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―――降り出した冷たい雨が、頬を汚していた血を少しずつ洗い流してゆく。
目を閉じて、雨粒が睫毛の上を跳ねる感触を受け止めながら、佳乃は天を仰いだ。

全身に浴びた生臭い血。踏みつけているのは既に原型も分からない天人の死体で、周囲に転がっているのは折れた刀と、かつて寝食を共にした志士達の骸だ。
どこかで、すすり泣く声が聞こえる。
己の無力を嘆く声が、濡れた地面に拳を叩きつける音が。

(…なんて)

なんて、冷たくて、残酷な世界なんだろう。

佳乃はゆっくりと目を開き、先程まで戦場だった場所を無感動に眺めた。

―――天人は、状況を不利と見て、撤退した。
しかし、物量押しで攻めてくる奴らの事だ。援軍が来次第、すぐにでも第二陣を送り込んでくる事だろう。
そうなれば―――今度こそ、人員にも資源にも限界がある自分たちは負ける。

この戦闘を、勝ったというには、払った犠牲があまりにも多すぎた。

(ああ)

いつだったか、佳乃の作った飯を、うまいうまいと言いながら掻き込んでいた青年も、気まぐれに佳乃の抱えていた荷物を持って代わりに運んでくれた男も、皆、一様に屍となって横たわっている。
佳乃にとって、一番守りたかったものたちは、この戦闘を生き抜いた。
けれど、自身の胸にぽっかりと空いた、この虚ろな穴は。

無意識に、胸元に手を当てる。刃で撫でられた赤い痕が、鈍い痛みを放っていた。

(痛い)

たった数ヶ月前まで、佳乃にとってのこの世界は、ただの紙の中の御伽噺でしかなかった。
だからこそ、己の手を血で染めることに、後悔の念すら抱かなかったというのに。

…ふと、誰かの手が佳乃の冷え切った手を掴んだ。
雨粒の冷たさを超えて伝わってきたそのあたたかさに、佳乃は思わず目を見開く。

「桜」

自分と同じように、全身を赤で染め上げた少年。己と同じ、戦う道を選ぶ事しかできなかった哀れな鬼。
悲しげな瞳で己を見つめる桜が、そこには立っていた。

「帰ろう。…このままじゃ、風邪を引く」

そう言って、桜は己の羽織をそっと佳乃に頭から被せてやった。
雨の音が、少しだけ遠ざかる。
握られた手のひらから伝わるそのぬくもりに、佳乃はなぜだか泣きたいような気持ちになった。

「私は…、後悔してないよ」

ぴくり、と桜の肩が動く。
きっと彼も銀時と同じように、佳乃の姿を見て、佳乃に刃を取る道を選ばせてしまったことを、後悔しているのだろう。

―――この道を選んだことを、後悔はしていない。

何故なら佳乃にとって天人という存在は、もはや取るに足らない、ゲームのモンスターのような存在となっていたからだ。
それを屠る事になんら躊躇いはなく、どれだけ殺戮を繰り広げようとも罪悪感など感じるはずもない。
あれらは同じ人ではなく、ただのばけものなのだから。

けれど。

佳乃の脳裏に、友人たちと無邪気に笑い合っていた頃の記憶がかすめる。


(私はもう、あの頃には戻れない)


降り出した雨は、やがて、声に出来ない佳乃の叫びを代弁するかのように、土砂降りになっていった。







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