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(私の生を、存在を、望んでくれる人がいる―――)

身寄りもなく、知る人も存在せず、それどころか己の生まれた世界ですらない場所で、たった一人生きることを決意した佳乃にとって、それはどんなに素晴らしい希望の光だっただろうか。
己の存在を、生存を、認めてくれる人がいる。望んでくれる人がいる。誰一人として味方の居ない、この世界で。
佳乃は泣いた。嬉しかったわけでも、悲しかった訳でもないが、とにかく泣いた。何かが許されたかのような気持ちだった。

「ありがとう」

桜はやわらかな微笑みを浮かべて、優しく佳乃の頭を撫でた。
とても、暖かい掌だった。






―――その報せを受けたのは、それから僅か三日後の事だった。
先日桜達が七日七晩の戦いの末、勝利をもぎ取った天人の部隊の友軍が、噂を聞きつけて報復のために大軍を列挙して仕掛けてきたと―――桂達とはまた別の徒党を組んでいる攘夷志士達から情報が入ったときには、既に前回の戦に参戦した志士達の三分の一の部隊が壊滅している状態だった。

「このまま、同志達を見捨てる訳にはいかない」

桂の言葉に、多くの志士は賛成した。厳しい戦局と敵との物量差から、勝利は難しいと踏んだ上で尚、彼らは志を同じくする武士の助けとなるべく、この敗色の濃い戦への参戦を決意したのだ。

―――先日、彼らが勝利を収めて戻ってきた戦場が、再び天人とぶつかり合う場所となった。
まだ血の臭いも、赤黒くぬかるむ泥も消えない戦場。


―――今、佳乃はその戦場に居た。


天人のものなのか、それとも志士のものなのか、ともかく凄まじい雄叫びがあちこちから上がり、戦場の異様なまでにぎらついた熱気が狂ったように踊っている。

その音を幾分か離れた場所に掘られた塹壕の中で聞きながら、佳乃はただひたすらに傷を負った男達の治療に勤しんでいた。といっても、佳乃にできることなどほんの僅かでしかなく、止血の為に患部を固く縛るのを手伝ってやるとか、傷口に包帯を巻いてやるだとか、その程度のものだったが、しかしそれでも、その作業はこれまで平和な現代を生きてきた佳乃にとってはかなり辛い作業だった。

怪我なんて一番酷いものでもカッターで手を切っただとか、そういった類のものしか見たことがない。欠損した患部だとか、貫通した弾痕だとか、石榴のようにはじけた傷口だとか―――。血膿の中、佳乃は吐き気を堪えながら必死に事にあたっていた。その場で吐かずに済んだのは、佳乃の精神がぴんと張りつめていた事と、この戦場に己も行くと決まった時に佳乃が覚悟を決めていたお陰だろう。

塹壕の中に居る人間は大半が知らない者達だった。佳乃はこれまで廃寺から出る事があまり無く、他の攘夷志士達を見る機会も無かったためあま意識して居なかったが、この国ではこれだけ沢山の人間が天人に対抗し戦争をしているのだという事を改めて認識する。
誰もが身体の何処かに傷を負っていて、苦痛に歪んだ表情を浮かべている。そのまま命を落とす者も多く、佳乃はここでもまた、己が無力である事を実感した。塹壕の中は負傷した男達が飛び交わせる罵声や悲鳴に満ちており、彼らがもはや何を喚いているのかすら佳乃には判別がつかなかった。

何故、佳乃が戦場についていく事が決まったのか。

それは、あのような事があった後で―――もちろん先日の戦の影響が後を引き、猫の手も借りたいくらいに人手が無かったという事もあるが―――桂が佳乃を一人で廃寺に置いていく事はできないと宣言したからだった。

もちろん、戦場にはとてつもない危険が伴う。しかし意外な事に、真っ先にそれに賛成したのは、他でもない桜だった。

「手の届く範囲に居てくれた方が、安心だから」

それに、何があっても守ると約束したからな、と桜は佳乃を安心させるように微笑んだ。






行軍にはかなりの距離、それも悪路を歩いた。舗装のされていない山道を長距離、大荷物を背負って歩いたので、以前と比べればある程度体力がつき、健脚となった佳乃にも流石に辛いものがあった。途中途中での桜の助けがなければ、とてもではないが目的地にはたどり着けなかっただろう。

最初にたどり着いたのは、今他の志士達が天人を食い止めているという戦場からは幾分か離れた場所にある集落だった。その集落は以前の戦闘の影響で今は無人の状態となっており、今は前線に出ている志士たちが拠点として利用している状態らしい。桂はそこに待機していた他の志士から戦況などを聞き出すと、すぐに部隊の装備を纏めていつでも出陣が出来るような状態にした。
どうやら戦況はあまり芳しくないらしく、すぐにでも援軍が必要との事で、桂はこれまでの経緯から見て、前線が突破されるのも時間の問題だと判断した。

ここより先に天人に進まれる訳にはいかない。このまま進軍されれば今佳乃達が拠点としている廃寺や、その向こうの街が危うくなる他にも、その間に点在するいくつもの村や集落が滅ぼされかねないからだ。それだけは、何としても阻止しなければ。

桂の言葉に従い、戦意を漲らせた一同は、他の志士達が奮戦する戦場への道を急いだ。

佳乃は志士達で構成される部隊の中でも一番後列に位置する部隊の、救護などを主な目的とした班の中に配属された。

「俺たちが必ず食い止める。―――あとは頼んだぞ」

そう言って刀を抜いた桜や銀時、桂を見送って、佳乃達は深く掘られた塹壕の中へと身を隠した。

佳乃に与えられた役目は、負傷兵の救護を主とした雑事全般だった。塹壕の中は血膿の臭いに満ちていて、長引く戦闘の影響で想像を絶するような光景が広がっていたが、泣き言を言っている暇などない。佳乃はとにかく必死に、彼らの治療に励んだ。

―――戦況は、やはり劣勢だった。







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