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ここは漫画の世界だ。

どうして今更、そんな改めて確認するまでもない事を佳乃が思ったのかは、佳乃自身にもよく分からなかった。
主人公や見たことのあるキャラクター相手に会話をして、あんな化け物との戦いを間近に見ておきながら、何故今更になってそんな事を思い出すのか。

死が目の前に存在する、現実離れした世界。己が知っている、漫画の世界。本来なら点と線だけで構成されている筈の―――二次元の世界。
非現実的な日常を持つ、世界。
そのど真ん中に、一人異質な存在として佇んでいた佳乃は―――現実の記憶を持つ、三次元の存在である己は―――これだけの日々をこの世界で過ごしてきて尚―――この世界を、己の知っている『漫画の中の世界』だと認めていなかったとでもいうのか。

(―――いや、違う)

佳乃はそこで初めて、気が付いた。
自分はこの世界を、『漫画の中の世界』だと受け止めていなかった訳ではない。むしろ、この現実離れした世界で、非日常を日常として過ごすうちに―――この世界をあまりに現実的なものとして受け止めてしまっていたが故に、この世界が『漫画の中の世界』だという認識を無くしてしまっていたのだ。

この世界の人々が、その生と死が、そこで繰り返される日常が、あまりに『リアルすぎた』故に。

(ここは、『漫画の中の世界』―――、…『銀魂』の、世界)

揃った役者。見たことのある顔。物語を担う、主要人物(メインキャラクター)達。
ここは、その過去だ。物語のストーリーを、漫画の内容を本筋として受け止めるのならば、ここは、謂わばその本筋までの布石。彼らの、『過去』。


(私は今―――そこに居る?)


何故、今までその事について、考えもしなかったのだろう。

攘夷戦争の真っ直中。攘夷志士として刀を振るう主人公達。己は今、そこに居るのだ。
彼らがあまりにも、当たり前にそこに存在したが故に―――佳乃は気付かなかった。繰り返される非日常に、感覚が摩耗していたといってもいい。                              
断片的に未来を知っている―――だからこそ、佳乃はこれまで、この戦争の行き着くその先(・・・・・・・)を考えたこともなかった。だって、彼らはその未来にも、当然のように存在していたから―――。



(この戦争は、負ける)



この国は、負けるのだ。攘夷志士は天人に負け、侍という存在は歴史の表舞台から消え失せる。
佳乃は気付いた真実に目を見開き、硬直した。彼らが天人と戦い、そして勝利して戻ってくる事に、一つも疑問を抱いた事は無かった。だって、主人公が居るから、だから彼らは死なない―――そうだ、死なない。当たり前だ。彼ら無くしてはストーリーは進まない。
そしてそれは、この過去が無くても、だ。

そこで佳乃は己が今まで、彼らはこの戦争に負けるのだという、その可能性を『考えないようにしていた』だけに過ぎないことにやっと思い至った。恐らく、それは無意識に―――己の思考に鍵を掛けるように。
何故ならそれに気付いた時、佳乃はもう一つの可能性を持つ事になってしまうのだから。
         
(それなら、私は、()?)

彼らにとってこの戦争が―――その敗北が無くてはならないものなのだとしたら、己という存在は、一体何のためにあるのか?
佳乃の背を、冷たいものが走り抜けた。そうだ、己は異質、己は異分子。この世界にあってただ一人の、『イレギュラー』。

もしも、物語がこのまま本筋(メインストーリー)に向けて進んでいくというのなら―――己という『物語の中にあってはならない存在』は、どうなるのだろうか?

―――そんなこと、考えるまでもない。

間違いは、正される。
己という存在があってはならないもの、この世界にとって存在してはならないものだというのなら―――死という形をもって、その存在を、無に帰されても、なんらおかしな事はない。
ここは、語られることのない過去―――死という存在が隣に在る、戦場。今から、いくらでも修正のきく物語(ストーリー)の分水嶺なのだから―――。

佳乃は不意に、叫びだしたいような衝動に駆られた。


(―――嫌だ!!死にたくない、こんな世界で、こんな場所で、そんな理由で、殺されてたまるか!!)


―――私は、生きている!!


声にならない叫び。佳乃は拳を握りしめ、ぎゅっと目を瞑った。爪が掌に食い込み、血が滲む。その痛みが、『生きている』というその感覚を、より強めた。

ここは、漫画の中の世界―――けれど、佳乃にとっては紛れもない、現実の世界だ。点と線だけで構成された平面の世界ではない、立体で、感覚があり、人々が生きて、死ぬ世界。

そうだ、と佳乃は己に言い聞かせた。


(『私』は異質。『私』は異分子。『私』はイレギュラー。それなら―――『私』が存在するこの世界は)


そう、己があってはならないもの、後の物語(ストーリー)に対して『存在してはいけないもの』だとするのならば―――そんなものが存在しているこの世界また、『イレギュラー』たり得る存在である筈だ。

それなら―――この戦争は。

己という異分子が存在する、異質なこの世界の行く先は。



(そう―――この先は、誰も知らない。この先の事なんて、誰にも分からない。『私』が存在するこの世界の結末は、誰にも―――)



このパラレルワールドの行き着く未来は、誰にも分からない。



彼らの過去を作る最後のピース、坂本辰馬。
その本人を前にして、佳乃はゆるやかに微笑んだ。―――怖じ気づく事はない。自分には、存在を認めてくれる人が居て、そして戦う覚悟がある。

だから、負けない。

彼らと共に最後まで戦い抜く。―――そして、生きるのだ。
この生死が隣り合わせになった無慈悲な世界を生き抜いて、そして嗤ってやる。
己を突き落とした空を。幾度も佳乃を突き放し、絶望を与えるこの世界を。現実を。


「―――こちらこそ、よろしくお願い致します」


頭を下げた佳乃の心情など知らず、坂本は「そげん畏まらんでもええきに!」と快活な笑い声を上げた。







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