01

気が付いたときには、鏡の中に美少女が写っていた。

白く透き通った肌に、さらさらと揺れる黒檀の髪。子供らしくふっくらとした頬はみずみずしく実った桃を連想させるように淡く色付き、つやつやの桜色の唇を開けば小さな白い歯と赤い舌が覗いた。
ぱっちりと開いた両目を縁取る長くて濃い睫毛。思わず瞬きをすれば、今にも音を立てそうな様子でくるりとカールした毛先が揺れる。
推定年齢四歳といった所か。その姿はまさしく妖精、天使もかくやという程の完璧で可憐な『美少女』だ。

「…えっ?誰これ」

思わず溢れ出た呟きすらも、鈴を転がしたかのような可愛らしい声で、リイはますます混乱する。鏡が力の抜けた手の中から音を立てて床に落ちた。

「なにこれ、どういう事…?」

呆然と見上げた窓の向こう、青く晴れ渡った空の向こうに小鳥たちが遊んでいる。
窓の外に広がる景色は、リイにとって『紙の中でしか見たことのない世界』そのものだった。



*



前世の記憶を思い出した、というには、あまりに生々しく、鮮烈で、リアリティを伴った感情と記憶の羅列。
木の葉の里に生きるロック・リイという少女がそれを得たのは、僅か四歳のとある夏の日、子供らしくぬいぐるみで遊んでいた時に、なんとなく鏡を覗き込んだその瞬間だった。
19××年生まれ。ごく普通の一般家庭に育ち、既に成人して仕事もしていた。
そしてふと気がついたらとんでもない美少女になっていて、見覚えのある景色の世界が窓の向こうに広がっている。



そう、見覚えのある世界。



はっとして、リイは部屋の窓へと駆け寄り、窓枠を掴んで身を乗り出しながらそこから見える景色を食い入るように見つめた。右を見て、左を見て、遠くを見て、『木の葉』なんとかだとか『忍』なんとかだとか、そういった文字の看板で溢れかえる特徴的な建物ばかりの街をじっと眺めたあと、おもむろに踵を返して、足元に落ちていた大きなパンダのぬいぐるみを無意識に抱えると、勢いよく部屋から飛び出す。
階段を一気に駆け下り、玄関と思わしき扉を開け放って裸足のまま外へ駆け出した。
振り返り、恐らくは自宅であろう建物を見上げる。表札には『ロック』の文字。

(ロック?ロックって、もしかしてあの?)

リイは訳のわからない事態に震えそうになる体を、パンダのぬいぐるみを強く抱きしめることによって紛らわせる。
心のどこかで、冷静な感覚を持った自分が、今見た光景から得た結論をはじき出す。



ここはもしかしてあの漫画『NARUTO』の世界で、今の私であるらしいこの美少女は、あの登場人物『ロック・リー』と関係のある存在なのではないか。



「リイ?あなた、靴も履かないで突然どうしたの?」

どたばたという足音に気づいたのか、母親と思わしき女性が玄関から顔を出した。先程鏡の中でじっくりと見た美少女の顔とどことなく似ている。
訝しげな目でこちらを見る視線に、何故だかいたたまれないような気持ちになって、リイは思わず背を向けた。

「リイ!?」

走って、その場を逃げ出す。背後から女性の驚いたような声が追いかけてくるが、足は止まらない。

(なにこれなにこれ、一体どういうことなの…!?)

陽のあたる小道から、雑踏の中へ。
見たことのある、しかし今の自分から見れば違和感しか感じない服装の人々が、ぬいぐるみを抱え色のない顔で裸足のまま走るリイの姿を訝しげに振り返る。しかしそんな視線を気にしている余裕は、今のリイにはなかった。



私は夢でも見ているの?



それにしては、日差しの暑さも、足元に感じる地面の感触も、あまりに生々しすぎる。
現実。冷や汗が背筋を伝う。と、その瞬間足元に落ちていた小石につまづき、リイは思い切り転倒した。
ぬいぐるみが宙を待って、すりむいた膝から泥の混じった血が一筋流れ出す。

「う…っ」



痛い。夢じゃない。



膝に感じる熱を持った痛みに、唇を噛み締めながら上体を起こす。そばに落ちていたぬいぐるみを手繰り寄せ、思い切り抱きしめた。
生理的ににじみ出た涙が視界をぼやけさせる。

「夢じゃ、ない…」

ふらふらと、立ち上がる。
見覚えのある知らない景色の中を、たださまよい歩く。生ぬるい風が吹き抜け、道の向こうの陽炎に目がくらみそうになる。
ふと、顔を上げると視線の向こうに、小さな公園があった。
夏の風にざわりと揺れる若葉、その横で静かに揺れるブランコ、しゃがみこんで泣いている金髪の子供。



「バケモノ!!」



聞こえてきた声に、リイは彼が誰であるかを悟る。

「ねえ、あの子でしょ、例の…」

「うずまきナルト…やだ、うちの子に近づかないでほしいわ」

大人たちのささやき声。リイはゆるく頭を振って、その光景から目を逸らした。


うずまきナルト。
物語の主人公。今、私はその少年時代に、居る。


リイは走り出した。どうしてこんな事になったのか、リイにはわからない。
今のリイとしての姿に気がつくその前の自分が、一体何をしていたのかさえ思い出せない。

気がついたら、この姿で、この世界に居た。

リイはふと足を止めた。太陽は先程よりだいぶ傾いてきて、色を増した日差しが木の葉の里を照らしている。
どこかから聞こえてくるカラスの声。ふらりと迷い込んだ路地の影で、リイはぬいぐるみを抱きしめたまま座り込んだ。

もうすぐ夜が来る。

「私…」



これからどうしたらいいの。



リイの頭の中で様々な思いが駆け巡った。このまま元に戻らなかったらどうしよう。
元に戻れる保証なんてどこにもないけれど、もしもずっとこのままだったとしたら。

リイは幸か不幸か『NARUTO』を知っていた。いや、知っていたどころか、好んで漫画を購入し、読んでいたのだ。

だからこの先、先程見かけた『うずまきナルト』がどんな道を歩むことになるのかも、この里がどういう運命を辿るのかも、この先約十数年のことなら大体が分かる。
知っているけれど、知らない世界。知らない場所で、知らない人の中で、知らない自分として存在している。

「家に、帰りたい…」

既に血の止まった膝の傷が、じくじくと痛む。裸足であちこち駆け回ったおかげか、白かった足の裏は無数の傷と泥で黒く汚れていた。

「帰りたいよ…」

じわり、と溢れ出た涙が頬を伝う。ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめ、そのやわらかな腹に顔を埋めたその時、ふと頭上に影が差した。


「こんなところにしゃがみこんで、どうしたんだいお嬢さん」


リイは突然かけられた声に驚いて顔を上げ、そして固まった。
緑の全身タイツ。切り揃えられたおかっぱの黒髪に、マジックで書き込んだかの如く太い眉。

あまりの衝撃に、涙すら引っ込んだ。

ぽん、と肩に手を置かれ、白い歯をきらりと光らせながらぐっと親指を立てる青年。年の頃は十七か八、といった所か。

「何かお困りなら、この木の葉一のさわやかフェイス、マイト・ガイが力になるぞ!」




―――これが、『ロック・リー』に成り代わった私ことロック・リイと後に師となるマイト・ガイの出会いだった。







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