02

「怪我をして泣いていたのか…、よしよし。痛かったなあ。…しかァし!このマイト・ガイが来たからにはもう大丈夫だぞ!」

青年ことガイは、どこからか白いハンカチを取り出すと、素早くリイの怪我をした膝に巻きつけた。無骨な手と豪快な態度からは想像もつかないほど優しく繊細な手つきだった。ガイはご丁寧に、「家に帰ったらお母さんにちゃんと治療してもらうんだぞ」と付け加え、きゅ、とハンカチの裾を結びつけると、そのままそっと手を掴んでリイを立ち上がらせる。

「じき日も暮れる。夜になる前に、うちに送って行ってやろう!お嬢さん名前は?」

尋ねられて、あっけにとられたままだったリイもはっと我に返った。
下睫毛の濃い瞳に見つめられて思わず尻込みしそうになるが、その目宿る純粋な善意を感じ取り、なんとか口を開く。

「…リイです…」

「リイか!よォしリイ、お兄さんがうちまでおぶっていってやろう!家はどこだ?」

その言葉に、リイは視線を彷徨わせた。とてもじゃないが、この人がリイの『本当の家』まで連れて帰ってくれるとは思えない。となれば、リイが最初に飛び出してきたあの家こそがリイの自宅となる訳だが、あてもなく走ってきたおかげであの家がどこにあったのかその方角すら思い出せない。

「わ、私、迷子になってしまって…」

言葉が尻すぼみになる。ガイは心得たとばかりに頷き、「道理で。女の子がこんなところでしゃがみこんでいるから一体何事かと思ったぞ。迷子だったのか」と呟くと、うむうむと何度も首を縦に振った。

「心配するな!必ず家まで送り届けてやるからな、ホラ!」

ガイはリイを安心させるように笑う。そしてしゃがみこむと、リイに背を向けて後ろに手を突き出した。

「乗れ!」

「あ、あの…」

「なんだ、遠慮はしなくていいぞ!ホラ」

リイは、数瞬その背に乗るかどうか戸惑ったが、意を決してその肩に両手を置いた。
太ももに手が回され、ぐんと視界が高くなる。
あたたかく、広い背中。何故だかリイはその時、その大きな背中に泣きたくなるほど安心した。

「よォーしィ」

ガイはリイのぬいぐるみを片手につかみ、中腰になると、足に力を溜めるような動作をする。

まさか。

リイは嫌な予感がして、ガイの肩を掴む手に力を込めた。

「しっかり捕まっておけよ!ホィヤア!」



ぐん、とかかる重力に、思わず目を細める。

―――リイは、次の瞬間空を飛んでいた。



内心で絶叫するリイをよそに、ガイは笑顔を浮かべながら建物の屋根を蹴って空を飛ぶ。

「リイ、お前苗字は?」

とん、とんと軽いフットワークで屋根の瓦が蹴られるたびに、軽い衝撃がリイの尻から背に伝わってくる。当たり前だがこれまで人の背に乗って空を飛ぶ経験などしたことがないリイにとっては、足元に広がる街は恐怖でしかない。
リイはその背にしがみつきながらなんとか「っ…ロック!ロックです」と叫んだ。とっさのことに自分の本当の苗字を叫びそうになったが、おそらくこの世界にそんな苗字の人間は存在しないだろう。自ら名乗ることに違和感を感じないわけではなかったが、この世界での自分の苗字はおそらく『ロック』だ。

「よォしロックだな!ちょっと待ってろ…」

がくん、と落ちる時に感じる浮遊感。リイは思わず声にならない叫び声を上げ、ガイのベストにシワがつく事すら考慮せず、ぐっと布地を握り締めた。



*



「ここだな」

街の人々にリイの家を知らないか聞いて回ったガイは、あれから十分もしないうちにリイの家の門の前に到着していた。リイの美少女っぷりは木の葉の人々の知るところだったのか、家は案外すぐに分かった。
とてつもなく濃いガイととてつもない美少女であるリイの組み合わせに、途中ガイが誘拐犯に間違われたりもしたが、リイがなんとか弁明したお陰でガイが里の警邏に捕まる事だけは避けられた。

そっと地面に下ろされ、リイは青い顔をしたまま震える足を地面につけ、ガイからぬいぐるみを受け取る。

「なんとか日が暮れる前に帰り着いてよかった!もう迷子になるんじゃないぞ!!」

ケガもちゃんと見てもらえ!とぬいぐるみを抱きかかえたリイの頭がガイの大きな手のひらで撫でられる。眩しい笑顔が夕陽と重なり、リイは思わず目を細めた。

一人ぼっちで心細くて、泣いていた自分を助けてくれたガイ。リイにとって、ガイの濃さは最早気にならないものになっていた。あの大きな広い背中が、この知らないものだらけの世界でどれだけの安心を与えてくれたか。
最初は逃げ出した家の門の前にもう一度立ったとき、リイの心からは初めにあった不安が消えていた。それは、他ならぬガイがここまで連れてきてくれたおかげだろう。

「あ、あの…」

恐る恐る口を開いたリイに、ガイが「なんだ?」と首を傾げる。リイは拳を握り締めると、ガイに向かって深く頭を下げた。

「ありがとうございました!!」

ガイはリイの唐突な行動に驚いたように目を瞬かせたが、すぐにふっと笑みを浮かべ、リイと視線を合わせるようにしゃがみこんだ。顔が覗き込まれ、視線がぶつかる。


「もう泣くんじゃないぞ」


ガイは、木の葉で誰よりも熱血で、涙もろく、暑苦しい性格の青年だった。誰よりも情が深く、泣いている子供を見かけたら放っておくことができない性分だったのだろう。
だからあの時、路地裏で泣いていたリイを助けた。一人で泣いていたリイを、暗い影の中から助けてくれた。

そのガイの姿は、リイにとってなによりも眩しかった。

ガイは目を見開くリイに優しく微笑みかけた。ぽん、と肩に置かれた手から伝わる熱が、離れていく。


「じゃあな」


夕暮れの街の角に、消えていくガイ。

ぬいぐるみを抱きかかえたまま、その背中をじっと見つめていると、不意に背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「…リイ!リイ!!」

こちらに駆けてくる人影。あれは確か、母親だったか。
小さな靴を握って、髪を乱しながら駆けつけてきた母親は、立ち尽くすリイを叩いて、そのあとすぐに力強く抱きしめた。

「どこに行っていたの!!靴も履かずに、心配したんだから…!街の人たちが、あなたを抱えた忍びがあなたの家を聞いて回っているというから慌てて…」

リイは涙ながらに己を抱きしめる母を見て、空を見て、ぬいぐるみをぎゅっと握り締めた。

覚悟を決めろ。
これは夢じゃない、どうしようもない現実だ。そして私は『ロック・リイ』という存在なのだ。

母の体から伝わる体温と心臓の音に、リイは諦めたようにふっと息を吐いた。
母の顔に目線を合わせ、少しだけ瞼を下げながら、静かに口を開く。


「…ごめんなさい、お母さん」



―――この日、リイは世界を認めた。







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