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佳乃が臥せっていた間に外の景色はすっかりと様変わりし、ついこの間まで紅葉に彩られていた庭は一面の銀世界へと姿を変えいた。
久々に晴れた空に眩い光を放つ視界いっぱいの白に感嘆の息を漏らしながら、佳乃は足を踏み出す。
昨晩降った雪がさらに積もった部分に厚みを増し、おかげでまだ誰も踏んでいなかった雪が草履の下でさくりと柔らかな音を立てた。
こんもりと表面に丸い曲線を描いた地面に、小さな足跡が二つ、三つと続いていく。
立ち上る呼気は白い靄となり、吹き付ける風がそれを空へと散らした。佳乃は両手を桂から借りた羽織の中に引っ込め、袖口で鼻を覆う。流石に、外は寒い。

「まっしろだ」

降り積もった雪は時として残酷に人の命を奪うことがあるが、天人達の足を止め、こうして白い世界の中で佳乃達を守ってくれている雪を、佳乃はとてもいとおしく感じた。
この雪がいつまでも解けなければいい。佳乃は足元の雪を指で掬った。小さな結晶が佳乃の手の熱で溶け、細い水滴となって袖を濡らす。

(なんて儚いものなのだろう)

佳乃はそっと眉を下げた。いつかはこの雪も解けて、芽吹く季節になればまた命も散っていくのだろう。
解けて水になり、消えていったこの雪と同じように。

その時、なにやら騒がしい声が遠くから聞こえてきて、佳乃ははっとして顔を上げた。

掌に残っていた雪が、そっと地面に落ちる。

「だァから、俺の作った奴の方が断然いかしてるだろ!!てかお前のソレなんだよ。芸術にも程があるだろーが!」

「テメーのそのワイセツ物と俺の作品を一緒にすんじゃねーよ!そもそもお前の雪だるまじゃねェだろ!」

声のした方に走る。庭の少し開けた場所、井戸の近くの木の下には、何とも形容しがたい形状の雪像が二つ。佳乃の身長を軽く凌駕する大きさのそれは、この一面真っ白の世界で異様な存在感を放っている。
そしてその隣では、鼻の頭を赤くした高杉と銀時が顔を突き合わせていがみ合っていた。

「お前雪だるまって何か知ってっか!?なんで丸い雪玉二つか三つ重ねるだけで出来るお手軽雪像をここまで不気味に仕上げられんだよ!?なんだよこれなんで大きい方上にしたんだよバランスどうなってんだ、ていうか枝差しすぎだしこれ千手観音か!?」

銀時が指さした先には、どう見ても雪だるまとは言いがたい雪像があった。
佳乃が両腕を回してもまだ足りないだろうと思われる程に大きい雪玉の上に、更に大きい雪玉。明らかに上下のバランスがおかしいが、それ以上にその雪玉の両側面にこれでもかという程突き刺された木の枝が圧倒的な威圧感を放っている。銀時の言う通り、まるで千手観音だ。
顔に当たる部分は木の葉や石で不気味な表情が作られており、右目の上には眉毛のつもりか小さな炭のかけらが埋まっていた。なんというか、どことなくマロ眉である。

「うるせェこの方が格好いいだろうが!お前こそなんで雪だるま作り勝負とか言っときながらそんなもん作ってんだ!アホか!アホだろお前!!佳乃に見られたらどうする!!」

そう言って高杉が人差指を向けた先には、佳乃も昔紙面の中で見たことのある、銀時お得意の―――ワイセツ物以外の何物でもない、アレ。

「んだとコラ、俺のこの完璧なネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲のどこがワイセツ物だってんだ!そういう風に見るお前の方が心穢れてんだよ!」

「穢れてんのはお前のその下半身と直結した頭だこの陰毛頭!!」

「黙れ低杉!」

「ぶっ殺すぞ!!」

互いに頭を掴み合って言い合う二人を見かね、佳乃は小さくため息をついた。白い霞がふわりと口元に広がる。

「あの…」

「「ああん!?」」

二人が一斉にこちらを振り向いた。そのあまりの剣幕に、佳乃は思わずたじろぐ。
一方で、高杉と銀時は予想していなかった人物の登場に驚き、目を見開いていた。

「佳乃!?オイちょっと待て見るな!佳乃、目を覆え!!」

我に返った高杉が慌てて佳乃の両手を掴み、目に当てさせる。唐突な出来事に「えっ?」と声を漏らす間もなく、高杉は次の瞬間目にも留まらぬ速さの蹴りで銀時の作った雪像を破壊した。
硬く固められた雪がボゴンと音を立てて崩れ、銀時の口から悲鳴が迸る。

「何しやがんだ高杉テメェ!!俺の自信作を…あの計算されつくした丸く美しいフォルムを作るのにどれだけ苦労したと思ってやがる!?」

「黙りやがれ!いたいけなガキそれも女になんちゅーもんを見せようとしてんだ!!」

「一番女遊びの激しいオメーみてーな野郎からそういうセリフが聞けるとはな!佳乃騙されんなよこいつこんな事言っときながらやる事やってっから。一番信用しちゃいけないタイプだから!」

「なんの話をしてんだお前は!!」

ぎゃあぎゃあと互いの胸ぐらを掴んで怒鳴り合う二人に、佳乃はただ立ち尽くすしかなかった。とても割って入れるような空気ではない。
そうしている間にも、朝餉の時間は刻一刻と近づいてくる。早くこの場を収めなければ、待っているのは冷めた米と汁だ。深い雪のせいであまり買い出しにも行けず、僅かな炭を切り詰めて切り詰めて使っている今は、自業自得で時間に遅れた連中の飯を温めなおす為に使う炭など当然だが無い。

さてどうしたものか、と眉尻を下げた佳乃は、不意に通り抜けた冷風に思わず体を震わせ、小さくクシャミをした。

佳乃にとってはほぼ反射的に出てしまったクシャミだったが、その小さな音に高杉と銀時はぴたりと動きを止め、顔を見合わせる。

「ってお前、なんでこの寒空の下出歩いてんだ?風邪治ったばっかりだろ」

「朝餉が…、っく」

二度目のクシャミ。我慢できずに佳乃が顔を背ければ、銀時が慌てて首に巻いていた襟巻を外し、その首に巻きつけた。小刻みに震えている手と赤くなった鼻頭に銀時の表情が険しくなる。

「ったく、そんな恰好で出てきたら、また熱出しちまうぞ。呼びに来てくれたのはありがたいけどよ」

「テメェなに自分だけいい恰好しようとしてんだ。…佳乃、これも着てろ」

今度は高杉が羽織っていた上着を脱ぎ、その肩に掛けた。ただでさえ大きい桂の羽織を着こんでいる上からさらにもう一枚大きい上着を掛けられて、佳乃の体が一回り大きくなる。
普段の稽古の時の鬼っぷりからは信じられない優しい一面を目にし、佳乃は動揺して目を見開いた。
固まる佳乃をよそに、銀時と高杉の間に再び火花が散る。

「待て、俺の上着も着とけ」

「襟巻も一つじゃ足りねえだろ」

「テメェ真似すんじゃねーよ襟巻は俺ので充分だろ!」

「お前の目は節穴かまだ寒そうだろうが!」

遠慮する間もなく次から次に二人の着物を被せられて、佳乃は目を白黒させた。
口論はいつの間にか熱を増し、二人は間に挟んだ佳乃が着ぶくれた袖から指を出して困ったように頬を掻いても気付かない。

と、そこに小さな桶を抱えた桜が現れた。

「高杉さん言われた通り眉用の消し炭持ってきましたよ…っと、まだやってたんですか?それに佳乃まで…お前どうしたその恰好」

「桜!あ、その…これは二人が私を心配してくれて…」

腕を動かして状況を説明しようとするも、着込んだ上着と襟巻きに動きを邪魔されて思わず転びそうになる。
よろけたところを桶を放ってその肩を掴んだ桜に支えられ、佳乃はほっと息をついた。危ない、借りものの服を雪で濡らしてしまうところだった。

「朝ごはんが冷めちゃうから、早く戻らないと」

「ああ…、もうそんな時間か。…師匠、もういい加減戻りましょう!朝飯食いっぱぐれますよ!」

口元に掌をあて、高杉に師匠と呼びかけた桜が袖を引く。
引っ張られた高杉は銀時を一瞥し、舌打ちを一つするとしぶしぶ彼に背を向けた。

「…チッ、この勝負俺の勝ちだからな。お前のはそもそも雪だるまじゃねェし」

「人の雪像壊しといて何言いやがる…」

「ああぁ銀時さん落ち着いて!そんな恰好じゃあんたが風邪引きますよ!早く戻りましょう」

銀時は高杉に食ってかかろうとしたところを、桜に背中から両肩を掴まれ、無理矢理に本堂の方へと押し出される。しかしこれ以上争っていても埒が明かないと銀時自身思ったのか、それに抵抗するような事はなかった。
ひゅお、と吹いた風に身震い一つ。あ、と立ち止まった銀時が佳乃を振り返る。

「今日のメシ、何だ?」

「かぼちゃの味噌汁です。あと、昨日の煮物の残りと、漬物が少し」

そりゃうまそうだな、と呟いた銀時は、少し離れた場所を歩いていた高杉を呼び止めると「煮物賭けて本堂まで競争するぞ!」と叫んだ。

「上等じゃねーか…!俺から里芋を奪えると思ったら大間違いだぜ…?」

「後で吠え面かくなよ。レンコンは…俺のもんだ!」

言うや否や、二人は凄まじい勢いで駆け出した。
一瞬のうちに雪煙を上げながら姿を消した二人をぽかんとした顔で見ていた佳乃と桜は、顔を見合わせて肩を竦める。
やがてどちらからともなく笑いだすと、二人も朝食を摂りに本堂の方へと足を踏み出した。桜が佳乃の手を掴む。

「それにしてもお前、あったかそうだな」

「うん。とってもあったかいよ。…とっても」

三人分の服の温もりと、桜の手から伝わる暖かさ。
じんわりと胸に沁みるそれに、佳乃は口元を綻ばせて笑んだ。
世界がどうしようもなく残酷であることは知っていたが、この白い雪に閉ざされた世界だけは、泣きたくなるくらい、優しかった。







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