそ、どれほど情熱的な愛の言葉であったとしても、リイの心を揺さぶる事はなかった。例えそれが、世間の女達がこぞって骨抜きになる程に顔のいい男からのものだったとしてもだ。

へえ、そうですか。ありがとうございます。いつもなら、そうやって受け流してしまう事ができた。
だというのに。

「……………一応確認しておきます。それはどういった意味のもので、でしょうか」

リイは動揺を隠しもしないまま、やっとのことで言葉を絞り出した。
それはあれですよね?もちろんライク的な意味ですよね?仲間としてとかそう言った意味ですよね?と期待を込めつつ、頬を引き攣らせながら、リイは我愛羅を見上げる。
ところが我愛羅は表情を変えないまま、あっさりとリイの期待を裏切った。

「惚れている。お前を見ると動悸がして居ても立ってもいられなくなる。一時期はその気持ちを殺意だと思い込んでお前を殺そうともしたが、これは違うな。書で読んだことのある情報が正しいなら、この感情は『恋』に該当するんだろう」

リイは声にならない声で唸った。

…分かっていた。ああ、分かっていたとも。
この、我愛羅の熱に浮かされたような瞳。勘違いでも自惚れでもない。これまで数多の男達から同じ視線を受け続けてきたのだ。
それでも、リイは聞かずにはいられなかった。

「…本気ですか」

「もちろん本気だ。最初は一目惚れだったが、お前と戦い、その凛とした姿に心底惚れた。心が惹かれる、と言った方がいいか」

「いきなりストレートすぎて重い!!」

誰だお前。
そう言いたいのを何とか飲み込んで、リイは引き攣ったままの頬を思い切りつまむ。典型的だがこれが一番効果的なのだ。
ぐりっとつねった頬は鈍い痛みを訴えかけてくるが、それでもやはり受け入れられないこの現実。

「…実は幻術とか得意だったりします?」

「得手ではないが、人並みには使えるつもりだ」

頷く我愛羅に、リイは「へえー流石ですねえー」と棒読みで感心して見せた。
告白されて現実を受け入れられない程動揺するなんて、生まれてこの方初めての事だ。自分で自分が信じられないし目の前に立つこの我愛羅も信じられない。とてもじゃないが、予想外などと言う言葉では片づけられない。何がどうしてこうなった…。

「何が目的ですか…」

普段の様子からは想像もつかない程弱々しい声でリイが尋ねれば、我愛羅は「目的など無い。ただオレが今感じている気持ちをお前に伝えたかっただけだ」と言ってのける。リイはとうとう頭を抱えた。
優秀なくのいちとして、人の心の機微にも敏いリイの力をもってしても、我愛羅の本心がサッパリ読めない。何を考えているんだこの男。正気か。

「…もしかしたらご存知かもしれませんが、私にはガイ先生という心に決めた相手が居ます」

「知っている。だが、試験の時には結婚を断られていただろう。ならばまだオレにも望みがある筈だ」

「何を根拠に…、ありません。ありえません。未来永劫」

リイは頬に添えられたままだった我愛羅の手を弾き、一歩後ろに下がった。
我愛羅はそんなリイから目を反らさないまま「何故そう言い切る事ができる」と首を傾げてみせる。

「自慢じゃありませんが、私は十年以上ガイ先生一筋です。そしてこれから先もずっと」

「人は変わる。憎しみと殺意しかなかったオレが、他者への愛と言う感情を理解できるようになったようにな」

息を飲むリイに、我愛羅は再び歩み寄った。
射竦めるような真剣な瞳に、リイの身体が固まる。
その背後に、そろり、と忍び寄る砂。

「ロック・リイ。お前は、その身体に傷を負わせたオレを許した。ならばオレはその恩に報いよう」

影が差し、吐息が前髪を揺らす。
柔らかな感触が額に落とされ、リイは思わず混乱のあまり言語にならない悲鳴を漏らした。
反射的に飛び退こうとした片足は砂にがっちりと掴まれて、逃げたいのにその場から動くことすらできない。

「この身がある限り、オレはお前を想い、守ると誓う。もう二度と、あんな傷を負わせないように―――」



我慢の限界だった。



「―――虚刀流、菫ェェエ!!」

拘束されていない方の足で我愛羅の足を絡め取り、宙に浮かせた身体を両腕で勢いよく突き飛ばした。咄嗟に入った砂のガードごと弾き飛ばしたあたり、今の一撃がリイにとって本気の一撃であったことが見て取れる。
相手がわざわざ木ノ葉の為にはるばる砂の里から来てくれた援軍だという事は、最早考慮しない。

「あなた、気は確かですか!?」

手の甲で勢いよく額を擦りながら、リイは叫ぶ。
君麻呂の残した骨の柱を薙ぎ倒しながら盛大に吹っ飛ばされた我愛羅はというと、呼び出した砂を使い、やっとの事で己の身体を受け止めた。
乾いた咳を漏らしながら「額への口付け程度でそこまで初心な反応をされるとは、流石のオレも予想外だった」と悪びれもなく言う我愛羅に対して、リイは「うるさいですよ変態!痴漢!女の敵め!」と怒鳴り散らす。
リイは腐ってもくのいちだ。色を使うと決めた時には、額どころかもっと際どいことでも平然とやってのける。
だがしかし。これは最早恥ずかしいとかそういったものとは別次元の話だ。

(なんだこの薄ら寒いセリフを吐く気持ちの悪いエセ我愛羅)

背筋を這う寒気。粟立った全身の肌を布越しに擦りながら、リイは己の身体を抱きしめる。

「そこまで意識されると嬉しいような気もするが、激しすぎる拒絶とは案外傷つくものだな」

「近寄らないでくださいこのケダモノ!」

起き上がり、歩み寄ろうとした途端、サッと構えを取ったリイに、我愛羅は肩を竦める。
同時に何かに気がついたかのように瞼を震わせると、我愛羅は空を仰ぎ見た。

「…。チッ、どうやら迎えが来たようだな」

微かな足音。
ハッとした顔で、リイは我愛羅につられるように上空を見上げる。聳え立つ無数の骨の柱の上に降り立った一つの影。
風に靡く長い黒髪に、リイは険しかった表情をパッと明るくさせてその名を呼ぶ。



「―――ネジ!」



太陽を背に、影が飛び立つ。
殆ど音を立てずリイの隣に着地したネジは、立ち上がりながら服の皺をパシパシとはたき、伸ばした。見た所大した怪我もなく、あまり消耗もしていないようだ。
もちろん、肩に穴など開いていない。それを確認して、無意識のうちにリイは破顔した。

「流石、日向家始まって以来の天才の名は伊達ではありませんね。音の四人衆なんて、今のネジの敵ではありませんか」

「いや、なかなか苦戦はした。今日ほど鉄塊を会得していて良かったと思ったことはなかったぞ…」

言いながら、ネジは周囲を見回す。佇む我愛羅と、微笑むリイ。辺りを埋め尽くす謎のオブジェ。
一周。二周。
視線を二巡させたネジは、やがてハァ、と大きくため息を吐く。

「…なあ、リイ。オレはあまり察しが悪い方じゃないと自分では思っているんだがな」

「ええ、まあ。否定はしませんよ」

ネジはなんだかんだ言って空気読めるタイプですものね、とリイはニコニコとしながら頷いた。
それを横目に、眉間に皺を寄せたネジは、二度目の溜息と共にそっと額を抑える。

「…正直に言おう。状況がさっぱり掴めん。とりあえずリイ、お前、何故ここに居る…」

一連の騒ぎで森から飛び立つ事を余儀なくされた鳥達の、どこか間延びした呑気な鳴き声が、ネジにとって微妙に居心地の悪い空気の中に響き渡った。



*



…状況を整理しようと思う。

ネジは里抜けをしたサスケを大蛇丸の手の者から奪還するために組まれた小隊の一員として、音の四人衆の一人である東門の鬼童丸と交戦し、勝利した後、シカマルとナルトによって残された目印を追い、この場所に辿り着いた。
しかし、そこに待ち受けていたのは、大蛇丸の手の者でも、ナルトでもサスケでもなく。

「オレの記憶が正しければ、お前が手術を受けると言ってからまだ一日も経っていない筈なんだがな」

険しい表情のネジに睨まれたリイは、にっこりと笑ったまま右手をぷらぷらと振り、ぎゅっと拳を握って見せる。

「いやはや。五代目の“伝説”の名は伊達ではありませんでした」

身をもって実感しましたよ、とリイが拳で空を切れば、その延長線上で伸びていた骨の柱が音を立てて砕けた。
体調は今の所絶好調。むしろ怪我を負う前よりも今の方が動きにキレがあるかもしれない。綱手の腕が良かったのか、手術前のリハビリが功を奏したのか、あるいはその両方か。

「そんな事を聞いているんじゃない。分かっている癖にはぐらかすな。答えろ、何故お前がここに居る」

ため息を吐いたネジにキッと睨み付けられ、リイは困ったように眉尻を下げた。

「私にも色々と事情がありましてね。…説明して差し上げたいのはやまやまなのですが」

そう言いながら、リイはネジに歩み寄る。
腕を組みながら仁王立ちするネジの前で立ち止まり、その顔を覗き込みながら、リイはニイ、と口角を上げた。

「今はそんな事を気にしている場合じゃないと思いませんか?」

まだ任務が残っているでしょう。

リイはそっとネジの目元に手を添え、囁く。ざわり、と何かが動く音がした。
絡み合う視線―――睫毛の本数すら数えられそうなその距離に、ネジの身体が硬直する。いくら慣れているとはいっても、ネジも思春期の男子だ。こんなあからさまな接触をされては、流石に平静では居られない。たとえリイのそれが、己の追及をはぐらかすためのものだと分かっていても。
蟀谷をなぞる指。そのあまりにも艶めかしい感触に、思わずネジの頬に朱が差した。その瞬間―――。
肌を焦がす殺気を感じたネジが我に返った時には、既に足元から巻き上がった砂が二人の間で渦を巻き、ネジの身体を弾き飛ばした。咄嗟に飛び退き、受け身を取ったお蔭で無傷だったとはいえ、まともに当たっていれば相応の痛手は覚悟しなければならなかったろう。今のは本気の攻撃だった。
ネジは足元に飛び散った砂を一瞥し、背後からどす黒いチャクラを放つ人物を振り返る。
そして努めて平静を装いながら、ネジはその人物をキッと睨み付けた。

「解せないのはお前もだ、砂瀑の我愛羅。音隠れとの境にあるとはいえ、ここはまだ木ノ葉だぞ。何故砂の忍であるお前がここに…」

「五代目火影からの要請だ。うちはサスケの奪還任務における救援を頼まれた」

我愛羅の答えに、ネジは眉間に寄せた皺を一層深くした。

「救援?それにしては随分なご挨拶だな。お前、今オレを殺す気だっただろう」

服についた砂を払い落とし、ネジは周囲に砂を蠢かせる我愛羅を見据えながら目を細める。一体どこの世界に支援対象を攻撃する救援が居るというのか。相変わらず何を考えているのか分からない無表情が腹立たしい。二人はしばらくの間無言で睨み合った。
ふと、我愛羅の視線がつうっと動き、ネジの後ろに佇むリイへと移動する。ネジはハッとして足を動かし、我愛羅の視界からリイを隠すようにして構えを取った。途端に周囲を満たす殺気がより一層濃さを増す。

「…日向ネジ。ロック・リイから離れろ」

「断る。何故お前に命令されなければならない。救援だか何だか知らないが、オレはお前がコイツを殺しかけた事を忘れた訳じゃないぞ」

砂が同盟国となり、木ノ葉との友好関係を取り戻したからといって、実際に傷を受けた忍達の関係性はそう簡単には戻らない。
ネジにとって、我愛羅は守るべき己の仲間を傷つけた敵だ。先程の攻撃が無かったとしても、到底信用できるような相手ではない。
ならばどうするか。
考えるまでもない。先手必勝―――いや、先に手を出してきたのはあちらだが―――ネジはより一層眼光を鋭くさせながら、白眼を発動させようとした。
が、印を組む直前、何かが視界をふわりと覆い、それを遮ってしまう。

「ストップ。そこまでです、ネジ」

背後からネジに目隠しを仕掛けたリイが、ネジの印を組んだ指を押し戻し、我愛羅との間に進み出る。
慌てたネジが「おい」と呼びかけ、その肩を掴んで引き戻そうとするが、リイは梃子でもその場所から動こうとしなかった。

「無理しないで下さい、ネジ。…肩」

ちょん、とリイの指がネジの左肩を突く。途端にネジの顔がぴくりと歪む。

「怪我をしているんでしょう。見た目には分かりませんでしたが…構えを取った時、少し動きがおかしかった」

リイの指摘に、ネジは苦虫を噛み潰したかのような表情になった。
右手で抑えた個所に、疼くような鈍痛。

「…受けた攻撃が少しばかり重くてな。大したことはない」

強がるネジに、リイは肩を竦める。
リイが「ネジはやせ我慢が得意ですよね」という呆れたように呟けば、ネジは「うるさい」とそっぽを向いた。

「しかし困りましたね。せっかくこの場にネジが居るなら、お願いしたい事があったんですけど」

そう言いながら、リイは何かを考えるように頬に指を当てる。
そのままくるり、とネジに背を向けたリイに、ネジは何の話だ、と首を傾げた。
リイは明後日の方向を見上げながら、人差し指でとんとんと頬を叩く。

「サスケ君とナルト君を追うのに感知タイプの忍が必要なんですよ。大体の居場所は見当がついているのですが…、まあ、無駄な戦闘に巻き込まれたくないといいますか。でも怪我をしているなら無理をさせるわけにもいきませんし…」

うーん、と腕を組むリイに、忍び寄る砂。
その動きを何となしに目で追えば、漂う砂は一か所に集まりだし、瞬く間に宙に浮かぶ眼球に姿を変える。

「ナルトを追うならオレがサポートしよう。少なくとも、そこの足手まといよりはよっぽど役に立つはずだ」

言うや否や、瞬身でリイの前まで移動した我愛羅がリイの手を握った。「お呼びでないです」とイイ笑顔を浮かべ、その手をすかさず振りほどいたリイは、ついでに浮かんでいた砂の眼球も叩き潰し、握られた部分を腰元でごしごしと拭う。我愛羅はリイの反応に地味にショックを受けた。
一方で、我愛羅の“足手まとい”発言に相当カチンと来たのか、額に青筋を浮かべたネジがやや強引に二人の間に割って入る。

「戦闘に支障が出る程じゃない。砂瀑の我愛羅、五代目が何と言ったのかは知らんが、これは木ノ葉の問題だ。あとは木ノ葉の忍だけで解決する。お前はさっさと砂の里に帰れ」

あとどさくさに紛れてうちのチームメイトに近づくな、と我愛羅を牽制するネジの蟀谷に、ビキィッと浮かび上がる血管。同時に発動された白眼は森の遥か彼方までもを見通し、目当てのものを見つけ出す。
間を置いて、ネジはリイを振り返った。

「ここから二時の方向に三キロ。…どうも穏やかな状況じゃないな。ナルトは説得に失敗したのか。…しかし、このチャクラの反応は…、サスケ、か…?」

白眼の望遠と透視の力を駆使し、遠く離れた場所で繰り広げられる戦闘の様子を見つめるネジの表情が険しくなる。その反応を見る限り、あまりここで悠長にしている時間はなさそうだ。リイはすぐにでも動けるように、佇まいを直した。
すると、不意にぴくりとネジの瞳孔が動く。

「…!誰だ!」

ネジが顔を上げると同時に、何かを察知した我愛羅がサッと印を組む。
ザアッと音を立てながら我愛羅の足元から巻き上がった砂が、凄まじいスピードで三人を囲む骨のオブジェを掻い潜りながら滑空し、ネジの視線の先にある骨へと襲い掛かった。

流砂のぶつかる音の中に、「きゃ」という小さな悲鳴。
ざわざわと動く砂に押し出されるようにして、骨の影から転がり出た桃色の影に、ネジは「な…」と言葉を詰まらせる。

「…見た顔だな」

冷静に呟いた我愛羅は、それが敵ではないという事を確認すると、指を動かして砂を回収した。
起き上がった桃色の向こうで、きらりと光る翡翠の瞳。
ネジはため息をつきたいのを堪えて、額に手を当てながら顔を引き攣らせた。

「…どうなっているんだうちの里は。リイといいお前といい、何故任務から外されているはずのお前達が…」

「今回の任務に当てられた木ノ葉の忍の中に、お前の名前は無かった筈だが。何故ここに居る、春野サクラ」

ネジの言葉を遮って、腕を組んだ我愛羅が座り込んだサクラを見下ろす。ネジは一瞬もの言いたげに我愛羅を睨んだが、この場で問答をしても仕方がないと思ったのか結局口は開かなかった。
同じ木ノ葉の下忍の中でもずば抜けた実力を持つとされているネジと、木ノ葉崩しの一件では筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めさせられた砂の我愛羅。そんな二人に囲まれて、サクラは若干気圧されながらも膝を叩いて立ち上がった。
その視線は、己の前に立ちはだかる二人を超えて、その先へ。

見据えるのは、凛として立つ、美しい人。

「―――リイさん。私は、私にできることを、しにきました」

固い意志を込めた言葉。
くるりと踵を回したサクラは、ネジに向き治ると、一つ深呼吸をした。
サクラの掌が、ぼう、と淡い燐光を放つ。サクラは目を閉じ、すっと手を重ねた。
そうっとネジの肩に当てられた手は、服の布地を超えて、暖かな光のドームに囲われながら、その下の皮膚や筋肉、骨を瞬く間に癒していく。
この程度の怪我であれば治療も手慣れたものだ。似たような怪我ならリイとの修行の中で嫌と言うほど負っているし、同じ数だけ治療行為も行っている。

「お前、医療忍術を…?」

光が収まった後、すっかり打撲の消えた肩に触れながら、ネジは驚いたようにサクラを見た。サクラが医療忍者の見習いであるという事は、まだリイとイノ以外誰も知らない。
サクラはネジに向かってこくりと頷くと、拳を握りしめてリイを振り返った。

「足手まといにはならないと、言い切る事はできません。でも、必ず役に立ってみせます。だから…だから、私も、サスケ君の所へ。リイさんの向かう、戦場へ」

ついていくことを、許して下さい。
そう言って、サクラはリイに向かって深々と頭を下げる。
リイはサクラのつむじをじっと見つめながら、何かを考え込むように口を閉ざしていたが、やがて口元をふっと歪めた。

(運命を変える力、か…)

目前に並んだ三人の忍。ネジ。サクラ。我愛羅。

一人一人の顔をじっと見つめた後、リイは静かに空を仰ぐ。

我愛羅はともかくとして、ネジとサクラは、本来この場に居ない筈の人物だ。
彼らがここに来るに至った経緯を振り返り、リイは目を細める。
種を蒔いたのは、間違いなく己自身だ。それがどういう結果をもたらすのかまではあまり深く考えていなかったが、少なくともマイナスにはならないだろうと、リイは二人の背中を押し続けた。
致命傷を負う事もなく大蛇丸の近衛の一角を倒してみせたネジと、医療忍術を習得したサクラ。その二人がこの場に立つ意味を、リイは理解するよりも先に納得した。

すべては予定調和なのだ。

各々の喜びも、悲しみも、幸せも、不幸も、挫折も、再起も、苦悩も、歓喜も、諦めも、決意も、希望も、この胸に抱く恋情ですら。

すべてが成るべくして成る、未来への布石。リーが望み、リイが選び、受け入れた運命の改変を司る強制力。
神に等しい存在から与えられた、世界の理に逆らう禁忌の力。

―――鳥肌が立った。

「頭を上げてください、サクラさん」

内心をおくびにも出さず、リイはにっこりと笑う。

「ネジの話を聞く限り、サスケ君は今、ナルト君と交戦中です。サスケ君の実力はご存知の通りですし、大蛇丸の方からも増援が来ないとは限りません。つまり、ナルト君のピンチです」

リイはネジと我愛羅に目配せをした。「そこで提案です」と人差し指を立て、三人の視線を一か所に集める。

「本来、私とサクラさんはこの任務への関与を許されていません。しかし、サスケ君の奪還命令を受け、隊を率いていたはずのシカマル君は敵に足止めを食らい途中離脱。他のメンバーは安否不明。使える戦力はネジと増援の我愛羅君の二人しか居ない訳ですが、連携の取れない二人がツーマンセルを組んだ所でどうなるかなどと、目に見えています」

ネジと我愛羅は小さく頷いた。どうにもウマが合わない自覚はあったらしい。
サクラが気付かない程一瞬の出来事だったが、素早く互いを睨み合った二人にリイは肩を竦める。

「先に言っておきますが、贅沢を言っていられる状況ではないと分かっているとは思いますので、反対意見は受け付けません。この場に居る四人で、フォーマンセルを組みます」

なんとも奇跡的だが、この顔触れ、急場にしてはなかなかいいチームが組める。
四人の中でも随一の攻撃力を誇るリイは、アタッカーとして先陣を切る、攻撃の要。
そのリイと最も連携を取りやすいネジは、攻撃の援護だけでなく白眼によって感知タイプの役割を果たす事もできる。
本職に比べればまだ甘さが残るかもしれないが、サクラの医療忍術もサポートとしてかなり役に立つ。リイが鍛えたお蔭でそれなりの動きは身に着けているし、進んで攻撃はできずとも、自衛くらいはできる筈だ。
残る我愛羅は、他の三人には無い、攻守に優れる忍術を持っている。主に体術を攻撃のメインとして使うリイやネジの援護にはうってつけと言って良いだろう。砂を使った術は応用の幅も広いし、中・遠距離攻撃による支援はフォーマンセルにおいて外せない役割だ。

…むしろ能力だけ見てみれば、それぞれが普段行動を共にしているスリーマンセルよりも任務遂行能力は高いのではないだろうか?

(まあ、私の場合はどんなに能力の偏りがあろうともガイ班が一番であるという事実に変わりはありませんがね)

「私とネジの連携は言わずもがな。サクラさんの能力も重々承知していますし、我愛羅君とは二度交戦しましたからね。攻撃パターンや忍術の特性くらいは把握しているつもりです」

このままの流れでいけば、必然的にリイがこのフォーマセルの統率役となる。
しかしやはりというか、その割り振りに納得しないものが約二名。

「お前は手術を終えたばかりだろう。そんな奴にアタッカーを任せられるか!」

「日向ネジ、オレもその意見には賛成だ。攻撃役はオレ達が引き受ける。お前は下がっていろ」

ずいっと前に出るネジと我愛羅に、リイは小さくため息を吐く。余計な気を回されるのはともかく、そういう所だけシンクロするのはやめてほしい。
「まったく」と呟くや否や、その姿は三人の視界から掻き消えた。
誰も反応できない速度。振り返った時にはすでに、リイは両手の手刀をそれぞれ我愛羅とネジの首に向けていた。

「寝言は寝て言いなさい。私の速度にも対応しきれないような人間に前衛を任せられる訳が無いでしょう」

リイが呆れたように言えば、二人はグッと言葉に詰まる。
戦闘をいかに有利に進める事ができるかは、初手で決まると言って良い。忍同士の戦いであれば尚更だ。後手に回れば相手に術を発動させるスキを与えてしまう。
様々な状況に応じた、迅速な先制攻撃。それを最も確実に実行できるのは、この場にはリイを置いて他にはいない(というか、スピードでリイを上回る事が出来る忍は、上忍でも稀である)。この二人も、それは重々承知している筈だ。

「…異論はありませんね?」

構えを解かないまま、リイは有無を言わせない口調で二人を見据えた。そもそも、最初に反対意見は受け付けないと宣言しているのだ。彼らがこれ以上何を言おうと、これはもう、決定事項だ。
リイが譲ることはないと悟ったのか、ネジと我愛羅はしぶしぶといった様子で頷く。

「では話もまとまった事ですし、サスケ君を追うとしましょう。これ以上ぐずぐずしていると、彼ホントに大蛇丸の所に行ってしまいますよ」

サスケ、という言葉に、サクラが大きく肩を揺らす。
時間があまり無い。
リイは両腕を降ろすと、ネジに白眼を発動して目標地点までの誘導をするように指示した。

「行きましょう」

リイの号令を合図に、四つの影は同時に地面を蹴る。
骨と骨の間をかいくぐり、木の枝から枝へと飛び移っていると、ふとサクラが何かに気付いたように顔を上げた。

「…雨」

頭上に垂れ込める鉛色の雲。
今にも降り出しそうな重苦しい色の空を見上げて、リイは拳を握りしめる。



終末の谷は、もうすぐそこだった。







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