43
―――ブランコが楽しげに揺れて、シャボン玉が空を満たすその場所で、佳乃は、ふわふわと浮いていた。
視線の先では、四人の少女がきゃらきゃらと笑い、ふざけあいながら戯れている。
いつか見た、あの夢の続きだろうか。
佳乃は、どこかはっきりしない意識のまま、目の前で遊ぶ子供たちをただひたすらに見つめ続ける。
やがて時が流れ、季節が移り変わり、少女たちは大きくなった。
まぎれもない、数か月前の自分自身の姿。
まだ馴染まないセーラー服を身にまとい、色とりどりの傘を差しながら、雨の小道を楽しそうに駆け抜けていく。
足元は雨で散らされた桜が、少女たちの楽しそうな足取りに踏みにじられ、薄紅の血を流していた。
まばたき、一つ。
気が付いたら、先ほどまでふわふわと浮いていた佳乃は、同じセーラー服を着て、小道の中に立ち尽くしていた。
立ち止まり、空を見上げる。傘はなく、感覚のない雨が頬を滑り落ちていく。視線を落とせば、眼前を走る三つの傘が不意に動きを止めた。
『佳乃』
一人が振り向いて、こちらを見つめる。そして、目を見開き、怯えたように『どうして』と呟いた。
さらに視線を下げる。いつの間にか身にまとっていたセーラー服は血に汚れた着物に代わり、手には刀が握られていた。
ぽたり、とやけに大きな音を響かせながら、切っ先からどす黒い血が滴る。
雨に濡れ、踏みにじられ、血を流す桜の絨毯の中に黒い波紋。
(…あれ?)
無意識に、佳乃は駆け出していた。
握った刀を構えなおし、その血まみれの刃を声もなく立ちすくむ友に翳しながら。
(…私、なにを…、…!?)
止まったまま前を見つめ続ける友の瞳に映りこむ自分の姿。
その姿に、思わず自分自身が息をのんだ。
怒りと、悲しみと、無力で絶望に染まった顔。
涙を流しながら、友人たちに刃を向ける。
ど う し て 。
友の瞳の中の自分が、呟いた。
右手が動く。握った刃を振り下ろす。
勢いが早い。止まれない。
ああああああああああああああああああああ。「――――やめて!!」
―――佳乃は、思わず叫びながら飛び起きた。
ドッドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。
真冬だというのに汗でぐっしょりと濡れた着物の胸元を掴み、体を震わせながら、佳乃は荒い呼吸を繰り返した。
「ゆ、め…。また…」
そこはまぎれもなく、ここ数か月ですっかり見慣れた己の部屋だった。
思わず肩を落とし、歯を食いしばる。
「なんて…夢…」
佳乃は肺に溜まった空気を長く吐き出すと、震える膝を抱えて、蹲った。
先日の戦場での経験が尾を引いているのか、どうにもここしばらくの間、あまり夢見がよくない。
(…疲れてる、のかな?私…)
少し外気に当たって、気持ちを落ち着けようと立ち上がる。途端に、足に力が入らず大きくぐらついた。
あっと思った時にはもう遅い。どたりと大きな音を立てて転倒した佳乃は、力の入らない手足を投げ出し、そのまま畳に倒れこんだ。
*
「―――風邪だな」
頬を真っ赤にし、布団に横たわる佳乃の額に手を当て、桜はため息を吐いた。
体調が悪いならもっと早くに教えろと、少し怒った様子で傍らの桶を引き寄せながら、乾いた手ぬぐいを水の中に放り込む。
「この間の雨が原因だな。しばらく食事の用意なんかは皆で分担するから、とにかくおとなしく寝てるんだ」
「…ごめんね、桜」
迷惑かけて。
赤い顔のまま眉をハの字に崩し、潤んだ目で佳乃が桜を見上げれば、桜もまた眉を下げてその髪を撫でる。
情けない。
たかがあれしきの事で、体調を崩すだなんて。
熱の籠る布団の下で拳を握りしめながら、佳乃は咳き込む。背筋を這う悪寒に、生理的な鳥肌が立った。
寒気に震える佳乃の額に、桜がそっと冷水に浸して絞った手ぬぐいを乗せる。
「…いろいろあったしなあ。疲れてたんだろう。いいから気にせず、ゆっくり休め。最近、あまり眠れてなかっただろう?」
気付いていたのか。
佳乃はなんとなく気恥ずかしくなって、視線を天井へと逸らした。
僅かに身じろぎした際、佳乃の額にかかった髪をそっと払いのけながら、桜は「時々、夜中に魘されて起きるだろ」と心配そうな瞳で佳乃の顔を覗き込む。
桜は、佳乃の隣の部屋で寝泊まりしている。
今、こうして佳乃がきちんと布団に横たわっていられるのも、畳に倒れ込んだ際の物音で起きた桜がそのままぐったりとしていた佳乃に気付き、布団に戻してくれたからだ。
どうやら、今まで悪夢に魘されては飛び起きていたのも、筒抜けだったらしい。
佳乃は知らず知らずのうちに桜に心配を掛けてしまっていた事に気づき、申し訳なさでいっぱいになった。
いつも、その度に起こしてしまっていたのだろうか。
「…怖い夢を見るの」
ぽつり、と佳乃が呟いた言葉に、桜がぴくりと瞼を動かす。
「すごく、怖い夢。どうして、あんな夢を見るんだろう…」
(友達を、殺そうとする夢だなんて)
微かに震える手で、目を覆う。
何度も、何度も。
いつも同じところで目が覚める。―――いや、目を覚まさざるを得ない。
続きを見るのが怖くて―――…あの刃の切っ先が、彼女たちの体に食い込むその瞬間を見たくなくて。
「…眠るのが、怖い」
「…佳乃」
桜がそっと佳乃の手を握る。
発熱している今は、佳乃の方が遥かに体温が高い。それでも、その手のひらはとてもあたたかく感じた。
伝わる体温に、ひどく安心する。
「魘されそうになったら、起してやる。だから今は、安心して眠れ。俺は、佳乃が眠っても傍にいる。心配するな」
―――どうして、この人は。
赤の他人であるはずの自分に、こんなにも優しいのだろう。
柔らかく包み込むような手のひらの体温に、涙が零れそうになる。
「…ありがとう…」
桜の手のひらから伝わるその温度に、胸を満たしていた氷のような不安がゆっくりと融かされていった。
―――桜が隣にいてくれる。
繋いだ手を握り締め、佳乃は安心して瞳を閉じる。
今なら、眠っても、あの悪夢を見ることはないだろう。
熱に浮かされる中で、静かに意識が暗闇に落ちていく感覚。
障子を一枚隔てた向こうの空からは、白い花弁にも似た雪がひらひらと、音もなく降り始めていた。
前 次