33

「あなたが“ロック・リイ”として生きる事を受け入れたあの日から―――…。…いえ、“ロック・リイ”としての運命を課せられたあの日から―――――ボクは、ずっとこの空間で、いつかここに現れるであろうあなたの事を、待っていました」

息が出来ない程の衝撃。
ロック・リー。
決して交わる事の無い存在だと思っていた人物が、目の前に立っている。
リイはただその事実に目を見開き、硬直していた。一体何が起こっているのか、自分の目が信じられない。

「正直な所、何から話せばいいのか―――。ただ、これだけは、一番最初にあなたに言わなくてはなりません。ボクは、ずっとあなたに謝りたかった」

眉間に皺を寄せ、胸元で握りしめた拳を震わせるリーを、リイは困惑しながら見つめる。
何の事だかまるで分からない。

「どういう、事ですか…?」

戸惑いながらリイが尋ねれば、リーは拳から力を抜き、ゆっくりと腕を下ろした。
そっと目を伏せ、何かを悔いるような表情で歯を食いしばるその姿を眺めながら、リイは不安げに胸の上で手を重ねる。

「ボクの身勝手にアナタを巻き込み、その責任を―――あなたに押し付けた事を」

「…押し、つけた?」

リイが首を傾げれば、リーは意を決したように顔を上げた。
中忍ベストを纏ったリーは、リイよりも幾分か身長が高い。リイはリーを見上げるように顔を上げた。
視線が交錯する。

「…あなたには、すべてを話さなければなりません。“ロック・リイ”という存在が生まれた理由…、その全てを―――…」



―――――リーは、噛みしめていた唇を開くと、静かに語りだした。
全ての始まり、その真実を―――…。






*





今のボクにとっては十年も昔、あなたにとっては、これからもう少し先の出来事です。
説明するまでもないでしょうか。あなたは、知っているようですから。

―――あの戦争で、ネジがナルト君を庇って死んだ時、ボクは泣きました。とても…悲しかった。例えそれが、ネジが自ら選んだ結末だったとしても、ボクにとって、超えたい目標であったネジの死は―――掛け替えのない仲間の、親友の死は、ボクの心に深い傷を刻みました。
…消えようのない傷です。ガイ先生や、ナルト君の言葉に励まされ、もう一度戦う事を決めた時、ボクは振り返らないと決めた筈だった。ネジはボク達が想う限り心の中で生きている。繋がり続けている。そうであるかぎり、本当のネジは消えないのだと―――。そう思う事で、その傷から目を逸らしたのです。

ネジが死んだという事実は、変えられないと分かっていながら。

でも、ガイ先生が八門の最後を開くと決意した時―――笑って見ていろと、告げられた時―――。
ボクは、笑う事ができなかった。
笑顔で見送ってほしいと言うガイ先生に、ボクは、何も、言葉を掛ける事すら、できなかった。
涙だけは、止め処なく溢れてきたというのに。



忍になりたかった。たとえ忍術や幻術が使えなくても、ボクは忍者になりたかった。大切な人を守れる、立派な忍に。

―――忍とは、耐え忍ぶ者であると―――…いつか、三代目火影様が仰っていました。




でもボクは、耐えられなかった。




ネジの死。そしてガイ先生の―――。


…それは耐えられない、痛みでした。

見えないふりをした心の傷が、苦無で押し広げられたかのような痛みでした。

どんな厳しい修行でも、感じた事の無い程の痛みです。





その時ボクは、それが、それこそが大切な人を失う痛みなのだと、初めて知りました。





ボクが立派な忍になった時、その時、ボクの傍には、ガイ先生や、ネジや、テンテンが当たり前に居るものだと、ずっとそう思っていました。それ以外の未来だなんて、考えたこともなかった。

…ボク達は忍です。ボクも任務で人を殺め、同じ木ノ葉の仲間を失ったこともあります。
覚悟は、していた筈でした。
―――戦争。あの戦争で、いったいどれだけの人間が犠牲になったのでしょうか。
ネジは、そのうちの一人でした。ガイ先生も。
喪われた何千人の命と比べれば、取るに足らないことかもしれません。
けれど、ボクにとってその二人は。

ボクにとって二人は、掛け替えのない人達でした。
自分の命を引き換えにしてでも、生きていて欲しい人達。

なのにボクは―――何も救えない。何もできない。何も守れない。ただ、彼らが死んでいく様を見届ける事しかできない。
大切な人を守る?どうやって?


何が―――…何が、己の忍道を貫き守り通すだ…!!


ボクのこの手は、この拳は、ただ、無力にぶら下がっているだけじゃないか。


この戦争を、理不尽を、無力を、運命を―――…ボクは呪いました。
こんな未来を認めたくはないと――――ただただ恨んで、目の前の現実から目を背けました。

誰か、こんな未来を…、こんな未来から、ボクらを救ってほしい。

願い、目を閉じて―――気が付いたとき、ボクは何もない空間に居ました。
いえ、何もない、というのは少し違いますね。ボクは水の上に立っていました。そしてボクの目の前には―――そこには、俄かには信じがたい話ですが、あの六道仙人が佇んでいました。

六道仙人。ご存知ですね。そう、忍の始祖と呼ばれる、伝説の僧侶です。

彼は困惑するボクに、己の名と、その場所がボクの精神の中にある世界である事を話しました。

…到底、信じられない話だとは思います。けれど、信じて貰わなければならないのです。何故なら彼が、彼こそが、今あなたが置かれている現状を作り出した、決定的な存在なのですから。

―――六道仙人は、ボクに語りました。この戦争に秘められた真実。十尾と、長きに渡る忍達の戦いの歴史を。

そしてすべてを語った彼は、その望まない争いを止める為に、ボクにある選択肢を与えたのです。

彼はボクに、己が持つチャクラ、その術を以てして、ボクの願いを叶えよう、と言いました。
即ち、ボクが呪う『運命』と、その『結末』を変える力を以て、時を遡る力を与えようと。

しかし、それには条件がありました。
ネジや、ガイ先生の死―――いいえ、あの戦争自体を無かったことにする為に、遡り、戦うのはボク自身ではない。



『運命』を変える事の出来る力を持った人間を、ボクの存在と入れ替える事によって、この世界の未来を改変する。



彼は、そう言いました。

もうお分かりですね。
―――そう、その条件を満たしたのが、あなただった。

ボクは迷わなかった。例え望んだ未来に自分が居ないのだとしても―――。無関係な人間を巻き込んで、不幸にしてしまうと分かっていても―――それでも、その選択肢を選ばずにはいられなかった。



ボクの代わりにあなたという存在が生み出され、世界は、時間を遡った。



ボクの存在は、世界から消えました。というよりも、あなたという存在を生み出した事によって、ボクはその世界には居られなくなった。
同じ世界、同じ時間に、同じ人物が二人同時に存在する事はできない。

―――ここは、あなたの居た世界からも、ボクが居た世界からも隔絶された、忍術によって作られた異空間です。
気が付いた時、ボクはここに居ました。
そして、ここからずっと、あなたの事を見ていました。
…いえ、見ていた、というよりは、ボクとあなたは同じ存在ですから、“分かる”と言った方が正しいでしょうか。

この逆行にあたって、ボクは世界に直接干渉することができない代わりに、ある力を六道仙人から与えられました。

それは他者に、ボクの能力を与える力です。

ボクは自分の身体能力のその殆どを、あなたに与えました。自分でも驚くほどの身体能力―――あなたは、そう言っていましたね。
もちろん、あなたの力は、あなた自身の努力によって身についた力です。そこにボクの力を加えて―――…正直、あなたが暗部入りを果たした時は驚きましたよ。
忍術を使えない忍が暗部入りだなんて、前代未聞の事ですから。

…そう、あなたは忍術を殆ど使えない。それは何故だか、分かりますか?
―――どんな力を以てしても、“ロック・リイ”という存在のベースがボクである事は変えられないからです。

そして、“ロック・リイ”としての運命を受け入れた時、同時に、あなたにはボクが負うべき宿命、その業を課せられました。
…我愛羅君に、手足を潰される、その運命も、全てです。






*






「どんなに謝っても、許される事ではないと、分かっています。―――ごめんなさい。ボクの身勝手で、あなたを理不尽な運命に巻き込んでしまった」

リーはそう言って、震えながら深く頭を下げた。まるで、許しを請うように。
その様を眺めながら、リイは呆然と己の手足へと視線を滑らせる。
潰される事が決まっていたその右手を撫でて、思わず言葉を無くした。

最初から、全ては決まっていた事だったのだ。

この手足を失う事も、戦いの運命を選ぶ事も、避けようのない流れに抗い続ける事を決意したのも。
どうせ避ける事ができないのなら、あんなに必死になってまで、結局、己のしてきた事は殆ど無駄だったのか―――。

そこまで考えて、リイはハッとした。そして次の瞬間には、自嘲気味に笑う。


―――いいや、だからこそ、自分が選ばれたのだ。


『運命』を変える、その条件を満たす。
それは恐らく、自分が『そう考える』事すら、想定の上だったのだろう。


「…なるほど。すべては決まっていた事、ですか」


この気持ちも、想いも、すべては、想定の上。
何もかも、ロック・リーの―――六道仙人の手のひらの上だったという訳だ。


「―――――…っふ、」


思わず噴き出し、リイはぱっと口を覆った。
それでも喉が震え、肩が揺れるのは抑えられない。
どうしようもなく唇が引き攣って、頬の筋肉が痙攣する。

我慢できない。

リイはそっと口から手を離した。とうとう堪え切れず、リイは咳き込むように笑い出す。喉の奥からクツクツという声を出し、やがてそれは、堰を切ったかのような大声に変わる。
うっすらと涙の滲んだ目で、リイは佇むリーを見つめた。
もう、笑うしかなかった。複雑な感情が入り混じり、リイは腹を抱えて大笑いをする。いっそ、狂ったかのように。


「…ボクを、恨みますか」


俯きながら歯を食いしばるリーを見て、リイは次第に笑うのを止める。
はあはあと肩で息をするのを堪えて、目元に溜まった涙を指で拭い、リイはまっすぐな眼差しで拳を握りしめて震えるリーを見据えた。
ピンと背筋を伸ばし、リイは凛として口角を上げる。



「まさか」



迷いのない、ハッキリとした声だった。
予想していなかった答えに、リーは目を見開いて顔を上げる。
理不尽な運命を身勝手に背負わされて、恨まない筈がない。それなのに何故。

―――視線の先で、リイは不敵に笑んでいた。そしてそのまま、動きを止めたリーに静かに歩み寄り、両腕を広げてそっと抱きしめる。
リーが驚いて身じろぎしたのをぐっと抑え込んで、リイは背伸びをしながらリーの頬を両手で包み、無理矢理に己の方に引き寄せると、真正面から向き合った。

こつん、と額を合わせ、リイは満足そうに笑みを浮かべる。



「私はあなたです。分かってるんでしょう」



自分が何を望み、何の為に戦うのか。



運命を憎み、抗い、戦う。
何の為に?

―――大切な人を、守る為に。



「私は限りなくあなたに近い存在です。何故私が選ばれたのか―――私には、分かりましたよ」



リーにとって大切な存在である人を、最も愛し、その為に戦う事を選ぶことが出来る人間。
それが、“ロック・リイ”だ。



「恨む気持ちがないと言ったら、それは嘘になります。当たり前ですが痛いのも怖いのも大嫌いですし、何より私は、死にたくない。忍になる道を選んだのも、保身の意味合いが強かった」

だけど、とリイは続ける。

「ガイ先生と出会い、ネジやテンテンと過ごしているうちに―――彼らは私にとって、掛け替えのない仲間になった。―――こんな風に思うのは初めてなんです。自分の命を預けてもいいと思える、そんな仲間は。私の故郷は、それはそれは平和ボケした所で、命を懸けた戦いとは無縁のところにありましたから」

リイとリーの視線がぶつかる。

「―――私はあなたに感謝してるんです」

その瞳に宿る強い光に、リーは思わず息を飲んだ。
喉が上下する様を見ながら軽く笑ったリイは、そっと目を閉じて、リーの頬から手を放す。
腕はそのままリーの頭を抱きしめて、薄く色づいた唇が耳元に寄せられた。

「こんなにも真剣に、誰かを好きになったのは初めてなんですよ」

髪を撫でながら、ささやくように、静かな声でリイはリーに感謝を述べる。



「ありがとう。あなたは私に、誰かを愛する喜びを教えてくれた」



人と人との繋がりが希薄で―――手のひらの中の画面の文字が、最も身近なコミュニケーション。
ほとんどの人が真剣に命の大切さなんて考えず、ただ何の変哲もない毎日に厭いて簡単に『死にたい』と口にできる時代。
友達なんて、ボタン一つで繋がりを消してしまえるような世界で―――振り返ってみれば、寂しい人生を送っていたと思う。
決して楽しくなかった訳じゃない。大切な人がいなかった訳じゃない。けれど―――自分はあの世界で、胸を張って心から「愛している」と言えるような人が居ただろうか。
自らを犠牲にしてまで、守りたいと思える人が居ただろうか。

道端に座り込んで不安に泣いている自分に―――そっと手を差し伸べてくれた人が。



「ロック・リー。あなたにとって大切な人は、私にとっても大切な人です。何よりも、誰よりも。―――もしも、私に同じ選択肢が与えられたのなら、私は迷わず、あなたと同じ選択をするでしょう」



二人は、鏡だ。
いいや、鏡で映したように、同じ感情を持てる存在であるからこそ―――選ばれた。

リイは今、ようやく、己に与えられた役目を理解した。

そして―――それを受け入れた。

きっとその為に六道仙人は、リーと話をする為の機会を与えたのだろう。



「私は、あなたの願いを叶えます。いえ、私の願いを叶える、と言った方が正しいのでしょうか。だから―――…そんな顔しないでください」



リイはリーの目元に浮かんだ涙をそっと指で拭った。
安心させるように柔らかな笑みを浮かべて、背伸びをしたまま引き寄せたその額に口づける。

「私には運命を変える力があるんでしょう?」

下から覗き込むように小首を傾げれば、リーは「ですが…」と言い淀んだ。
ここまで来て、怖気づくなんてらしくない(・・・・・)

リイはリーの背を軽く叩き、ぱっと踵を返す。

無邪気にくるりと爪先を回して、リーに向き直ったリイは、にいっと口角を上げると悪戯に微笑んだ。



「“自分を信じない奴なんかに努力する価値は無い(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)”。―――今まで、ずっと努力してきたんでしょう?運命を変える為に、自分を犠牲にしてまで、こんな寂しい、何もない暗闇の中で、何年も」



リーはハッと目を開いた。その言葉は、リーの心の奥底に深く刻み込まれたガイの言葉だ。
忘れようもない、リーという存在の根本を形作る、その言葉。
鏡合わせの存在からそれを告げられ、リーはリイの言わんとする事を察した。

同じ感情を抱き、同じ目的の為に最善を尽くし続ける。

“私はあなたです”と、リイは笑う。




「だったら、自分(わたし)を信じて。リー、大丈夫です。私はきっと―――やってみせますから」





にっこりと笑ったリイに、リーは唇を噛んだ。
すぅっと、目頭に熱が集まる。
リイの姿を見つめながら、眩しいものを見るかのように目を眇めたリーは、涙を頬に伝わせながら、震える唇をそっと開く。




「―――…ありがとう、リイ…」




喉の奥から絞り出すかのような、リーの掠れた声が耳に届き、満足そうにリイが目を閉じたその瞬間―――世界は、眩い光に包まれた。







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