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高杉は教師というより教官だ。

木刀を握ったまま微動だにしない高杉を前にして、佳乃は頬を伝い落ちる汗をそのままに、高杉から教えられた構えをとった。
桜と高杉の仕合を見よう見まねでしていた時とは違い、高杉から直接叩き込まれた剣の型だ。この半月で随分と様になったものだなと思いながら、桜は向かい合う二人を眺め見る。

―――勝負は、一瞬だった。

佳乃が刀を構え、一歩を踏み出したその瞬間、勢いをつけて高杉の木刀が振り下ろされた。桜でさえ、見切る事の難しいタイミングでの一撃だ。咄嗟に反応するもその攻撃を流し切る事の出来なかった佳乃は、言うまでもなくその木刀が直撃し、床に沈む。ズダァン!という激しい音が床板を伝わり、桜は思わず顔を顰めた。

(―――よくやる)

「踏み込みが甘い!!」

高杉の叱責に直ぐさま身体を起こした佳乃は、新しく出来た擦り傷もそのままに、咄嗟に後ろへと飛び退いた。
そして息をつく間もなく、すぐに体勢を立て直すと、両手でしっかりと木刀を握り直し、声を上げて高杉に斬りかかった。

「―――ァアア!!」

横薙ぎに一閃、しかし避けられる。そのまま返す刀で上段から振り下ろされた一撃は高杉に受け止められ、いなされた。上半身ごと身体を大きく引き、踏み込みを、一歩、二歩、半歩ずつ回転させるようにして、鋭い突きを繰り出す―――。

「―――脇を開くな!!」

がら空きの脇腹に、一撃。叫び声を上げる間もなく横に吹っ飛んだ佳乃は、本堂の壁に大きく背中をぶつけ、一瞬息を詰まらせた。

「……、っ、カハッ、………!!」

打たれた脇腹を押さえ、咳き込みながらも佳乃は立ち上がる。しかし今度ばかりは打ち所が悪かったのか、二、三度空咳を繰り返すと、そのまま膝から崩れ落ちた。
まさか罅でも入ったのではあるまいか。
心配した桜が、思わず佳乃に駆け寄ろうとすると、それを横目で見咎めた高杉が、掌で桜の動きを制した。

―――手を出すな。

上官の命令―――。反射的に桜の動きが、ぴたりと止まる。
高杉はそんな桜の様子はお構いなしに、ゆっくりと本堂の床を踏みしめた。

「もう降参か?」

高杉は冷めた眼差しで、床に手をついて荒い呼吸を繰り返す佳乃を見下ろすように立ち止まる。
その言葉に佳乃は顔を上げ、高杉を睨み付けた。
両者の視線が交錯する。

(―――まだやれる)

佳乃は側に転がっていた木刀を掴み、それを杖代わりにしながら立ち上がった。額には脂汗が浮かんでおり、思い切り打ち付けられた脇腹が痛むのか、呼吸するたびに眉間の皺が深くなる。

「もう一度、お願いします」

歯を食いしばりながら佳乃が頭を下げれば、高杉は不敵な笑みを浮かべながら、再戦の申し出を受け入れた。







「ッう…」

(ほんと無茶苦茶だわ、あの人)

高杉の手加減無しの一撃に、青く腫れ上がった脇腹に井戸水で冷やした手ぬぐいを当てながら、佳乃は顔を顰めた。幸い、骨に罅は入らなかったが、これは暫く痛みを引き摺るだろう。鈍い鈍痛を訴える患部に冷たい湿布を当てれば、幾分か痛みが軽くなった気がしたが、一朝一夕では治りそうもない痣に、佳乃はうんざりとした顔をした。
視線を身体へと滑らせれば、既に治りかけて茶や黄色に変色した痣がぽつぽつと点在しており、中にはすりむけて赤くなった傷や、瘡蓋でがさついている箇所もある。
高杉が佳乃の剣の師となったあの日から、佳乃の身体に生傷が絶える事は無い。佳乃はため息を一つ零すと、今頃一人秋の月でも眺めながら晩酌でもしているのであろう己の師の顔を思い浮かべた。

高杉は、剣の師として佳乃に接する時、一切の容赦をせず、手を抜く事を絶対にしない。

ともすれば本気で己を殺しに掛かってきてるのではないかと錯覚してしまうほど、すさまじい気迫で仕合の相手を務める彼は、いつだって全力投球で、鬼教官も真っ青の凄まじいスパルタ教育を施してくる。それも、十三歳の少女相手に。

こんなご時世だ。もちろん佳乃も、高杉が手加減をしながら剣を教える余裕など無いことは理解している。
だが、弟子を仕合で生死の境にまで追い込もうとする師匠ってどうなんだろうか…と佳乃は脇腹を打たれた時の衝撃を思い出して思わず顔を引きつらせた。これ程の痣だ。今回は奇跡的に軽傷で済んだが、もし打ち所が悪ければ―――死んでいてもおかしくない。

(そのくせ、稽古が終わると妙に優しいんだよな…)

いつも稽古が終われば「大丈夫か」と傷の心配をしてくるし、仕合の後には的確なアドバイスをくれる。それに―――。
佳乃は部屋の隅にちょこんと置かれた可愛らしい包みに視線を向けた。中身は金平糖である。
世の女や子供の例に漏れず、佳乃も甘いものは好きだ。しかし、佳乃は養って貰っている身なので、こういった嗜好品を自分で買う事はない。ならば何故、この部屋にそんなものが置いてあるのか。
いろいろと状勢の厳しいこのご時世、それなりに値のする砂糖菓子を買える人間など、ここには数えるほどしかいない。

―――なんと、あの可愛らしい包みでくるまれた金平糖の送り主は、佳乃の剣の師・高杉晋助その人なのである。

(それにしても、似合わないよなあ…)

最近では、街に降りるたびに佳乃に何か土産を買ってくるのが高杉の習慣になっていたが、どう考えてもあの悪人面の高杉が、あの可愛らしい桃色の包みを購入する所が想像できない。最初に渡された時には、頭でもぶつけたのかと心配したくなった程だ。

「あの人、分かりづらいけど、もの凄く仲間を大事にする人なんだよ」

以前、高杉からもらったまんじゅうを一緒にぱくつきながら、桜がそんな事を言っていた。

(仲間って言うか、子供だと思われてるよ、確実に…)

掌の中の包みと、桜の貰ったまんじゅうに交互に視線を走らせながら佳乃は思ったが、流石に言葉には出来なかった。子供なら甘いもので喜ぶだろうと考えている辺り、意外に単純な思考の持ち主であるらしい。


着物を直し、部屋の隅に置いていた金平糖の包みを開くと、中からは色とりどりの粒がかしゃかしゃと音を立てながら零れてきた。
そのうちの一つを摘み、口の中に放り込みながら、佳乃はどうやら高杉晋助という人物は、当初佳乃が思っていたよりも(意外に)優しくて(ただし稽古時以外だが)いい人であるらしい事を、改めて認識する。

金平糖の表面には、幾つもの突起が飛び出しており、口の中に入れるとその突起が舌や口内にちくちくと当たる。
しかし、それを口の内でころころと転がせば甘い味が溶け出してきて、佳乃は何故だか、それが高杉とどこか似ているように感じた。

―――その金平糖は、どこかいたくて、そしてとても、あまかった。







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