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炊飯器を考えた人は偉大だ、と佳乃は思う。何せ米を研いだら、あとはスイッチ一つ押すだけでふっくらとしたご飯が炊きあがるのだ。全ての行程は炊飯器が自動でやってくれるから、火加減を見ることも米の炊きあがり具合も心配しなくていい。なんとすばらしい発明なのだろう。
朝方、昨晩のうちに研いで水に浸けておいた米の入った釜を火に掛けながら、佳乃は額から伝い落ちてくる汗を拭った。薪をくべてから暫くの時間が経っており、竈の中ではごうごうと赤い炎が燃えている。竈から伝わる熱気に、火吹き竹を握る掌はじっとりと手汗で濡れていた。
それにしても、熱い。熱いし、暑い。
夏の日差しも強さを増して久しい今、朝方とはいえ晴天から降り注ぐ太陽のお陰で気温は上がる一方だ。そんな中、竈の正面から炎を浴びれば当然、汗も吹きだしてくる。

(炊飯器が無い時代の女の人は、こんなに辛い思いをしてたのか…)

火吹き竹に口をあてがい、思い切り息を吹き込む。炎がゴウと勢いを増した。はじめちょろちょろ中ぱっぱ、というのは、薪で加熱する時代の炊飯方法を表しており、火をくべてから竈に熱が行き渡るまでのちょろちょろと、薪が燃え上がってからの炎を示している。
佳乃はこの「中ぱっぱ」の火加減があまり得意ではなく、初めて釜で米を炊いた時などは焦がしてしまったり、逆に火の勢いが足りず芯の残った固い米になってしまったりした。今でこそ、ふっくらとした米の炊き方を心得ているが、それまではよく、桜に迷惑をかけたものだ。

(飯ごう炊飯とか、お鍋で炊くのは、やったことあったんだけどなあ)

実際竈を使ってみると、薪を使っての火加減はなかなか難しいもので、そもそもガスコンロやIHクッキングヒーターといったものがいかに便利な代物であったのかを佳乃は痛感していた。
料理をするのは嫌いではないが、ここまで調理方法や調理器具が違うと流石に苦労する。

竈の炎がくべてあった薪を燃やし尽くしたのか、勢いが引いてきた。そろそろ頃合いだ。あとは火が消えたあと、しばらく蒸らせば丁度良いくらいに米が炊けているだろう。

「おはよう、佳乃」

そばにあった手ぬぐいで汗を拭っていた佳乃は、はっとして厨の入り口を振り返った。そこには桜が立っていて、小脇にはつやつやとした茄子が盛られた笊を抱えている。もうそんな時間になったのか。佳乃は慌てて立ち上がって、おはようと挨拶を返した。

「今日も早いな。―――茄子を貰ってきたぞ。摘み立てだ」

厨の中にある台に、どさりと茄子の入った笊が置かれる。
ヘタのトゲが張り、黒に近い紫色の表面がツヤと光沢を放っていて、なんとも新鮮でみずみずしそうな茄子だ。佳乃はその茄子のうちの一つを手に取り、微笑んだ。

「おいしそう。…漬物がいいかな?味噌汁?」

佳乃は秋の種が熟した茄子も好きだが、夏の新鮮な茄子も大好きだ。煮ても焼いても揚げても浸けてもおいしい。それに、茄子には身体を冷やす効果もある。暑い夏にはうってつけの野菜だ。

桜はしばらくどちらにしようか悩んだ様子だったが、ややあって、とびきりの笑顔を浮かべた。

「両方だな。今日は茄子づくしだ!」













佳乃が来るまで持ち回りとなっていた食事当番は、佳乃が一人で煮炊きをできるようになってからは佳乃に一任されていた。
佳乃は料理をする事が嫌いではない。むしろ、かなり好きな部類に入る方だ。今でこそ調理方法や器具の違いには四苦八苦するものの、調理の手際自体はそんなに悪くないと自負している。
流石に竈で米を炊いた事がないと言った時は少し変な目で見られたものの、今では皆佳乃の料理を楽しみにしてくれているくらいだから、少なくともまずくはない筈だ。まあ、もともと炊事をあまりした事がない連中が持ち回りで料理をしていたのだから、それまでの料理が散々だった事は想像に難くないが。

午後になり、日差しが少し傾いてきた頃に、佳乃は桜と共に廃寺からしばらく歩いた所にある市に出向いていた。蓄えが少なくなってきたので、買い出しに来たのである。
佳乃達が住まいとする廃寺はどちらかというと山の中腹にあり、市がある街は川沿いに山を下った山裾に広がっている。佳乃は慣れない山道に苦労をしながらも、桜の助けもありなんとか山を下りた。
この世界に来てからの初めての外出。見るもの全てが珍しくて、佳乃は始終、活気ある街の様子にきょろきょろと目を動かしていた。
流石に時代劇の江戸の街のように綺麗な場所ではないが、幕末の地方都市といえば大体こんなものなのだろうか。時折風が吹くことによって巻き上がる砂埃に目を細めながら、佳乃は桜の後ろを黙って歩いた。

「ここはそれほど天人の影響を受けない場所にあるから、戦事に巻き込まれることも少なくて、人にも活気がある。前に米を買ってた村は、ここよりも俺たちの拠点からは行きやすい場所にあったんだが、無くなっちまったからな。今はここが、俺たちの大事な補給源だ」

桜は塩を買ったり、干物の魚や日持ちしそうな野菜を選びながら、佳乃に街の案内をして回った。
なんでも、この街はこの付近では一番栄えている街らしい。天人からの影響が少ないという事で、ここを活動の拠点の一つとする攘夷志士も多いらしく、見回してみれば確かに、そういった志士達を対象とした鍛冶屋や宿屋がいくつもあるようだ。少し裏に入った所には岡場所や賭場もあるらしく、治安が悪い場所もあるので、迷子にならないように気をつけろと注意を受けた(言われなくても、佳乃は桜の側を離れようと思わなかったが)。
しばらく街の一角で開かれた市を歩き、必要なものを必要なだけ買い込むと、桜は懐に仕舞っていた巾着の中身を確かめながら、米という札が屋根から下がった店の前で足を止めた。

「米を買ってくる。すぐ戻るから、ちょっと待っててくれ」

そう言って桜は荷物を置き、店の中に入っていった。荷物は全てひとまとめにして背負える形にしてあるが、流石にかなりかさばる。店の中に持って入るのも何なので、荷物番をしていろということだろう。戸口に残された佳乃は、手持ちぶさたに後ろ手を組み、適当に辺りを見回しながら桜が出てくるのを待つ事にした。

街には、活気がある。

長らく廃寺の中でだけ過ごしてきた佳乃にとって、これだけの人が行き交う光景を見るのは本当に久しかった。この世界にも、こんなにもたくさんの人が生きている。
佳乃の居た世界と同じ―――。


ふと、道行く人々の姿が現代の街の人々と重なった。
喧噪が止み、目で映す世界の色が褪せる。


自分は、あの中の一人だった。
幻影の中に、セーラー服を着て、通学鞄を持ち、横断歩道を渡る自分の姿を見る。隣には同じ服を着た友人が居て、冗談を言い合いながら、道を歩く人々の中を進んでいく。周囲の人々と同じように―――。

なら、今は―――?

幻の中の自分が立ち止まる。道行く人々の服装が着物に替わり、隣にいた友人は消え去った。


(…私は…)


「お待たせ」

ふと、喧噪が耳に戻り、景色が色を取り戻した。戸口には小さめの米俵を二つ抱えた桜が立っている。


「帰ろうか」


その言葉に、何故だか佳乃は寂しさを感じた。
―――そう、今の佳乃にとっては、あそこが帰る場所なのだ。



(私は、一人じゃない)



今は、隣に桜が居る。だから、大丈夫。

そう自分に言い聞かせても、拭いきれない自身の「異物感」。どうすることも出来ないそれに、漠然とした不安感を感じながら、佳乃は微笑んで頷いた。

そうする事しか、できなかった。







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