妹
桃色の集団の中にきれいな栗色の髪が見えた。
「雷蔵、あれ花子ちゃんだろ?」
「ん?ああ、そうだね」
その声に女の子が反応した。
「お兄ちゃん!!」
集団から抜けて、花子は雷蔵に駆け寄る。花子は振り返り集団に手を振った。桃色の集団は仕方なさそうに食堂から出て行く。
「よ!花子ちゃん」
「こんにちは、竹谷さん。お兄ちゃんは今からご飯?」
「うん」
「よう、花子」
花子の後ろで彼女を親しく呼ぶ声がした。花子の笑みが固まる。ゆっくり首を回し、標的を見た。
「馴れ馴れしく呼ばないでくれる?鉢屋」
視線のさきにいたのは顔が兄の物と酷似した男。
兄から離れず、口元に笑みを絶やさず、されど目の笑みは作れず。
「雷蔵は私と飯食うんだぞ」
「竹谷さんと久々知さんもでしょ」
鉢屋は両手に持った盆の片方を雷蔵に手渡した。久々知も遅れてやってきて、竹谷に盆を渡した。
「なに?また雷蔵とり合い合戦?」
「雷蔵はモテモテだな」
「はは・・・」
上のやりとりの通り、花子は不破花子といい、雷蔵の妹でくのいちの四年生だ。
雷蔵の顔を使う鉢屋に何かとつっかかる傾向がある。
しかし鉢屋は真剣に相手をするわけでもなく、それなりに言葉につきあうものの、それに殆ど本心は含まれていない。
「お兄ちゃん、今度の休みね、市が開かれるんだって!一緒に行こう?」
「え、あ、えっとね」
「雷蔵は私たちと行くんだ」
「・・・は?」
兄にほほ笑んだ顔を瞬時に鉢屋に向け、表情は鬼。
「四人で行くんだ、邪魔するなよ」
「・・・・・・はぁ?」
同じ顔のまま、首を傾ける。
さすがに三郎も引いた。
「花子、ごめんね。先に三郎たちと約束してたから」
雷蔵が眉を下げて謝った。
花子はそれを渋々受け止めた。
「分かった」
雷蔵は手を伸ばし、優しく花子の頭を撫でた。
「じゃあ、私行くね。お邪魔しました、竹谷さん、久々知さん・・・あと、一応鉢屋」
鉢屋だけをキッと睨みつけた。それにめざとく雷蔵が反応する。
「花子!失礼だろ!!」
急に雷蔵が怒りだして、周りは皆目が点になっている。
「三郎ばかりにきつい態度をとって。今回はお前の気にいるものじゃないかもしれないが、人に当たるなんて恥ずかしい」
三郎の名前にカッと血が上る。力が入り、拳が握られる。
「何よ!お兄ちゃんはいつも三郎三郎、鉢屋のことばっかり!!」
「子供みたいなこと言うな」
花子は一度言葉をつぐんで下くちびるを噛んだ。そして意を決して叫ぶ。
「お兄ちゃんなんて大っ嫌い」
言いきる前に花子は雷蔵に背を向け、食堂を出て行った。雷蔵と竹谷久々知は予想外のことに放心する。
「あらら」
三郎は口元を吊り上げて三人を見た。
「聞いてるの!滝夜叉丸」
「残念ながら私は今忙しい。兄自慢なら他をあたれ」
「何が忙しいのよ。自分の顔を鏡で見てるだけじゃない」
「自分を愛でるのに忙しいのだ」
翔花は四年生の忍たま長屋を訪れていた。とりあえず誰かに何かを話したかったのだ。
相手は別に誰でもよく、滝夜叉丸がたまたまいたから彼が餌食になった。
今二人は並んで縁側に座っている。
女人禁制の忍たま長屋だが、教師に見つからない限り殆どが見て見ぬふりをする。互いに持ちつ持たれつなのだ。
「いつかその鏡に深い傷をつけてやる」
「そういう野蛮をするから不破先輩に相手をしてもらえなくなるのだ」
滝夜叉丸は急いで鏡を隠した。彼も鏡をそう持っているわけではない。死守だ。
「聞いてたんじゃない」
「馬鹿め、毎回内容に違いがないじゃないか」
呆れたように滝夜叉丸はため息をついた。
「違うわよ。前回話したのは休日中ずっとお兄ちゃんに張り付いてる鉢屋について。今回は鉢屋贔屓なお兄ちゃんについて」
憤慨したように花子は言った。毎回兄を鉢屋にとられ、鬱憤が溜まっているらしい。
そんな彼女を少しからかってみようか、という気持ちが生まれる。
「親友なんだ、男の友情に口を挟むな。市にしても、町に女を待たせているんじゃないか?」
「・・・女・・・ね」
低い声が花子から漏れた。滝夜叉丸はギクリとした。
花子は膝を抱えて俯いた。
「分かってるもん。私だってくの一教室にいるんだから、お兄ちゃんが人気がないわけじゃないって知ってる」
想像以上に暗くなった花子に滝夜叉丸は慌てる。
滝夜叉丸としては、『そんなこと言わないでよ、意地悪!』くらいの反応だと考えていた。
花子のことを少し夢見がちで普通よりも少し兄に依存しているだけだと思っていた。だけど、彼女は滝夜叉丸が思っていたより現実を見ていた。
「私は、お兄ちゃんの事が愛おしいけど恋しいわけじゃない。お兄ちゃんはいずれ恋人もつくる。私はそれでいい」
鼻をすするような音がした。
「今まで十三年間、お兄ちゃんは私をそばで守ってくれたの。そんな人が愛おしくないわけないじゃない。理想としないわけないじゃない」
「なんの理想だ?」
「恋人の理想」
はっきりと発言する花子。
その言葉に滝夜叉丸は一つ考えが浮かんだが、打ち消した。
彼女が言いたいことはそう言うことじゃないはずだ。
「不破先輩が理想、ということは優しかったり、気が利いていたり、優柔不断だってありする人か?」
滝夜叉丸の言葉に花子は顔を上げた。呆気にとられた間抜けな顔だ。
そのままの顔のまま滝夜叉丸を見る。
「な、なんだ」
「・・・いや、うん。滝夜叉丸のことだからてっきり中身より外見の話にいくのかと」
実は彼が打ち消した考えはそれだった。
「ごめん、話それたね。で、たぶん市に女は待ってない。ってか、女以上に三郎贔屓がすごすぎるの」
「親友とはそういうものだ」
「念友!!?」
「あほか!!」
思いっきり滝夜叉丸は花子の頭を叩いた。
「うー」
また花子は顔を足に埋めた。
滝夜叉丸はため息をひとつ吐いた。
「兄離れの良い機会なんじゃないか?周りを見ろ、同級生のくのいちは恋だなんだと色めき立っているではないか」
滝夜叉丸が横眼で花子を見ると、腕の間から少し見える顔の微妙な変化に気づいて、急にバカバカしくなった。
ふう、とひとつため息をわざとらしく吐き出した。
「うっとうしいから帰れ」
「・・・うん、滝夜叉丸、ありがと」
彼女は立ち上がって、今まですねていた人間と思えないほどスタスタと歩いて行った。
「滝夜叉丸くんと花子ちゃんって仲良しなんだね」
「た、タカ丸さん!?いつからいたんです」
知らない間に背後にいた年上の同級生に驚いた。
「今だよ〜。花子ちゃんの背中が見えたんだ」
「ああ、そうですか」
タカ丸は二コリと笑い、花子が帰った方へ歩く。
滝夜叉丸の中に疑念が起こる。
「あなた・・・タカ丸さん?」
滝夜叉丸は思った。今の彼では自分に気付かれず背後に立つなど不可能では?
タカ丸は振り返り、呑気な彼からは想像が出来ない笑みを浮かべた。
そしてそのまま人差し指を口元へ寄せ、静かに滝夜叉丸が理解するまで待った。
滝夜叉丸が喉を鳴らすと、彼は彼女の跡をたどり始めた。滝夜叉の背を冷や汗が撫でた。
カレはずっと二人の話を聞いていたのだろう。
だからわざわざ滝夜叉丸の前に姿を見せたのだ。
「花子」
無躾に花子の部屋の扉は開らかれた。
入口に立つ人物に花子は眉を寄せた。拒絶の色を隠さない。
「鉢屋、何の用?」
鉢屋は苦笑した。
「雷蔵が結構衝撃を受けてた」
そう聞いて花子は顔を伏せた。小さく口を動かす。
「本気じゃない」
「・・・ああ」
「下らない嫉妬心。本当はお兄ちゃんが大好き」
花子を目に写したまま、鉢屋は頬をかいた。
「あんたに嫉妬してんのよ」
「・・・・・・」
まるで堪えていないどころか、仄微かに嬉しそうな鉢屋。
「・・・ごめんなさい」
他に言いようもなく、花子はそう言った。
「悪い。別に謝ってほしいわけじゃないんだ」
花子は自潮ぎみに笑う。
「言っちゃいけないんだって。他所様の前で兄が好きなんて言うのは恥ずかしくて外聞が悪いんだって」
花子は両手で顔を被う。
「何で大切なものを大切だって、好きなものを好きだって言っちゃいけないの?」
鉢屋は部屋に踏み込んだ。花子の側に立つ。
「この世にたった一人の兄なのに」
花子の隣に鉢屋はしゃがんだ。微かに花子は顔を上げる。その顔に鉢屋はそっと片手を添え、自分と目を合わせさせる。
「花子、目を閉じてくれ」
鉢屋の言ったことが解らない花子に鉢屋は行動を促すように、顔に触れていない手を目に被せた。
「・・・花子、好きだよ」
聞き終わった瞬間、花子は鉢屋の手を振りほどいた。
「何の悪ふざけ!?」
困ったように鉢屋は笑った。花子の顔は青ざめている。
「お兄ちゃんの声でそんなこと言わないで」
「僕だよ」
「嘘!お兄ちゃんは絶対言わない」
花子は否定するように首を振った。
「そうだね、入学してからは一度も言ったことなかった」
花子は目を見開いた。本当に兄かもしれない。
「お兄ちゃん?」
「うん」
優しく笑う。それは兄の笑みだ。
「ご、ごめんなさい、嫌いなんていってごめんなさい」
雷蔵は優しく手を花子の頭に乗せる。
「謝るのは僕。花子はいつも変わらないで僕を慕ってくれていたのに、僕は邪険にするばかりで」
花子が首を振る。
「いいの!私は、お兄ちゃんが笑っていてくれたらいいの」
勢いは止まって顔を下に向ける。
「だから今日のことはとても不本意なの」
小さくなった花子の体を雷蔵は抱き締めた。
「僕も花子には笑っていてほしい」
花子は頭を雷蔵の胸に押し付けた。
「最初本当に三郎と思ったでしょ?」
「・・・うん」
雷蔵が笑った。花子は気配でそれを感じた。
「僕の化物の術も捨てたものじゃないね。三郎がいないと駄目だけど」
花子も微かに笑った。
「花子の機嫌直ったんだな」
部屋に帰った雷蔵に鉢屋はニヤニヤして言った。
「見てたでしょ」
「さぁ」
一応鉢屋は言葉ではウヤムヤにしているものの、顔に見てましたと書いてある。
あぐらをかいて座る鉢屋の側に雷蔵も座る。
「兄妹水入らずって普通遠慮するでしょ」
雷蔵が困ったように笑って肩をすくめると、鉢屋はつまらないという顔をした。足を立てて肘をつき、頬杖をつく。
「いいだろ?花子に悪い虫がつかないように協力してるんだから」
鉢屋が雷蔵を見つめると、雷蔵は今思い出したと言わんばかりに口を開いた。
「ああ、それなんだけど、もういいや」
あっけらかんと言う雷蔵に鉢屋は目を見開く。
「何で!?」
雷蔵は彼に似合わないニヒルな笑みを鉢屋にやった。
「だって君が虫になりかねないだろう?」
「・・・」
いつだって三郎と話すときは顔を真っ赤にさせる妹。
今日は嫉妬心が顔を出してつい可愛い妹を怒鳴ってしまった。
いつか離れてしまう妹だと分かっているから、今はまだお兄ちゃん優先でいてほしい。
「まだお嫁にはやりません」
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