31

―――今の所、標的に動きなし。

暗部の装束に身を包み、右肩に暗部の印を刻んだリイは、仮面の下で短く息を吐いた。
間もなく中忍試験本戦が始まる。―――そう、とうとうこの日が来たのだ。

暗部になってまだ数日と言えど、思い返せば色々な事があった。
新人には恒例の『腕試し』と称したイジメに近い唐突な攻撃―――もちろんすべて返り討ちにしたが―――に、隠密行動中にかち合った忍との戦闘―――身元は不明との事だったが、恐らく音忍と思われる―――それに加えて、テンゾウの鬼のような人使いの荒さ。人手不足であるという事は重々承知しているが…。
連日ほぼ不眠不休で任務に就いているリイは、寝不足の所為か若干荒れ気味の肌に少し憂鬱な気分になる。今は仮面をしているからいいが、こんな疲れた顔をガイには見せたくない。予定ではそろそろ任務を終えて帰って来る頃だった筈だが、これは当分素顔では会いにいけないな、とリイは仮面の下で唇を歪めた。好きな人にはいつでも綺麗な自分を見せたい、それは古今東西すべての乙女が持っている共通の思いだろう。

(…よく考えたらもう一月近くお顔を見ていない…)

恋に身を焦がす乙女の立場から言えば、リイはそろそろ限界だった。疲れ切った表情を仮面で隠したまま肩を落とす。

(まったく、恨みますよ、砂の我愛羅…)

暗部入りしたリイに与えられた任務、それはテンゾウとのツーマンセルで行う我愛羅の監視だ。
ここ数日、つかず離れずの位置を保って彼らを監視してきたリイは、己が現在こんな事をする羽目になった原因である少年を遠目に睨み付ける。

―――砂の我愛羅。

彼らにとって今日は木ノ葉崩しの作戦決行日という事もあり、彼の近くに待機するテマリとカンクロウからは緊張感が伝わってくるが、我愛羅は相変わらず何を考えているのか分からない無表情のままだ。
彼らは自分達に暗部の監視が付いている事には気付いているようだが、そもそもここは彼らにとって敵陣のど真ん中。監視は想定の範囲内の事なのか、この数日の間彼らが自らリイ達に接触してくるようなことは無かった(音忍と思われえる忍からの襲撃は数度あったが)。
残虐である事に定評のある彼らがここまで大人しくしているのは、木ノ葉崩しも目前に控えている今、作戦を台無しにしかねないような余計な争いをする事のないよう、慎重になっているのだろう。まあ途中で我愛羅が里内を抜け出しカカシとサスケが特訓している場に割り込むというハプニングもあったが、それはリイにとってはどうでもいいイベントであったので、アレは“何かあった”にカウントしない事にする。

つつがなく開始した中忍試験本戦に、本当なら今頃先生と二人でネジの試合を観戦しに行く筈だったのに、とリイは僅かに落胆しながらも、新たに下された指示に渋々と従うのであった。




*




本戦開始にあたって、監視の任務から会場の警護の任務へと任務内容を変更されたリイ達は、ツーマンセルからフォーマンセルへと班を編成しなおし、指示された配置についていた。だだっ広い会場内に配備された暗部は僅か二小隊、リイを含めて八人だ。これから砂、音との戦闘になるというのに、この人数は少なすぎるとリイも思ったが、人員不足はやはりどうにもならなかったらしい。しかも記憶が正しければ、小隊の中には既に音の忍が紛れ込んでいる。薬師カブト、だったか。流石に長い間スパイとして各里を転々としてきた手練れだけの事はある。リイは今配置についている暗部のうち、一体誰がカブトと入れ替わっているのか皆目見当もつかなかった。まあ、長年暗部を務めるテンゾウですら気づかない程の潜入の腕の持ち主を、下忍になってまだ一年と少し程の経験しかない今のリイがどうこうできる筈もないのだが。

持ち場についたリイは黒い外套のフードを目深に被り、後ろ手を組みながら会場の方へと視線を落とした。眼下ではナルトとネジの激しい戦いが繰り広げられている。
リイから見て斜め右下の観客席ではテンテンがネジを応援しており、リイはその周囲を見回しながら無意識のうちにガイの姿を探した。未だ任務が長引いているのか、この会場内に姿は見当たらない。

(次のテマリ対シカマル戦…、そして我愛羅とサスケの試合が始まったら…)

リイは左手の中指に嵌めた仕込み指輪をそっと親指で撫でた。
木ノ葉崩しが始まれば、リイは暗部として砂・音の忍達と一戦を交えなければならない。しかしリイは、それ以前に観客たちに掛けられる大規模な幻術の方をなんとかしなければならなかった。リイは自力での幻術返しをする事ができない。テンゾウやその他の暗部に助けてもらえればいいが、その場の混乱を思えば他人の助けは期待しない方がいいだろう。

フードの襟元がもぞもぞと動き、リイははっとして思考を元に戻す。

「テト…、もしもの時は、よろしくお願いしますね」

ちょこんと覗かせた顔を指で撫で、リイは試合会場に再び視線を向けた。
地面から飛び出したナルトがネジの顎を張飛ばす。その体が地面に落ちると、会場からは盛大な拍手と歓声がナルトに送られた。

(落ちこぼれが天才を打ち負かす、か…)

他人から見れば素晴らしい試合だったのだろうが、しかし、リイの心中は複雑だ。

(ネジが負けるのは分かっていたけれど…こうも話通りに事が進むのは、やっぱり面白くない)

心のどこかでネジの勝利を望んでいた自分に気が付いて、リイは思わず自嘲の笑みを浮かべた。
―――自分に都合のいい展開などそうそう無いという事を、誰よりも知っている筈なのに。
医務室に運ばれていくネジの姿を見送って、無邪気に駆け回るナルトを眺める。
リイは小さく頭を振って、思考を切り替えた。

他人の心配をしている場合ではない。

いつの間にか始まっていたシカマルとテマリの試合。カウントダウンはもう始まっているのだ。
僅かに傾いた太陽を見上げ、リイは微かに目を細めた。




*




遅刻による試合の繰り上げを筆頭に人様に散々迷惑をかけた割には、申し訳なさそうな様子もなく堂々と派手な演出で登場を果たしたカカシとサスケの姿を冷めた目で眺めながら、リイはいよいよか、と汗の滲む掌を握りしめた。
微かに血の匂いを纏わせながらサスケと向かい合う我愛羅の姿に、リイは唇を引き締めて、その瞬間を待つ。

(…流石。私とやり合った時よりも強くなってる)

自在に砂を操り、サスケの素早い体術を砂分身でいなし、攻守をいっぺんにこなしてみせる我愛羅の姿にリイは苦笑いを浮かべた。
今のサスケの動きはリイの標準スピードとほぼ同等だ。成程、流石に相手の動きを見切る写輪眼を持つだけの事はある、とリイはサスケの動きを目で追いながら冷静に分析する。彼の動きは試験前に一度拳を交えた時のリイの動きそのままだ。
しかし、我愛羅を相手に戦ったリイには分かる。リイがそうであったように、あれだけでは我愛羅に勝つ事は出来ない。

ふと、リイの視界の隅で見知った色が動いた。客席へと視線を移したリイの瞳が目立つ銀髪を捉え、その隣に立つ人物にリイの胸が僅かに高鳴る。

(あれは…、ガイ先生!!)

カカシと並んで何か話をしているガイに、リイは思わず駆け寄りそうになった足を抑えた。今は任務中だ。持ち場を離れる事はできない。
一月ぶりに見るガイの姿に今すぐにでも飛びつきたい気持ちを抑えて、リイはギリギリ声を捉える事の出来る範囲に居る彼らの会話に耳を澄ませる事にした。

「―――それで、あの憎らしい我愛羅とかわいいリイの一戦を目にしていたはずのお前が、リイですら倒せなかった奴ににわか仕込みの体術ばかりを極めさせたのは一体全体どういう訳だ?」

カカシに向き合いながら訝しげな表情を浮かべるガイからの思わぬ一言に、リイは目を見開いて動きを止める。

(…!!…かわいい!?今ガイ先生私の事を“かわいいリイ”って言った!?)

もちろんそれが“かわいい弟子”という意味の“かわいい”であるという事をリイは重々承知していたが、どんな意味であれ好きな人から“かわいい”と言われれば嬉しくなるのが恋する乙女というものである。
眼下で繰り広げられる我愛羅とサスケの攻防戦の事など一切目に入らなくなったリイは、仮面の上から両手の掌を頬に当てて見悶えた。

「ま、見てな。オレもあいつも無駄に遅れてきた訳じゃないさ…。ガイ、お前が見れば驚くかもな」

砂の殻に籠った我愛羅を尻目にサスケが壁を駆けあがり、足にチャクラを集中させて垂直に張り付く。次の瞬間、サスケが抑えた左手から膨大な量のチャクラが迸った。

「まさか…」

特徴的な音を立てながら壁を削るそのチャクラに、瞬きを繰り返すガイの口から感嘆の声が漏れる。

千鳥。
木ノ葉一の技師と謳われ、内外からコピー忍者と恐れられるはたけカカシ唯一のオリジナル技。
それは、ただの突きを膨大なチャクラを纏う事によってスピードと貫通力を強化し、一撃必殺の暗殺術へと昇華させたものだ。
幼少の頃から天才と言われてきたカカシが、その写輪眼を以てして初めて可能とした技。考えてみれば、この術を受け継ぐのに、サスケ程にふさわしい人物は居ない。

「そうか、だから体術ばかりを鍛え、スピードを…!」

「お前んとこのリイちゃんを参考にさせてもらったよ。攻守に優れるあの砂相手に通用する技…重要になるのはやはりスピードと、あの強力な防御技を崩す為の刃だ。そしてカウンターに対抗する為の手段…」

飄々とした態度のカカシを、ガイは些かむっとした顔で睨んだ。
リイは強い。今期の下忍の中でもトップクラスの実力を持っている。それはこの場に居る誰もが承知していた。そのリイが勝つ事のできなかった相手に、なぜわざわざ敗北したリイと同じ戦闘スタイルを以て試合に臨ませたのか。それも、強力であるとはいえ、リイには遠く及ばない付け焼刃の体術で。

「そんなに自信があるのか、あの写輪眼に」

サスケにあって、リイにないもの。
体術においてはリイに及ばなくとも、その血継限界を以てして弱点を補い、さらに攻撃をより有効なものへと昇華させる。カカシはそこに勝算を見出したのだ。

「あの試合で確証したよ。あの絶対防御に対して、あの子が使った瞬閧とほぼ同じ威力を持つ雷切は有効だ。それにサスケには写輪眼がある。確かに相手はかなーり強いケド…ま、勝機は十分にあるデショ」

雷を纏ったかのようなサスケの腕が、硬い砂の壁を削り、我愛羅を守る殻へと突き刺さる。

飛び散った砂に目を見開く群衆。次の瞬間、空気を震わせるかの如く迸った途方もない殺気に、その場に居た全員の背に悪寒が走った。
弾かれたように後退するサスケの腕をがっちりと掴んだバケモノの手。それを見たリイの蟀谷から一筋の汗が滑り落ちる。



(…来る!!)



我愛羅を覆っていた砂の殻が崩れ去った次の瞬間、空から白い羽が一斉に舞い落ちてきた。
周囲の観客たちの目がぼんやりと細められ、カクカクと首が傾いていく。


―――幻術。ついに始まった!


瞼が重い。リイは朦朧とする意識の中、咄嗟に左手の中指に嵌めている指輪についた突起を弾いて、飛び出した仕込み刃を手のひらの中に握りこんだ。
幻術返しをする事ができないリイが正気を保つには、痛みに頼る他ない。鋭い刃が肉に食い込み、生温い液体が染み出す。力の入らない足で踏ん張り、右腕で椅子にもたれ掛って倒れ込む事だけは免れたが、霞む視界だけはどうにもならなかった。
手のひらに食い込んだ刃から伝わるビリビリとした痛みによってどうにか意識を喪わずに済んでいるが、これではまともに動くことすら出来ない。
必死に辺りを見回すが、頼みの綱のテンゾウは現れた音と砂の忍達を追って交戦中だ。
リイは可能な限り体内を流れるチャクラの動きを止め、それ以上幻術が侵食しないように歯を食いしばる。早く誰かにチャクラを流し込んでもらうなりして己のチャクラの流れを正常な状態に戻して貰わなければ…!

その時、眼前に黒い影が迫った。ぶれる視界の中、焦点の定まらない目がその姿を追う。―――音忍!

振り上げられたクナイが鈍い艶を放ちながら肉薄し、リイは必死に仰け反ってその刃を躱す。コンクリートの上に強かに背を打ち付け転がりながら、リイはフードの中から飛び出したリスに対して掠れる声を振り絞り、指示を出した。

「…―――テト!アイアンテールッ!!」

リイの呼び声に応じて、勇ましくも身構えたリイが宙を舞い、クナイを振り下ろそうとする音忍をその鋼の如き尾で殴り飛ばす。それはリイの使う六式のうち、鉄塊を応用して覚えさせた技の一つだが、その威力たるや凄まじく、可愛らしい見た目からは想像も出来ない程の攻撃力を誇っていた。あらぬ方向に首を曲げ吹っ飛んだ音忍を見届け、軽い音を立てて着地したリスは倒れ込んだリイに慌てて駆け寄る。

「―――すまない、助けるのが遅くなった!!」

ザッと音を立てて現れ、伏したリイの傍らに膝をついたテンゾウがその背中をトン、と叩く。流し込まれたチャクラによって正気に戻ったリイは、血の滴るリイの手を前に右往左往するリスを抱き上げ、素早く立ち上がると体制を立て直した。

「無事かい」

「ええ、テトのお蔭でなんとか。危ない所でした」

リイが血のついていない方の手で肩に乗せたリスの頭を撫でる。すると、くすぐったそうに尻尾を振るリスは、主を守れた誇らしさを表情に滲ませた。テンゾウは二人(正確には一人と一匹)の無事な姿に頷くと、踵を返して素早くリイに指示を出す。

「大蛇丸だ。イ班は火影様、ロ班は大名達の護衛についた。僕達は以前の打ち合わせ通り、砂の我愛羅への対処をしなければならない」

リイは事前に打ち合わせていた作戦を脳内で反芻させながら首を上下させた。我愛羅を里内で尾獣化させてはならない。それがリイとテンゾウに与えられた、絶対の任務だ。
拳を握りしめたリイは、階段状になった客席の下部に並んだ音忍達を見据える。その中央には裏切り者の暗部―――薬師カブトが佇んでいた。

(一筋縄じゃいかない、という訳か)

チッと舌打ちをしたテンゾウが飛び掛かってきた音忍をクナイで切り裂く。リイは空中で失速して倒れ込んだその死体を難なく避けると、テンゾウの背を守るようにして構えを取った。

―――囲まれた。

「…と、それにしても数が多いな。先にコレをなんとかしないことにはどうしようもない。行けるね?」

「ハイ」

しっかりと頷いて、拳に込める力を増す。まずは敵陣突破だ。
リイは顔を上げ、周囲を囲む敵を睨み付ける。

「―――それじゃあ、いくよ。会場内の敵を掃討しろ!!」

ヤマトが印を組むと同時に、リイは駆け出した。







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