19
廃寺までの帰途につく一行の疲労の色は濃い。何せ七日七晩、不眠不休で戦った末の帰り道だ。いくら戦慣れした面々とはいえ、無理もないだろう。
しかし、疲れた身体を引きずりながらも、桜はうっすらと笑顔を浮かべていた。
今回の戦を完全な勝ち戦だった、といえば嘘になるが、ここ最近の各地での戦況を鑑みれば、自分たちは十分な大勝を収めたと考えて良い。
誰しもが勝利に酔い、嬉々として今後の事について話し合う姿からは、久々に天人に一杯食わせてやったという喜色が見て取れた。
もちろん桜も例に漏れず、その勝利の余韻に酔っている。
「すっかり帰りが遅くなっちまったな」
身体の所々に切り傷をこさえた銀時が、担いだ刀の鞘で軽く肩を叩きながらぼやく。
連れだって歩く男達と同じように、着物は連日続いた攻防戦の返り血と汗と泥でこれ以上ないという程汚れていたし、陽光に反射する銀髪はすっかり煤けてしまっていた。
かくいう桜も、彼らに負けないくらいドロドロだ。
「佳乃もたぶん、心配してるぞ。帰ったら一番に顔見せてやれ」
「―――そうですね」
長い間、一人にしてしまった。
きっと心細かったろう、と戦地に赴く前の佳乃の不安そうな顔を思い出せば、歩く速度が自然と速くなった。
―――早く帰って、無事を知らせてやりたい。
「早く帰ろうぜ。―――皆、腹が減って今にも死にそうな顔をしてるしな」
銀時の言葉に、ぐうぅ、と桜の腹が鳴る。早く帰って、佳乃の作る飯を腹一杯食いたいものだ、と桜は苦笑した。
*
―――おかしい。
「―――佳乃?」
帰還を告げる声にも、名を呼ぶ声にも返事がない。
普段佳乃が外出する時に履いている桜の草履は、佳乃の自室の前に揃えられたままだったので、恐らくは寺の中のどこかにいる筈なのだが、どこを探しても佳乃の姿が見あたらないのだ。
桜は洗濯場や井戸、厨と佳乃の居そうな場所を探して回ったが、そのどこにも佳乃は居なかった。銀時も心当たりを見回ってみたが、佳乃の姿は見あたらないという。
「おかしいな…」
帰ってきたら、一番に帰還を告げる。
その為に、汚れた着物もそのままに佳乃の姿を探し回る桜は、ふと離れにある志士達の寝室の一つが、無惨な状態になっている事に気がついた。
「…なんだこりゃ」
障子が蹴倒され、ぐちゃぐちゃに荒れた部屋の中には割れた陶器の破片が散らばり、その中身を吸い込んだのか畳からは酒くさい臭いが漂っている。
それだけでもただ事ではないが、一番穏やかでないのは、その上に(今は乾燥して黒く固まっているが)どう考えても血が飛び散った痕がある事だ。
(まさか、俺達が居ない間になにかあったのか?)
桜は眉を寄せ、訝しむような顔のまま、その場所から少し離れた部屋を寝床にしている志士の一人に声を掛けた。
「なあ、ここの部屋の奴知らないか?部屋、凄い事になってるが…」
「あ?あー、そいつならここ二、三日見かけてねえな。部屋は三日前、俺が街から帰ってきたときにはもうその有様だったぜ。一体何があったんだかな…。ああそういや、ここ三日、あの娘っこも見てねえな」
暢気にあくびをしながら自室に引っ込もうとする男を、桜は慌てて引き留めた。部屋の事はともかく、あの娘っことは確実に佳乃の事だろう。毎日炊事や洗濯をしている筈だというのに、ここ三日見かけていないとはどういう事か。
「大方、逃げ出したんじゃねーか?こんなむさ苦しい男所帯に、娘一人だった訳だしな…」
その言葉に、桜の胸に嫌な予感が走った。
(佳乃…!)
やはり、何かあったのだ。
例え、男所帯に嫌気が差して出て行こうとしたのだとしても、佳乃が桜に一言も告げずに、履き物まで置いたまま出て行く筈がない。
桜は自室まで戻り、すらりと障子を開けた。
部屋の中は閑散としているが、きちんと掃除がされており、自分が帰ってきた時の着替えとして用意されていたのであろう着物が、きっちりと畳まれて部屋の隅に置いてあった。
「佳乃」
佳乃の自室にも、寺のどこにも居ない。
となれば桜にとって思い当たる場所は、もうここしかなかった。
桜は静かに畳の上を歩き、締め切られた押し入れの襖へと手をかけた。
「―――佳乃」
―――案の定、居た。
押し入れの中で、小さく身を丸めて、桂から受け取った懐剣を抱きしめたまま眠る佳乃の姿が、そこにはあった。
その顔や手は黒く固まった血で所々が汚れており、左頬はよほど強く殴られたのか、黄色い痣が浮き出ている。
自分が居ない間に、一体何があったのか。
すべてが繋がって、佳乃の身に何があったのかを、桜は悟った。
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