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パァン、と火薬の弾ける音が秋空に響き渡り、どこぞの木で羽根を休めていた雀達が羽音を立てながら一斉に空へと飛び出した。
佳乃から見て斜め前、一同の正面から百メートル以上離れたそこには、所々が腐った、ボロの木の板が一枚立てかけてある。その木の板には、墨でいびつな三重の丸と、中心に黒点が描かれていた。だが、それもほんの何秒か前までの話で、先程まで黒点だったそこは、よく見れば今や細い煙を立ち上らせた空洞となっている。
―――坂本辰馬はそれを確認すると、満足げな笑みを浮かべて肩の高さで構えていた銃をようやく下ろした。
辺り一面に硝煙のにおいが立ちこめる中、佳乃は今目の前で起こった光景を息をするのも忘れながら見ていた。

「見事なものだな」

声を発したのは、桂だった。はっとなって佳乃が振り返れば、各々が感心したような目で坂本に賞賛を送っている。佳乃は知らず知らずのうちに張りつめていた息をゆっくりと吐き出しながら、坂本の撃ち抜いた的へもう一度視線を向けた。
僅かに眉間に皺を寄せながら、目をこらす。―――一ミリのズレもない。弾丸は真っ直ぐに、描かれた黒点―――その中心を寸分違わず撃ち抜いている。この距離から、あんな小さな点を―――。なんという命中力だろうか。

「このぐらいの距離なら、大したことはないぜよ。わしの隊の人間なら、誰でも出来る事じゃ」

そう言って自信ありげに坂本が笑えば、その後ろで同じ銃を抱えながらその角場撃ちを見ていた坂本の仲間が誇らしげな笑みを浮かべた。
そういえば、坂本の率いるこの一軍は、特に近代武器―――銃や火薬の扱いに優れた者が多いのだったか。
銃の扱いに長けた、近代戦に特化した兵士達。しかしだからといって、刀の腕が劣るという訳ではなく、坂本に至っては道場の師範代だというのだから驚きだ。先程本堂で見せられた、木刀を使用しての桂達との仕合も―――それは見事なものだった。

「しかし、その銃は見たことがない銃だな。藩が使っているものとは違うものか?」

桂が坂本の抱える銃を見ながら、首を傾げる。
銃の全長は一メートルと少しといった所か。その銃は、いわゆる施条銃と呼ばれるソレで、日本で最も初期にこのタイプの銃を外から輸入したという薩摩藩のエンフィールド銃を改造したものらしかった。

エンフィールド銃とは、俗に言うマスケット銃にライフリング(銃口に螺旋状の溝を刻み、弾丸に回転を加え弾道の直進性を高めるための加工)を施したミニエー銃の一種である。
この銃は、出現当初としてはマスケット銃の滑腔砲と比べ、およそ三倍から六倍という驚異的な有効射程距離を誇り、最大射程はなんと九百メートルにも及ぶ、桁外れに強力な銃だった。

もっとも、エンフィールド銃自体は、今やこの国で珍しいタイプの銃ではない。
それまで主力とされてきた火縄銃(ちなみに火縄銃は滑腔砲であり、マスケット銃の一種である)が天人相手にはまったく歯の立たない旧時代の化石武器であるという事をこれまでの戦争で散々思い知らされてきた志士達は、諸外国から輸入してきたこのエンフィールド銃に様々な改良を加え、対天人戦においてもその威力を発揮するよう、改造を繰り返してきた。

彼らの言う藩―――即ち長州藩が主力として取り揃えている銃というのも、大半がこのエンフィールド銃だ。
しかしながら、もちろん、その銃は一丁一丁がとても高価である。確かにエンフィールド銃は長州藩の主力としての火力を担い、実際その威力を佳乃達も先の戦闘で間近に見ているが―――未だ、大多数の兵士達が持つ銃は、このエンフィールド銃とは一つランクが落ちる銃である雷管式ゲーベル銃だ。つまりかの長州藩といえど、新式の銃を配備されているのはごく一部の話であり―――戦場に支給されている銃の多くは、旧式の火縄とあまり威力の変わらないゲーベル銃が殆どなのである。

桂の問いに、坂本は肩をすくめて、鼻を鳴らした。

「あげな火縄と区別もつかんような時代遅れの先込銃と一緒にされちゃー困るぜよ。わしらは全員、元込式のスナイドル銃を使うちょる。外つ国から輸入してきたもんに、流れてきた天人の技術を加えて改良しとるきに、威力はもちろん、射程距離も比べものにならん。連射もお手のもんじゃ」

すかさず、坂本はもう一度銃を構えた。引き金に指を起き、間髪入れずにそれを強く引く。目にも留まらぬ速さで、三発。
乾いた銃声が上がり、佳乃は風に舞っていた紅葉が三枚、粉々に砕け散ったのを見た。なんという早業。的を定める構えすらなく、坂本はそれをやってのけたのだ。

「―――藩の連中は、これだけ天人との火力差を見せつけられておいて、まだ金を出すのを渋っちょる。あれじゃあ、勝てるもんも勝てんきに。刀が時代遅れじゃとは言わんが、やはり戦場に出れば戦局を握るのはコイツぜよ」

その言葉に、桂は些か眉を顰めた。古い武人の気質を持つ桂にとっては、やはり戦場では刀が一番の武器であり、銃はあくまでその支援をする為のものという意識が強いのであろう。
銀時に至っては、興味なさげにあくびをしながら二人の話を聞いている。

「オイ、坂本」

ふと、今まで顎に手をあてながら坂本の様子を静観していた高杉がおもむろに口を開いた。

「そいつをうちの隊に配備させたら―――どれくらい掛かる」

品定めをするような目。とはいえ坂本の銃の腕には、素直に感心を示している様子だ。
高杉の言葉に、坂本は口端を吊り上げた。「高いぜよ」

「わしも、これだけの数を揃えるには相当苦労したきに」

「そういやあ、オメーはボンボンだって話だったな。で?」

坂本は後ろに控えていた部下に目配せをすると、意味ありげに笑った。
目配せをされた部下の方はというと、心得たと言わんばかりに頷き、その場に居た二、三人の仲間を連れると踵を返して本堂の方へと消えていった。

「二十丁じゃ。どうにか融通できただけ、おまんの隊に配備させる。確か、おまんの所には銃の扱いも心得ちょるもんが多かった筈ぜよ」

―――この廃寺を拠点として活動する二大勢力、即ち、桂の率いる一隊と高杉の率いる鬼兵隊は、それぞれまったく違ったタイプの志士で構成されている。
どちらの志士も、追従するその主の掲げるその思想に共感し、共に戦っていることには変わりないが、桂の率いる一隊は殆どが武門の出である者で構成されているのに対して、高杉の率いる鬼兵隊は、身分制度にとらわれない武士階級と農民や町人の混合だ。高杉のような藩士の出である上級武士が半分、そして残りの半分は―――桜や佳乃のような、高杉が気まぐれに拾った、高杉曰く『見込みのある』農民や町人なのである。
泰平の世で堕落した武士よりも志をもった農民の方が戦力になるいうのが高杉のもっぱらの主張で、彼は行く先々で見込みのありそうな人間を見つけては、己の隊にスカウトしてくる。それを可能としているのは、彼の持つ生来のカリスマ性故であろうが、ともかく、そのお陰で彼の『鬼兵隊』という私設部隊は、今やこの戦争で知らない者はいない程の知名度を誇る屈強な部隊となっていた。
高杉は、物事を一方向から見る事はしない。あらゆる面から物事を見て、そして総合的に最も有用な手段をとる。だからこうして、剣を取る武士の身でありながら、坂本の語る『刀よりも銃』という意見を柔軟に受け止めることができるのだ。
もっとも、高杉自身も『銃』の存在にはいち早く目をつけていて、鬼兵隊の中には銃の扱いに優れたものや、火器の扱いに優れたものが大勢居る。坂本は、それを承知の上で高杉に提案をしているのであろう。


「変わりと言っちゃあなんじゃが、おまんの部下、二十名。わしに預けてもらうぜよ」


―――つまり、早い話が、最新式の銃の代償として、今坂本に最も不足しているのであろう人材を貸せ、という事らしい。
高杉は二つ返事で、その提案を受け入れた。

と、その時、先程本堂の方へと姿を消した坂元の部下達が、重そうな箱を抱えて角場に戻ってきた。
坂元がその箱の蓋を開ければ、その中には飴色の木と鉛色の銃身からなる最新式の銃が、無機質な光沢を放ちながら眠っている。
佳乃の目は、ずらりと並んだその銃に、釘付けになった。

―――ふと、坂元が顔を上げ、その視線に気が付いたかのように、佳乃の方へと振り返る。
視線が交差する―――。

やがてゆっくりと、坂元の唇が弧を描いた。







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