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生憎この廃寺には風呂というものがない。あった所で無駄に使える薪も無いので湯を沸かせる訳もなく、湯浴みは二日に一度、ぬるま湯で濡らした手ぬぐいで身体を拭うか、さもなくば寺の裏手にある小さな泉で行水をするというのが、身体を清める主な手段だった。

(―――シャワー浴びたい…)

贅沢を言える立場でないという事は重々承知している。むわりと湿気を含んだ熱気で蒸す夜半、人気のない泉で身体を洗いながら、佳乃はため息を吐いた。
泉の水は冷たく、汗を流すついでに身体を涼めてくれる。行水をするのは好きだ。
泉があるのは寺の裏手にある林の中でも影となった場所だ。当然泉の水は冷たく気持ちが良い。―――けれどこれが冬場になったら、きっとこの水は冷たすぎて、とても行水には向かないだろう。

熱いシャワーを浴びたいな、と佳乃は思った。
それから、シャンプーで髪を洗って―――佳乃は毛先の割けた黒髪を水で濯ぎながら嘆息する。なめらかな手触りの黒髪が自慢だった筈なのに、手入れを怠っている間に髪は無惨な事になってしまっていた。そこかしこに枝毛が飛び出し、さらさらとした指通りが消え、あちこちで髪が絡んでしまっている。せめて、石鹸さえあれば、少しはマシになるだろうに。
じゃば、と佳乃が腕を動かす度に泉の水が揺れる。

ここ二月で劇的に変わった自分の生活サイクルを思えば、自分がいかに便利で素晴らしい時代に生まれたのがよく分かった。

料理も、掃除も、洗濯も―――自分の常識が、何一つ役に立たない時代。

初めのうちは着物一つ満足に着る事ができなくて、米を炊けば火加減がうまく行かず、重いものを運べば筋肉が耐えられずにひっくり返り、とにかく散々だった。
桜のおかげでなんとかそれらの雑事にも慣れ、かまどを使いこなせるようになり、やっと一人で水浴びが出来るくらいにはここでの生活にも慣れる事が出来たが、それでもまだまだだ。

ひとりでは、なにもできない。

『役立たず』

不意に、耳元で響いた声に、髪を洗う佳乃の手が止まった。
痛みや不快感を堪えるように、眉間に深い皺が寄る。それは、ここ数日、囁かれるように佳乃の周囲で響いていた言葉だった。


―――自分が役に立たない存在だと言うことは、とっくのとうに承知している。


皆が戦の準備に追われる中でも、慣れない手つきでは火薬一つ用意するのにも時間が掛かる。そんな佳乃の姿を見て、ため息を吐く人間はいくらでもいた。何故役に立たない小娘の面倒をみなければならないのか。佳乃を見る彼らの目は、如実にそう語っていた。
そして、その感情は佳乃を擁護する桜や、銀時や桂といった面々にも向く。

―――自分のせいで、彼らが非難の対象になっているとしたら―――。

それは、我慢ならない。自分の事ならば、それはすべて本当の事だから、何を言われても我慢ができる。けれど―――。



『―――、だよな。桂さんも何考えてるんだってカンジだよ』

『まったくだ。いくら戦災孤児だからってあんな小娘養うなんてよ』

『ここだってんな余裕がある訳じゃねぇのによ。高杉さんが連れてきたあの桜とかいう餓鬼はそこそこ剣が使えたからまだしも、何の役にも立たない小娘だぞ?』

『ばか、声がでけぇよ。あの小娘連れて来たのは白夜叉だ。あいつに聞かれてたらどうすんだよ。…あの小娘、妙に強い連中にばっかり気に入られてるからなぁ』

『小娘といっても女は女だ。股でも開いて媚びてんじゃねえか?』

『餓鬼のくせに小綺麗な顔してやがるしな。しかしまあ、ああも貧相な体つきじゃその気にもならねえや』

『俺は結構いけるぜ?』



響く、笑い声。
それを影で聞きながら、佳乃は唇を噛み締めた。

悔しかった。

確かに佳乃は無力な子供で、戦場に出るわけでもなく、かといって、彼らの相手をする事もない。
役に立たない。無駄飯食らい。
やれ女だ子供だ、差別するような単語が飛び交う中で、佳乃は強く、両の掌を握りしめた。

本当の事だ。
彼らの言うように娼婦の真似事こそしていないが、嘘をついてまで彼らに養って貰っている現状と、媚びることと、どう違うというのだろう。

けれど、そんな自分の存在のせいで彼らが悪く言われているというこの現状は、佳乃にとっては耐え難い状況だった。彼らは恩人であり、この世界での佳乃にとっての全てだ。それを馬鹿にされれば、当然、怒りも沸く。半分は無力な自分自身に対してだが。

「…もっと」

(まだ足りない)

佳乃は前よりも傷の増えた掌を見つめた。
慣れない仕事で日々増える擦り傷は、治る前に新しい傷が重なってより深い傷へと変わっていく。
所々に走る朱線を指でなぞりながら、佳乃は歯を噛みしめた。

(もっとがんばらないと)

せめて、自分以外の誰かが、自分のせいで非難されたりしないように。



―――明日、桜達は戦地に発つ。

拳を握りしめて、決意を決めるも、不安で押しつぶされそうな気持ちだけは、どうしようもなかった。







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