28

(―――よくもまあ、この短期間で)

静かに木刀を構えた佳乃の姿を見て、対峙する高杉は内心で感心しながら、同じように構えをとった。
佳乃の構えは、見事に普段桜が高杉と対峙したときに取る構えそのものだった。恐らくは見よう見まねでやっているのだろうが、それにしても子供の、それも女の細腕で重い木刀を、ここまで軸をぶれさせずに構えることができるとは。

―――面白い。

「高杉、分かっているだろうな」

そんな高杉の内心を知ってか知らずか、向かい合う二人を挟んだ位置に佇む桂が、じろり、と高杉を睨む。
あまりやりすぎるな、と警告しているつもりなのだろう。そもそも、己に剣を振るうよう、頼んできたのは桂本人だというのに。







―――佳乃が桜に決意を打ち明けたその後、桜はその足で、桂の元へと赴いた。
佳乃に剣を教えてやりたい。自分の身を、自分で守るための力をつけさせてやりたいと、桜は桂にそう嘆願したのだ。
桂はもちろん、その申し出にいい顔はしなかった。古い武人の気質を持つ桂にとって、女子供は守るべきものであり、決して刀を持って戦うべき存在ではない。それは佳乃も例外ではなく、桂は女である佳乃に剣を持たせることを良しとしなかったのだ。

しかし、と桜は反論する。

今は、時代が時代だ。
もし己らが死んだらどうする。誰が身寄りのない彼女を守るのか。いや、それだけではない。この間のような事が起こったときに、自衛の手段の一つも持っていなければ、今度こそ取り返しがつかない事になる。
その桜の主張はもっともで、桂はどうしたものかと頭を抱えた。
守るべき存在である佳乃に刀は持たせたくない。しかし、もしもの時が来てしまったらどうする。力のないものは容赦なく淘汰される。それが今の時代だ。

迷う桂に、いいじゃないか、と助言をしたのは、意外なことに桜の師である高杉晋助その人だった。

「なんなら、稽古は俺がつけてやってもいい。まあ、使い物になればの話だが―――」

できないよりは、できた方がいい。佳乃が自衛の手段を身に付ければ、それだけ彼らの負担も減る。
桂はそう申し出た高杉に、ようやく首を縦に振った。

「ただし、高杉。佳乃が剣を教えるに相応しいかどうかは―――お前が見ろ」

お前と向き合って、それで臆するようなら―――その時は、桜、お前が全力で佳乃を守ってやれ。

桂のその言葉に、桜は当然だとばかりに頷いた。
高杉はその人相の悪さ故に、あまり子供受けが良くない。もちろん佳乃も例に漏れず、桂は佳乃が高杉の事を何となく苦手としている事に気が付いていた。
それに、高杉は女子供だからと手を抜いたりするようなタイプでもない。
この高杉と向かい合わせて―――それでも佳乃が一歩も引かないようであれば、その覚悟は本物だろう。

「―――分かった」

高杉は、その桂の申し出を受け入れた。
高杉としても、特別に目を掛けている弟子である桜がここまで肩入れする少女に、少し興味があったのだ。

その覚悟が如何ほどのものか―――。







「では、いざ尋常に―――始め!」

桂や桜、その他大勢の志士達が見守る中、戦いの火蓋は切って落とされた。

佳乃が一歩踏み出す。迷いの無い一撃。
正面から振り下ろされた木刀を受け止めた高杉は、その一撃に女にしてはいい腕だと思った。高杉にとっては片腕でも十分に受けきれる程度のものだったが、その太刀筋には佳乃の真剣さが現れていたからだ。
繰り返し己と桜が打ち合う姿を観察していたのだろう。その型と太刀筋は、正しく己が桜に教え込んだものを踏襲していた。
見よう見まねであるため、本物には流石に及ばないが、それでもなかなかいい線をいっている。―――恐らく、筋は悪くない。

佳乃はその一撃が高杉に受け流される事を最初から覚悟していたのか、木刀が打ち合った次の瞬間には刀の軌道を変え、今度は横薙ぎに払った。―――胴を取るつもりか。
高杉は手首だけで木刀を捻ると、その一撃も受け止めた。カアン、と木刀がぶつかり合う音が静まりかえった本堂に響く。
今度は、高杉の番だった。
そのまま佳乃の木刀を弾くと、返す刀で佳乃の頭上に木刀を振り下ろす。重い一撃。咄嗟に頭を庇い、額に木刀を引いた佳乃の刀が、高杉のそれを受け止めた。
木刀を伝わってびりびりと腕を痺れさせる一撃に、佳乃が思い切り顔を顰める。
押し返そうと木刀に力を込めるが、到底力の差で敵う筈が無く、両者の刀は拮抗したまま動こうとしなかった。

―――当たり前だが、高杉は本気を出していない。
その気になれば、すぐに刀の軌道をずらして隙だらけの佳乃を吹っ飛ばす事など造作もないだろうに、高杉はそれをしなかった。己の力押しに、どこまで佳乃が耐えられるかを試そうとしている。佳乃は必死に腕に力を込めながら、これが彼らと自分の差なのだと悟った。

―――このままではいけない。

(私は、誰よりも強くならなければいけない―――)

その瞬間、佳乃は予想もつかない行動に出た。

瞬間的に木刀に込めた力を抜き、不意打ちによろけた高杉の刀の下をくぐり抜けると、なんと、木刀を宙に放り投げたのだ。

くるくると回転しながら宙に飛んだ木刀を、皆の視線が追いかける。
その一瞬に、佳乃は軽い助走をつけた蹴りを一発、高杉の腹に向けて繰り出した。

―――佳乃は、武士ではない。
高杉との試合の前に、桂は佳乃に「どんな手を使っても構わない」と告げた。そもそも正しい剣術というものを知らない佳乃に、剣で高杉に勝負しろというのは到底無理な話だ。
佳乃が高杉に認められさえすれば、剣を使う事を許す。ただし、高杉に負ければ―――その時は剣を握る事を諦めろと。桂はそう言って、佳乃をこの場に立たせた。

つまり、この試合は佳乃の剣の腕を見る為のものではない。佳乃の戦意を見る為の戦いなのだ。
ならば、言われた通り、どんな手を使ってでも高杉に勝つ。

佳乃は高杉から放たれる気迫に怯える自分を叱咤して、この勝負に臨んだ。

―――負けない。

繰り出された蹴りが高杉の腹を掠める。佳乃はその一瞬に出来た隙を見逃さなかった。
落ちてきた木刀を掴み、高杉に向かって鋭い突きを放つ。その一撃が、高杉の肩にまともにぶち当たった。
もちろん、剣の腕そのものはまだまだ未熟である佳乃の一撃は、高杉を倒れさせるには至らない。
逆に、一撃を入れた事で佳乃の方に生まれた隙をついて、高杉は木刀を佳乃めがけて振りかぶった。

鈍い衝撃。

高杉の繰り出したその攻撃は、佳乃を軽く二メートルほど吹っ飛ばした。一体どんな腕力があれば、これ程重い剣を繰り出す事が出来るのか。
高杉は容赦しない。吹っ飛ばされて転がった佳乃に、追い打ちのように剣を振り下ろした。佳乃は咄嗟に身体を捻ってその一撃を避ける。
床にぶつかった木刀が重い音を立てて、固い木の板に傷をつける。それを見て佳乃は、もう一度あれにまともにぶつかれば無事ではいられないだろうと戦慄した。
高杉は本気ではない。それは確かだ。しかし、その気迫、殺気は戦場で見るものと寸分違わない、本物だった。―――怖い。

だが、逃げる訳にはいかない。

佳乃は転がった木刀を手に掴むと、素早く身体を起こし、立ち上がった。
彼女の瞳に、炎のような闘志が宿った瞬間だった。

(―――いい目だ)

佳乃が木刀を振りかぶり、高杉の木刀と打ち合う。木と木のぶつかる甲高い音が連続して響く中、高杉は佳乃を冷静に観察していた。

女にしておくにはもったいない。

高杉の横薙ぎの剣に容赦なく床に叩きつけられた佳乃は、鼻から血が垂れるのも構わず、すぐに体勢を立て直して高杉に再び向かい合った。思わず桂と桜は試合を止めに入ろうとしたが、佳乃の顔を見て不意に口をつぐむ。続いた打ち合いにすっかり息は上がり、二度も容赦なく床に叩きつけられたお陰か手足は震えていたが、その瞳は間違いなく闘志に燃えていた。

(気に入った)

高杉が、不意に木刀を下ろした。
突然の事に佳乃が目を丸くして、思わず高杉を凝視する。

「気に入った。―――剣を教えてやる」

その言葉に驚いたのは、佳乃だけではなかった。―――勝負はまだついていないはずだ。
桂や桜も、高杉の突然の言葉に驚き、目を見開いていた。

子供で、しかも女であるくせに、己の殺気に怯えながら、それでも立ち上がった。
勝負は未だついておらずとも、高杉は、佳乃のその意気込みと覚悟を認めたのだ。

高杉はふっと笑みを浮かべると、踵を返して本堂の出口へと歩いていった。


「稽古は明日の昼からだ。―――覚悟しとけ」


佳乃はしばらく呆然としていたが、やがて硬直がとけると、高杉が去っていった方向へと深く頭を下げた。自然とその瞳に、薄い涙の膜が張る。
それは張りつめていた緊張や恐怖から解放された安堵と、認められた嬉しさ、その両方からくる涙だった。

「よくがんばった」

桜は、佳乃に手ぬぐいを渡すと、そっとその頭を撫でた。







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