37

綱手が手術の成功率を1パーセントでも上げる為に、忙しい火影業務の合間を縫って尽力する中、リイはサクラのチャクラコントロールの精度を上げる為の修行に付き合いながら、施術の日取りが決まるのを待っていた。
リイの右手足の手術は、綱手程の医療の腕を以てしてもかなり難しいものとなる。また、それを行うためには施術をする側にも相応の準備が必要であり、つまるところリイは今、暇を持て余していた。
いや、暇、というには些か語弊がある。
リイが己の望みの為になすべき事、なさなければならない事は山ほどある。その為に解決しなければならない問題もまた然り。
現段階で手足が使えないという事は些か厄介ではあったが、それでもリイは、椅子に座って呑気に手術の日を待つという訳にはいかなかった。

今のリイに足りないもの。―――それは、情報だ。
リイが運命を変えるために立ち向かわなければならない敵は、途方もなく強大な存在であり、当然ながら一下忍でしかないリイが正面を切って勝負を挑もうと勝てる相手ではない。そもそもリイ以上の実力を持つ忍達が束になっても勝てないような奴に、正攻法で勝負に出ようという、その考えこそが愚かだ。
勝ち目のない戦いに挑まねばならないリイにとって唯一とも言える切り札。―――十数年前に読んだ漫画のおぼろげな知識を使い、どれだけ戦いを有利に持っていく事ができるか。

リイは薄暗い部屋の中で白く浮かび上がる肢体を鏡に映しながら、憂うように睫毛を伏せた。
傷一つない―――とは流石に言えないが、陶磁器のように滑らかで、弾力のありそうな若々しい肌。キャミソールの下で僅かに膨らんだ胸。艶を放つ黒髪。
腕と足に包帯を巻かれても尚、輝きを失わないその美しさに溜息すら漏れる。十余年あまり自分のものとして付き合ってきた身体ではあるが、こうしてまじまじと見つめていると違和感のようなものを感じてしまう時もある。最早過去の自分の顔などぼんやりとしか思い出せなくなっていたとしても、それは仕方のないことだった。

「…さて」

リイは鏡からそっと視線を外すと、背後にあるクローゼットの扉を開けた。
中には普段着ている鮮やかな碧の忍装束―――という名のガイとおそろい全身タイツ―――が数着と、普段着として使っているややゆったりめの袍の他に、淡い緑の胴着がハンガーに掛けられている。そしてその横には、年頃の少女が見たら感嘆を上げるであろう、色とりどりで様々な形のチャイナドレスがずらりと並んでいた。

ワンピースタイプのもの、トップスだけのもの、裾の長いもの、袖のあるもの、胸元や背中が大きく開いたデザインのもの、煌びやかな飾りのついたもの、控えめな色柄のもの―――種類は実に、多岐に渡る。
可愛らしいデザインと、機能性に富む服が多い事で有名なブランド―――リイが懇意にしているその店は、リイだけでなく、サクラやテンテンもかなりの頻度で利用している有名店だ。デザイナーを兼ねて店を切り盛りしている店主は若干カマっ気のあるオッサンだが、可愛いものにとにかく目が無く、新しいデザインの服を作ってはリイにタダ同然の価格で押し付けてくるのだ。アンタが着ていればこの上ない宣伝になるから、と。まったく美少女というのは得な生き物である。

リイも年頃の女の子らしく、お洒落は好きだ。忍として生きている以上着飾る機会はあまりないが、恋する乙女として常に可愛くありたいと思うのは当然の事だろう。
まあ、今回のこれはガイの為にするお洒落ではないので、若干気乗りしない部分がある事も事実だが。
小さく鼻歌を歌いながら、リイはカチャカチャとハンガーをスライドさせていく。忍服以外の服を纏うのは久々だ。この所は試験や任務や怪我の療養で忙しかったから。

一通りの服に目を通したリイは、軽く曲げた左手の人差指の爪をそっと唇に当てながら、もう一度並んでいる服をざっと見回した。ややあって、奥から三番目のハンガーに掛けられていた服を手に取る。深い群青色の生地のそれは、裾にさりげない銀糸の刺繍と、襟元に飾り結びが付いたワンピース。詰襟の下の胸元は開いており、腰に近い位置まで深いスリットが入っている。

(これでいいか)

ハンガーにかかったままのワンピースを姿見の横に掛けたリイは、下着姿のまま鏡台の前に座った。
おもむろに化粧水の瓶を掴み、キャップを開けながら、その目線は並べられた化粧品の上を滑っていく。

チークはパレットの四番目。アイシャドウはシルバーを。けれどそれだけではつまらないから、少し冒険をして、パープル系を差し色にしよう。
決め手のルージュは、鏡台の前に並べてある、奥から二番目だ。


(腕っぷしだけが、私の力じゃない)


些か冷たい化粧水を頬に叩き付け、小さく口角を上げる少女の姿をした忍は、何が自分の武器となるのかを正確に把握していた。





*





セクシーなデザインのワンピースと念入りに施した化粧で、とても十四歳の少女とは思えないアンバランスな色気を醸し出したリイの姿に、道行く人々の反応は思わず足を止めたり、わざわざ引き返してその姿をまじまじと見つめたりと様々だった。もちろん、引き返してくるものの大半が男性である事は言わずもがなだ。

抱えた松葉杖を気にもせず、僅かな笑みを湛えて歩くリイは、時折際どいラインまで開かれたドレスの裾を翻し、一層周囲の視線を集めながら、真っ直ぐに道の向こうを目指して進んでいく。
目指す先は、遠くからでも良く見える白い壁の大きな建物。リイもしょっちゅう世話になっている、木ノ葉病院だ。

通院、という名目のもと、リイがわざわざめかし込んでこの場所に来たのは、訳があった。

「先生。今日はいいお天気ですね」

負傷した忍達でごった返すロビーを抜け、入院患者達がまばらにベンチに腰掛ける中庭に訪れたリイは、その一角で煙草を吸っていた年若い青年の医師の前で足を止めると、にっこりと微笑み掛けた。
彼はリイやガイがこの病院に世話になるとき、高確率で担当医になる医師だ。
専門は整形外科。筋肉や骨はもちろんの事、神経やチャクラ経絡にも詳しく、その実力は折り紙付きだ。あの綱手ですらも、その技量には一目置いていると聞く。ちなみに、リイの手足を診て自分たちにはどうする事もできないと診断したのも彼である。

突然声を掛けられて、振り返った医師は目を見開いたまま動きを止めた。
それもそうだ。この病院に勤める医療忍者である彼は、いつも泥や血にまみれた全身タイツか入院着のリイしか見たことがない。そんな姿でいても輝きの曇る事のない美少女であるリイだが、めかし込めばその輝きはまた一段と増す。
実力はあれどまだ若く、度々リイの美少女っぷりに赤面してしまう彼が、リイのそんな姿に動揺しない訳がなかった。
外科医なんだから女の裸くらい見慣れてるだろ、ちょっと露出の高い服着たくらいで、と思うかもしれないが、何せリイは稀代の超絶美少女。服を着る事で全裸よりもセクシーになる事だってできる。

「私、手術の事で綱手様に確認したいことがあったのですけれど、生憎、お忙しいようでしたので…」

この医師は綱手が来るまでリイの担当医だった。つまり、リイの手足の手術の事はこの医師も知っている訳だ。だがしかし、リイは別に手術の事をこの医師に聞きに来た訳ではない。リイの本来の目的は別の所にあった。

「先生、今お時間大丈夫でしょうか。どうしても、先生にご相談したい事があるのです」

医師が口を開く前に、リイは困ったように眉を寄せながら首を傾げる。
力なく下げられた手を桜色の爪先で擽り、そしてリイは、色づいた唇を見せつけるように顔を上げた。

「力になって、下さいますか?」





*





サクラのチャクラコントロール技術は、リイが考えていたよりも目を見張るものがある。
今や拳一つで岩塊に罅を入れられるようになった彼女の背中を見ながら、満足げに口端を吊り上げた。流石、後の綱手の弟子は伊達じゃない。
このままのペースで行けば、近いうちに岩塊を粉々に粉砕出来るようになるだろう。
リイは肩で息をするサクラに歩み寄り、そっとその肩に手を置いた。

「上出来です。少し休憩にしましょう」

リイはサクラの背を軽く押し、木陰の岩の上に座るように促すと、自身もその隣に腰かける。息を落ち着ける為に俯いているサクラの横顔を伺ったリイは、小さく片眉を上げて唇を曲げた。
…どうしたというのだろう。今日のノルマは達成したというのに、どうもサクラは浮かない表情を浮かべている。

「どうしたんです、サクラさん。なんだか元気が無いようですが」

この所、何かを吹っ切ったかのように修行に打ち込んでいたサクラだったが、今は珍しく覇気がない。
気になったリイが首を傾けながら声を掛ければ、隣を振り返ったサクラは戸惑うように僅かに唇を開き、何かを言いかけたあとまた口を噤む。
リイは瞬きをして、サクラの目を覗き込んだ。

「…なにかあったんですね?」

その言葉に、サクラは上目遣いにリイを見、そして胸に手を置き、俯いた。…何かあったという方向で間違いないらしい。
そう判断したリイは、指先でサクラの肩に触れながら、優しく「良ければ話を聞きますよ」と囁いた。柔らかく細められたリイの瞳を見つめるサクラの翡翠色の瞳が揺れ、ややあって小さく頷く。
どうやら話す気になったようだ。
この数日でサクラから悩みを打ち明けられる程の信頼を勝ち得たリイは、その内容におおよその見当はついていたが、真剣に聞く態勢を取りサクラに向き直った。

「サスケ君と、ナルトが…」

ポツリ、ポツリと話し出したサクラ曰く。

サスケを見舞いに来たナルトに、目覚めたサスケが急に突っかかり、その諍いは病院の屋上で螺旋丸と千鳥をぶつけ合うような激しい争いにまで発展した。
サクラは咄嗟に止めようと二人の間に割り行ったが、勢いづいた二人を止める事は出来ず、結局その場を諌めたのは現れたカカシだったと。

「サスケ君、ここのところずっと様子がおかしくて。…実は私達、中忍試験の時に死の森で、大蛇丸に襲われたんです。その時に大蛇丸がサスケ君の首に変な痣をつけてから、サスケ君、なんだか変わってしまった…」

浮かない表情のまま再び俯くサクラに、リイは何と声を掛けたら良いものかと眉を顰めた。
病院での乱闘―――もうそんな所まで話が進んでいたとは。
だとすれば、サスケの里抜けも間近だ。思わずリイは拳を握りしめるが、サクラがそんなリイの様子に気付く事はなかった。

サスケの首の痣…それは言うまでもなく、呪印の事だろう。
ここ最近の付き合いで、サクラがどれだけ本気でサスケの事を好いているかは理解している。だからこそ、とリイは唇を引き締めた。

もし己が、サクラの立場だったなら。
…もしガイが、ネジが、テンテンが、大蛇丸のような変態の毒牙に掛かったならば―――。

三人の顔を思い浮かべたリイは、一瞬にして表情を般若のようなものへと変える。
脳裏に蛇のような目をしたオカマと、生理的に受け付けない笑みを浮かべたメガネ野郎の姿が過った。
握りしめた拳がバキリと不穏な音を立てる。

「…そんな事になる前にぶっ殺す」

「えっ」

唐突なリイの言葉に、サクラは一瞬ポカンとした顔になった。
それに気付き、慌てて表情を取り繕ったリイは、「なんでもないです」と苦し紛れの笑みを浮かべる。

「ともかく…、サクラさん、あなたのつらい気持ちは、なんとなく理解できます。私も、もし大切な人がそんな事になったら、悲しまずにはいられない」

憂い顔で目を伏せたリイは、掛けていた岩からおもむろに腰を上げた。
そばに落ちていた手頃な枝を拾い上げると、その枝で地面にかりかりと模様を描く。

「大蛇丸の件は、私も暗部として任務に就いていた時に聞いています。サスケ君の首にある呪印…それと同じものに、今なお苦しめられている忍もいる」

―――天の呪印。
どこか写輪眼の文様にも似たそれを地面に描いたリイは、枝から指を話すと、目線だけを動かしてサクラの顔を窺った。
地面に描かれた模様を複雑な表情でじっと見つめるサクラは、きゅっと唇を噛みしめる。

「あれは大蛇丸が、己の気に入った者に刻む隷属の印…。刻まれた者のチャクラに反応し、無理矢理にチャクラを引き出す効果があります。あれを使用すれば、膨大なチャクラを利用して強力な力を使う事ができる…ただし、使えば体中に激痛が走り、また使いすぎれば自我を失うというリスクもあります」

リイがそう言えば、膝の上に置かれていたサクラの手が震えた。
前に見た、呪印の痣が体を埋め尽くしていたあの姿を思い出して、サクラは顔に暗い影を落とす。

―――サスケは更なる力を求めている。

復讐の為に。
七班が結成された当初も、迷いなくそれを語っていたサスケを思い出し、サクラは眉間に皺を寄せた。

「あの呪印は…リスクはあっても、確かにその人を強くする効果があるんですね」

「ええ。貪欲に力を求める人間は、自由を捨ててでもそれに縋ろうとする程です」

リイは吐き捨てるようにそう言った。

―――呪印で得た力に、一体何の意味があるというのだろう。

大切な人の為に努力を重ね、その上で掴み取った強さを持つリイだからこそ、そう思う事ができる。
目先の力に誘惑されて、己の『本当に大切なもの』を見失うような男に同情してやるほど、リイは優しくない。
だが。

「私、怖いんです…。このままだとサスケ君が、どこか遠いところに行ってしまいそうで…」

サクラが両手で顔を覆いながら、消え入りそうな声で呟く。
リイは無言で、そんなサクラの背を優しく摩ってやった。

「…大蛇丸の事は、どの程度ご存知ですか?」

「かつて伝説の三忍と謳われた存在であった事…、そして人体への非人道的な実験や、禁術の開発が問題視され、里を追われた事…。私が調べられたのは、その範囲内での事くらいです。実験や禁術研究についての記録は、火影様の許可がなければ閲覧を許可されていないとありましたから、そこから先については何も分からなくて」

サクラが本当に知りたかった情報は、大蛇丸がサスケに刻んだその呪印についての事だろう。
しかし、大蛇丸がしてきた研究の内容は、おいそれと他の忍に見せられる程軽いものではない。それこそ、里をひっくり返しかねない、超重要機密文書に匹敵する価値を持つものだ。そんなものを、サクラのような一介の下忍が閲覧できる訳もない。

「…大蛇丸を…、あいつさえ、いなければ…」

言いかけて、サクラは自らの呟きを否定するように緩く首を左右に振った。
元凶を倒してしまえば、呪印もひとまずは用を成さなくなるだろうし、サスケが里抜けをするような事態も回避できるだろう。だが、それが一番難しい方法であるという事を、サクラは重々承知していた。
何せ、相手はあの伝説の三忍の一人だ。そして今なお、S級犯罪者として里内外にその名を轟かせ…、三代目火影を殺害し、木ノ葉の里を混乱の渦中に落とし込んだことは記憶に新しい。
サクラが絶対の信頼を置くカカシをもってして『刺し違える事すらできない』と判断する程の忍を相手に、リイと同じく一下忍でしかないサクラが一体何をできるというのだろう。

「サクラさんは…この数日で、格段にチャクラコントロールの精度が上がりました」

ふと、そう呟いたリイを、サクラは僅かに眉を上げながら見やった。
どこか遠くを見つめながら、瞬きを二回。濡れたような光を放つ黒髪を揺らして、リイがサクラを振り返る。口元に三日月が浮かび、アイラインを引かれた黒曜の瞳がサクラを射抜いた。いつもと違う装いも相まって、女でも見惚れてしまうような美しい笑みだ。サクラの頬が知らずのうちに僅かな赤みを帯びる。

「そろそろ医療忍術の修行に入ってもいいのではないかと―――私が懇意にしてもらっている医師に、あなたの事を話しました」

医療忍術の基礎であるチャクラコントロールは、今のサクラを見る限り、見習いとしては十分なレベルに達しているだろう。
リイはサクラの修行に手を貸す事を約束した以上、最後まで面倒を見るつもりだった。とはいえ、リイは医療忍術を使うことなど当然できないので、そちらの修行を見てやる事はできない。だから代わりに、彼女に医療忍術を師事する人間を見繕ってやる事にしたのだ。
まさかいきなり火影である綱手に彼女を弟子にしてやってくれと頼むわけには行かないが、それまでのつなぎ(・・・)を用意してやることくらいなら、リイにだってできる。
白羽の矢が立ったのは、リイが普段から世話になっている、あの青年医師だった。

「今はどこも人手不足で、病院も忙しいそうですから、基礎くらいしか教えられないとの事でしたが、なんとか時間を取って下さるそうです。私に出来る事はこれくらいしかありませんが―――」

着飾った美少女という餌をぶら下げながら、言葉巧みにおだて上げた青年医師を前にリイが指を組みながらお願い(・・・)をすれば、彼は顔を赤くしながらそれに頷いてくれた。まったく男という生き物の単純さ加減には呆れるしかなかったが、事がすんなり運ぶのであればそれに越した事はない。気合を入れてめかし込んだ甲斐もあるというものだ。

「リイさん、そんな、私の為にわざわざ…」

「感謝されるようなことではありませんよ。…実は私も、サクラさんに折り入ってお願いしたいことがあるんです」

リイの言葉に、サクラは首を傾げた。
お願い。それは一体何だろう。
サクラの戸惑いをよそに、リイはすっと人差指を立てる。

「私にとってはむしろこちらが本題、とでも言いましょうか。…サクラさんにとっても、悪い話ではありませんよ。今の話を踏まえれば、尚更です。まったく、なんてタイミングが良いんでしょうか」

笑みを深めたリイが、立てた人差指をそっと紅を乗せた唇にあてがう。
今からする話は二人だけの内緒ですよ、そう呟いて。

「大蛇丸の情報が欲しいのは、私も同じなんです。訳あって、事情は言えませんが。―――ご存知の通り、木ノ葉病院は研究機関を兼ねています。術の効果による外傷などの症例の記録や、過去に使用された毒物の成分表、それに対する解毒薬。膨大な忍達の身体情報。チャクラ特性のデータ。…その中にはサクラさんの知りたい“呪印”に関する資料もあるでしょう」

サクラが息を飲んだ。リイが懐から取り出したのは、病院に併設するその研究機関へ出入りするための許可証だ。大きく書き込まれたサクラの名前の下、認可者の項目には、青年医師の名前の直筆のサインが刻まれている。

「基礎しか教えられない代わりといってはなんですが、これを使って自習(・・)をするのは構わないそうですよ。幸い、彼は綱手様も一目置く程の腕前を持つ医療忍者ですから、他の医師に顔も効きます。私やサクラさんの知りたい情報は、流石に簡単には手に入らないとは思いますが―――腕利きの医療忍者に教えを乞う生徒として、勤勉な生徒が興味のある分野を勉強(・・)をするのを、誰も咎められはしないでしょう」

許可証を受け取ったサクラが唇を引き結ぶ。
リイが言いたいことが分かったのだろう。その顔に、僅かな緊張が走った。

「ねえ、サクラさん。私達は忍です」

情報は時として命よりも重い価値を発する。中忍試験の一次試験で、そう語ったイビキの言葉を思い出す。
大蛇丸の情報は、恐らく厳重に保管されているに違いない。火影の許可がなければ閲覧することが出来ないような情報―――ただし、それが保管してあるのが研究機関であれば、話は別だ。研究所に勤める忍達―――彼らは、その職務を全うする為に、現場においてある程度の権限を約束されている。リイはそれを承知した上で、医療忍者の中でもある程度名の知れている青年医師の名を借りる事にしたのだ。
通常、危険な毒物や禁術による効果などの情報を取り扱っている研究機関には、一般の忍は入る事はできない。だからこうして、わざわざ色仕掛けまがいの事までして許可証をもぎ取ってきたのだ。
とはいえ、忍術を使うことができないリイが研究機関に出入りするのは傍からみればかなり不自然に映ってしまう。ならば、とリイはその役目をサクラに担ってもらおうと考えた。
医療忍術を学ぶため、という前提がある彼女なら、師事する為に研究機関に出入りしても怪しまれまい。
忍なら、忍らしく。
リイがこの許可証を得る為に手練手管を利用したのと同じように、サクラにもまた、情報を得る為に諜報のまねごとをしてもらわなければならない。
危険は伴うが、求めるものを手に入れる為に、手段を選んではいられないのだ。

「あなたを利用する形になりますが―――私たちの利害は一致している。そうですね?」

リイは笑みを消し、サクラをまっすぐに見据えた。
その強い光に思わず一瞬瞳を伏せたサクラの瞼に、想いを寄せるサスケの姿が掠める。許可証を掴む手に力が籠った。

それが、答えだ。

彼女は、迷わなかった。
翡翠の瞳に決意を宿し、サクラはリイを見つめ返す。

「私達は、同志であり、共犯者」

―――すべては、大切な人の為に。

リイはふっと表情を崩すと、目を細めながらサクラの肩をそっと叩いた。

「…大丈夫、あなたならできます」

頼みましたよ。
その小さな呟きに、サクラはしっかりと頷いた。





*





計画は、今の所順調だ。
リイは月明かりの照らす路地を歩きながら、今のうちに済ませておかなければならない事を思い返して整理する。念には念を入れて、何があっても対処できるように。
ああでもない、こうでもない、と脳内でシュミレーションを繰り返しながら、リイは小脇に抱えた松葉杖で石畳を突いた。コツ、という小さな音が、夜風に紛れて規則的に響き渡る。
何が正解であるかなんて、リイには分からない。自分に出来る事は、ただ持てる力の全てを使って最善を尽くすことだけだ。そしてチャンスは、今しかない。

―――でも、これで本当に大丈夫なのだろうか。本当に?

そんな事をいくら考えたって仕方がないという事は、自分が一番良く分かっている。大丈夫であろうがなかろうが、やる事は決まっているのだ。分かっている。覚悟もしている。―――だが、その疑問がリイの胸から消える事はなかった。

この、右の手足が自由を取り戻したら。

そこまで考えて、リイは足を止めた。自宅に戻るつもりが、考え事をしながら無意識に歩いている内に、別の所に来てしまったようだ。

「ここは…」

顔を上げたリイは瞬き、口元を小さく緩めた。

懐かしい、リイにとっては印象に残る思い出の場所。リイの愛する、第三班の始まりの場所。
松葉杖を置き、椅子に腰かけ、背もたれを指でなぞりながら、リイは深く息を吸い込む。見晴らしのいい屋上からは、暗闇の色に染まった木ノ葉の里がよく見えた。
窓に点々と灯る明かりと、柔らかな月の光のコントラストが美しい。リイは肺に溜めた夜の匂いのする空気をゆっくりと吐き出しながら、上半身を捻って背もたれに手を乗せ、背後に広がる里を見下ろす。
リイはここから見える里の景色が好きだ。この場所がリイにとって特別な場所である事もあるだろうが、この椅子に腰かけて里を眺めると、なんだか心が落ち着く。
もう一度深呼吸をしたリイはそっと瞼を降ろして、大切な人々の顔を思い浮かべた。
ガイ。リー。ネジ。テンテン。サクラ。今の両親。
己にとって大切な人達が愛し、慈しみ、その身を挺して守るこの里は、リイにとっても守るべき価値のある場所だ。そこに息づく人々を、この光の下で営まれる生活を、守らなければならないと思う。

彼らが愛するこの平和を―――絶対に、戦争なんかに奪わせはしない。

リイは膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。
ネジを、ガイを、彼らの愛する大切な人を失わせてはならない。リーの身を切り裂いた絶望を、繰り返したりしない。
その為に、時を遡って生み出された存在こそが、今のリイなのだから。

(私にはその責任がある)

味方などいない。リイが背に負ったその重責を、本当の意味で理解できる人間など、その存在の代償となったリー以外には居る筈もない。
運命という強大な、目に見えないものを相手に戦い続けるという選択をしたのは、他でもないリイ自身だ。
支えてくれる手などなくとも、たった一人で暗闇の中を進まねばならないのだとしても、リイは走り続ける。その先に待つものが何であったとしても―――この手の中に握りこんだ大切なものを守りきることさえできれば、それでいい。痛みも、苦しみも、すべては覚悟の上だ。
―――だが、分かってはいても、時折胸を押し潰すかのように広がるこの感覚を、リイはどうしても振り払う事ができなかった。
常に付きまとう不安と恐怖。それらを押し殺すように、リイは奥歯を噛みしめる。

孤独。

他のどの感情を消し去っても、これだけは消えずに残ってしまう。
背負い込んだ使命―――いや、己の存在そのものが、それを感じさせる原因たるものなのだから、それも仕様のないことなのだろうが。

リイは自嘲気味に唇を歪めた。

「…ばからしい」

思い悩んだ所でどうにもならないと知っているくせに、今更何を考えているのだろう。
己が感じる孤独など、使命を前にすれば些末なものでしかない。そんな不毛なことに頭を悩ませるくらいなら、他に考えなければいけない事が山ほどあるというのに。

リイは空を見上げた。夜空には、丸々と太った見事な満月が輝いている。

見惚れる程に綺麗な月だ。光に照らされて影となった雲が夜風に吹かれてゆったりと流れていく。なんと風情のある光景だろうか。
―――妙にセンチメンタルな気分なのは、この美しすぎる月夜の所為という事にしておこう。リイは柔らかく広がる叢雲を見つめながら、ふっと息を吐いた。
流れた雲が月にかかり、光が翳る。雲の向こうでおぼろげな光を揺らす月にリイが目を細めた、その時。


そっと、誰かの指先がリイの肩に触れた。


驚いて、肩を揺らしたリイが振り返る。少し強めの風が吹き抜け、弱い月明かりに白く光る黒髪が揺れる。目に入ったのは中忍以上の忍に支給されるベストと、暗闇の中では分かりづいらが、見慣れた色彩。
風にあおられた雲が隠していた月を再び浮かび上がらせ、差し込んだ淡い光が目の前の人物を照らし出す。―――つられるように顔を上げたリイは、ハッと目を見開いた。




「…ガイ先生…」




腰を僅かに曲げ、己の肩に触れながら佇むガイの姿に、リイは時が止まったかのような錯覚を覚えた。







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