姉
夜、そう、生物委員会で管理している毒虫が例の如く逃げ出して、それを捕まえてたら日が沈んでしまったのだ。それが終幕して、長屋へ帰る途中人影をみた。
「・・・え・・・」
誰の声だ?
「み・・・よ」
暗くて見えない、誰だ?
「はい・・・ん」
段々と
「はち・え・ん」
声が大きく・・・
「八左衛門!!」
「だぁぁぁぁ!!」
顔にすごい衝撃を受けた。鼻が痛い。
「あんたいつまで寝てるつもり!?」
鼻を押さえて見上げると、仁王立ちしている姉がいた。
今俺は床の上にいるから、どうやら姉が寝ていた俺の下にあった敷布団を上に引っ張ったらしい。
「何で姉ちゃんがいんだよ」
「家から色々届いたのよ。わざわざ持ってきてあげたのにあんたグースカねてるんだもの」
呆れたように言う姉。休みくらい遅くまで寝ていてもいいじゃないか。
「そこの風呂敷にはいってるから。ちゃんと父さんたちに手紙書くのよ」
「分かった」
姉は満足したのか出入り口へ向かう。
「姉ちゃん」
「ん?」
「ありがとな」
少し照れて言うと、姉は満面の笑みで俺を見た。
「どういたしまして」
なんてことはない。夢の声も現の声も姉の声だ。
ふと昔を思い返すと悔しくて、俺は頭を抱えた。
五年の忍たま長屋で、四人はのんびりとしている。茶請けのせんべいを食べ終え、話が茶の肴になる。
「花子さんってほんと美人だよな」
そう言ったのは三郎。三郎を見た三人が固まる。
「姉ちゃんの顔をするのはやめてくれ」
八左衛門が歯を見せて嫌がる。三郎は花子の顔で眉間に皺をよせた。
「難しいんだよ、整ってると。特徴がない」
三郎は手で顔を弄る。目を引っ張ったり、鼻をつまんだり。
「三郎、やりすぎ」
いじったせいで、花子の顔であったものは他人と言えるものになっていた。
三郎はそれを剥ぎ取り雷蔵の顔になる。
「ハチと花子さんって似てないよな」
ポツと久々知が口から出した。
「だよな、聞かなきゃ絶対気付かない」
三郎は八左衛門も見つめて言った。
「似てないか?」
「似てないな」
三郎が八左衛門に手を伸ばし、頬を引っ張る。
「何すんだ」
「花子さんのは柔らかそうなのにお前の硬い」
「いや、比較部分が間違ってる」
つまらないというように三郎は手を離した。
「花子さん、くの一の中でも人気らしいね」
雷蔵が話を変える。彼は笑ってお茶を飲む。
「・・・人気?」
「実技も座学も優秀で、優しくて頼りになる先輩なんだって」
「残り少ないくのいち六年だもんな」
そう聞くと八左衛門の体が硬直した。目が見開き、口が固く結ばれる。
「ハチ?」
隣の久々知が顔を覗き込むように見た。しかし反射的にそれを引っ込める。
八左衛門の顔が前に動いて、そのまま体と一緒に地面に転がったのだ。
それより前に鼓膜を大きく振動させる音を聞いたことは無視したい。
八左衛門は地面に伏したままだ。三人は後ろを振り返る。
仁王立ちの美人がいた。
「ヤエ!ちょっとあんた!化粧道具いつになったら返すの!?」
「な、花子さん・・・」
そりゃ美人だろうが、優秀生だろうが、八左衛門の状態を見れば彼女に顔を青くせざるを得ない。
「姉ちゃん、痛い」
背中をさすりながら八左衛門は上半身を上げた。振り返り姉を見る。
花子は片足を見せつけるように前後に振った。
「痛くなかったら意味ないの」
「これが噂の家庭内暴力・・・」
「うるさい。とっととお返し」
八左衛門は立ち上がって部屋に向かう。
「お化粧、されるんですか?」
「ん?うん、たまには練習しとかないとね」
「花子さんはすっぴんでもいいでしょ」
「ありがと、鉢屋」
花子は嬉しそうに三郎の頭を撫でた。
「花子さんはハチの事なんでヤエって呼ぶんです?」
久々知が首を傾げて聞いた。
「だって八左衛門って長いじゃない?
略したら今君らが呼んでるようにハチがいいかな?
っておもうけど、皆と被るのは面白くないなってことで『八』を『ヤ』と呼んで『左』は邪魔だったから省いて、ヤエ」
面白さで弟の呼び方を決めてしまうこの人は女王様だ、と誰かが思った。
「でも大きくなってヤエは女みたいで嫌だ、っていうから今は八左衛門って呼んでる」
確かに、激昂したとき以外は八左衛門と呼んでいる気がする。
花子は今まで八左衛門が座っていた場所に腰を下ろした。
「あんたたち仲良いわよね。羨ましいわ」
足をぶらぶらと揺らす花子。
自分たちでも思っていたが、他の人間に言われると恥ずかしい。
「花子先輩!」
「ん?」
高い少女の声。白壁の上から手を振る人影があった。
「ユキちゃん」
「シナ先生が呼んでま〜す」
花子が立ち上がる。三人を見て言った。
「八左衛門に道具は私の部屋に運ぶように言っといて」
ユキの方に歩き出し、壁の一、二歩手前で振り向いた。
「あと、弟をくれぐれもよろしく」
言いきると二コリと笑って壁を越えてしまった。
「部屋までかよ、面倒くさいな」
八左衛門が道具片手に帰ってくると、花子の言葉がそのまま伝えられた。
八左衛門がため息を吐いて座った。道具を隣に置く。
「行かないの?」
「今日中に行けばいいよ」
「花子さんに怒られるぞ」
三人は先ほどの蹴りを思い出してぞっとした。八左衛門だけはムスっとしている。
「いいんだ、それよりさ」
八左衛門が強く押し切り、会話を変更させた。三人は不思議に思ったものの、段々と話に熱中した。
八左衛門は薄暗くなってから、花子の部屋に化粧道具を持って訪れた。
姉の部屋に入り、机の上に道具を置く。
くの一の上級生は極端に少なく、最上級生は花子を含め三人だけだ。そのためくの一の上級生の部屋は余り、彼女は一人部屋をもらっている。
下級生には三人部屋の者もいるが、下の者に部屋を分け与えられはしない。
花子の部屋は片付いていた。ゆっくり見渡すが、あまり物がない。
女の部屋といった感じがしない。それでも姉の部屋だ。
暗いせいか、昔のことが蘇る。夢に見た出来事だ。
二年前の夜、あくびをしながら部屋に戻ろうとしていた八左衛門はふっと黒い影と気配に気づいた。
曲者か、そう考えた時、その影の形があまりに身近なものに似ていて、足音を消して近づいた。
それが何か分かった瞬間、自分は駆け寄っていた。
影も自分に気づいたか、目を見開く。影は大きく口を開いて叫んだ。
「来るな!!」
影の迫力に足を止めてしまう。
影は姉だった。姉の身体から滴る雫がぽたりぽたりと黒い地面をより黒く塗った。
背を丸め、腕を抱き、左足を引きずるような形の姉が目の前にいる。
毅然としている姉からは想像もできない姿だ。
八左衛門の中に恐怖が生まれた。自分が見たこともないような生き物に思えて、体が逃げ出しそうなのを抑える。
「姉ちゃん?」
「早く部屋に帰れ、私の事は他言するな」
「姉ちゃ「見るな!寄るな!」
体を揺らし叫ぶ姉。呼吸が荒く、今にも倒れてしまいそうだ。
「ヤエ、早く行きなさい」
その呼び方が確かに目の前にいるのが姉だと教えた。
遂に八左衛門の目から涙は溢れ、それを抑えるように目を閉じた。拳を握る。
姉の後ろを急いで駆け抜けた。
じぶんの行動が正しいなんて微かにも思えない。
あの時、なぜ自分は姉を支えなかったのか、今でも悔しくて恥ずかしくて情けなくなる。
化粧道具を一撫でする。よほど大事に扱っているのだろう、表面が滑らかで手触りがいい。
外で気配がした。誰のもか分からないが、部屋に近づいてくる。
姉ちゃん?
八左衛門がそう思うと気配が急に消えた。
あまりに不自然で、急いで入口に向かい障子を開ける。見渡すがどこにも人影はない。
「姉ちゃんじゃない、でもくの一でも忍たまでもない」
花子であったなら、八左衛門よりも気配に早く気づき、気付かなかったとしても急に気配を消す必要はない。
他の生徒でも気配を消す必要はないし、姿を隠す意味もない。
もう一度、見逃しがないか隅々まで見てみる。植えられた背の低い木の根元に黒い染みが出来ていた。
悪寒がした。
さすがに消灯時間までくの一長屋にいるわけにもいかなかった。でもその間に姉は帰ってこなかった。
朝になって八左衛門は食堂で花子を待ったが花子は姿を見せなかった。
怖くなって一人のくの一を捕まえた。
「なあ、姉ちゃん知らないか?」
「あなたのお姉さん?」
「竹谷花子だ」
相手の目が見開いた。くの一は自分の口元に手をやる。
「似てないね」
「よく言われる」
くの一と世間話がしたいわけじゃない、姉の場所が知りたいのだ。
「知らないか?」
「今日は見てないわ」
相手が首を振った。
「じゃあ、何か聞いてないか?」
「聞いてない」
「そっか、ありがとう」
くの一はすたすたとどこかへ行った。
なんでいないんだ、どこにいるんだ。
八左衛門は一度強く床を踏みつけた。
八左衛門は授業が終わってから学園を走り回った。
端から端まで、建物の中に潜り込んで。たった一つの場所を除いて。
それは医務室だ。
本当は悪寒がした時点で最初に訪ねるべきだった。しかしそこに向かえば、花子がいれば、自分にとっての最悪な事態が確かになってしまう。
生き物の命の重さを知る彼だからこそ、姉の命は重すぎる。
けれども八左衛門は恐る恐る医務室へ足を進めた。
遂に目の前にきた。手が伸びない。汗が手に滲む。下を向き、一つ短いため息をつく。
「!」
急に目の前の障子が開いた。驚いて身を引く。
「あ、伊作先輩」
相手は八左衛門を見てニッコリと笑みを作った。
「立ち往生してるみたいだったから。どこか怪我でも?」
「いえ、あの、その」
八左衛門はキュッと拳を握り締めた。
「姉が、来てませんか」
伊作は首をかしげた。
「花子ちゃん?今日は来てないよ」
「そ、うですか」
安心したような、肩すかしをくらったような気分だ。
肩を落として八左衛門はまた移動を始めた。
伊作はその背中を見て小さく息を吐き、入口を閉めた。
「本当に言わなくてよかったの?」
日が入り難い医務室で、伊作は尋ねた。相手は横たわったまま動かない。口が開く。
「いい。今のあいつが私を見たら喚くから」
冷たい声を吐いた。
「花子ちゃん、今会った方がいいんじゃない?後になれば言い出しにくくなるよ」
「・・・いやだ」
花子は真っ白な包帯で所々を巻かれていた。
彼女が周りから称賛を浴びていた顔も、今は包帯の影に隠れている。
「治るまで私は学園長のお使いに行っていることにして。・・・伊作君、頼むわよ」
今にも泣き出しそうな声を出して、花子は言った。
伊作は目を閉じた。気高い彼女から聞く初めての懇願だった。
「君がそう言うのなら」
「姉ちゃん」
姉が帰ってこない。
もう四日経った。伊作は八左衛門に花子がお使いでいないことを伝えた。
しかし八左衛門は信じていなかった。姉弟に何かあるのか、八左衛門は花子が近くにいることを感じていた。
それどころか、伊作が八左衛門に伝えたことから花子が医務室にいると確信した。
姉に会いたいと思う。でもわざわざ伊作先輩に伝言を頼むのだから、姉は今自分に会いたくないのだろう。
姉の意思を尊重するか、自分の欲に従うか、彼はずっと考えている。
いつもなら花子を優先しただろう。
しかし今回はそうはいかなかった。
立ち上がり、天井の穴から屋根裏へと移る。目指すは医務室だ。
気配を消し真っ暗な道を辿る。足音一つ立てず医務室の真上までたどり着いた。
以前の自分であったならたぶんこういかなかっただろう。僅かだが自信がわく。
天井の板をずらし、隙間から下を覗く。左へ右へ上へ下へ目を忙しく動かす。広げてある布団は一組だけ。
八左衛門の予想通りならばそこに寝ているのは姉のはずだ。体にゾクリと冷えたものが流れ込む。
ゆっくりと天上板を外し、気持とは反対に軽やかに着地した。
横たわる人を見る。顔が分からない。体も布団と包帯に包まれていて判断できないが、八左衛門はそれが花子だと妙な確信を持った。
横たわった相手が口を動かした。
「何で来たの、八左衛門」
苦い声を出す。目が見えていたら八左衛門を鋭く射抜いていただろう。
「何で、怪我してんだよ」
「お使い中に川に落ちたの」
「ふざけんなよ」
花子の言葉に八左衛門の眉が吊り上る。
声と空気がそれを花子に伝えた。
「あんたビビるじゃない。しかも前より酷いし」
ツンとした小さな声が八左衛門の耳に届く。前という単語に敏感に反応する。
「出て行って、喋るのもきついの」
包帯は布団の下まで浸食しているだろう。話すだけで痛むに違いない。
けれど八左衛門は意地でも引くわけにはいかない。ここで部屋を出てしまえば、以前の二の舞だ。
「姉ちゃん、俺ずっと考えてたんだ」
八左衛門の言葉に何の反応もない。
八左衛門は布団の隣に正座した。一拍待って両手をついて頭を下げる。
「学園をやめてください」
花子の上半身は素早く持ち上がり、包帯だらけの右腕を振りかぶり、まだ下がったままの八左衛門の頭を殴った。
八左衛門は顔だけが花子の手が流れた方へ向いた。いつもの衝撃ではなかった。
逆に花子の上半身は床と対面し、両腕をついて肩で息をしている。
花子の息使いが八左衛門の耳に届く。
「姉ちゃん」
「あんた・・・」
一つ言葉を吐くだけで息が乱れる。
「うちに金がないのになんで父さん母さんが二人も学園に通わせてくれるか考えた?」
八左衛門は頭から水をかけられたような気がした。
「私はくの一にならなくちゃいけないの。精一杯仕事して、お金稼いでお父さんたちに恩返ししなくちゃいけないの」
遂に花子は力が抜けて、うつ伏せになった。八左衛門はそれを支えようとしたが、花子の空気がそれを拒んでいる。
「俺はっ」
花子を支えられなかった手を握る。
「姉ちゃんに幸せになって欲しい。好きなやつと結婚して子供生んで、安全なところで笑っていてほしいんだ」
「お前の考えと私の考えが同意であると考えるな」
息を整えて、花子は布団の上に仰向けに寝た。
「このことについてはちゃんと話す。今日は帰って」
おそらくこれ以上八左衛門が何か言ったとしても、花子は答えないだろう。
八左衛門は緩慢に立ち上がり、医務室を出た。ジンジンと頬がうるさい。
1ヵ月後、建てつけの悪い八左衛門の部屋の扉がガタガタと音をたてて開いた。
花子が八左衛門の部屋に入る。しかし八左衛門の姿はない。
「はぁ」
花子とて八左衛門に言われて何も思わないわけではない。
ただ巻かれた包帯を見た瞬間に、傷が残ると色が使いにくくなるな・・・と考えた自分がくの一以外の何者でもないのだとまざまざと知らしめた。
もう他のものに変わるなど不可能だ。
それに花子も八左衛門に幸せになって欲しい。
それを言わないのはお互い様だと思っていたのに、八左衛門は簡単に口にしてしまった。
つい手が顔に伸びる。右のこめかみから頬の中心にかけて線が走っている。それ以外にも小さな傷はあるものの、目立たない。
髪は包帯を巻くのに邪魔で短く切られた。腕を上げたことにより、袖が腕を滑り下りる。清潔な包帯が余すところなく腕を包んでいる。
これを見たらヤエはまた泣きそうになりながら『止めて』と懇願するだろう。
その八左衛門の顔を思い出すと吹き出してしまった。狼狽っぷりが笑える。
ヤエは馬鹿だ、いや、純粋過ぎるのだ。この身の汚れなど考えもしないのだろう。
もう好いた男に差し出せる体ではないことなど知りもしないのだろう。
笑える、盛大に。馬鹿ばかしい。あまりに私は愚かだ。
カタカタとまた戸がなった。横に滑ると八左衛門が現れる。
「姉ちゃん!?」
「あ、お邪魔してます」
「いや、別にいいけど」
二人とも立ったまま、花子は部屋の内、八左衛門は部屋の外。二人の心が隔たっているのを表しているようだ。
「まだ、治ってないじゃん」
「ん、ああ」
袖から覗く白い包帯を見つめて言った。
「一週間もすれば綺麗に治るそうよ」
「顔のは?」
気まずそうに花子は目を反らした。
「これは無理。薄くなるけど痕になるみたい」
八左衛門が花子の予想通り泣きそうな顔をする。
「この程度の傷なら化粧で隠せる」
花子は八左衛門に駆け寄って抱きしめた。
「あんたの泣きそうな顔が、嫌。あんたが泣くと嫌」
力を込めて腕を含めて抱きしめる。
「あんたが笑ってないと嫌」
グスッと鼻を鳴らす音が聞こえた。
「分かる?私もヤエに幸せであってほしいの」
腕の間から手を抜き出して、八左衛門は花子の頭に触れた。
「髪、短くなってんじゃん」
「似合うでしょ」
「うん、めちゃくちゃ似合ってる」
姉の頭を抱いた。すでに八左衛門は花子よりも頭の半分背が高い。
「俺さ、親父に言われてたんだ」
「ん?」
「姉ちゃんは女だから、男の俺が守んなきゃいけないんだって」
花子の体が細く、柔らかい。簡単に体が壊れそうだ。
「俺さ、姉ちゃん強いから守る必要ないじゃんって思ってたんだ」
八左衛門からも鼻を鳴らす音がした。
「でも二年前、姉ちゃんが怪我してるの見て、初めて守んなきゃって思った」
声がかすれる。
「なのに姉ちゃんは、もう男とか女とか、そういうとこにいなくて」
八左衛門の力が強くなる。
「俺が守るなんて、どうやっても言えなくて」
一度口をつぐむ。
「っ俺、自分が情けなくて」
「ヤエ、私もだよ」
花子は抱き締めていた手を離し、八左衛門の胸を押した。八左衛門の腕がほどけた。花子が八左衛門の目を見る。
「私もあんたを守りたかった、でも悲しませて怖がらせた。だから情けなくて、守るなんて言えないって思った」
言葉の一つ一つが切実で、お互いに胸が締め付けられる。
「あんたも同じ気持ちなら」
くっと息を一つ飲み込む。
「そうなら、自分を守れるくらい強くなろう。自分が守れない人間が誰かを守れるわけない。なら、まずは自分を守れる人間になろう」
「自分・・・」
「自分を大切にしよう、お互いの気持ち大切にしよう」
涙を堪えるように八左衛門は唇を噛んだ。
「私、ヤエが大事だから、ヤエが私が傷つくのが嫌っていうなら、ヤエがいる限り自分を精一杯守る」
八左衛門を見つめる目は、以前よりも更に輝いている。
「ヤエ、どう?」
グスッとまた鼻がなった。
「俺も姉ちゃんが生きて俺のこと心配するなら、全力で自分を守る」
お互い緩んだ。ポタリと滴が落ちる。笑いあって、花子が強く八左衛門の頭を撫でた。
「やっぱさ、私とヤエって笑った顔似てるね」
「だよな、皆似てないっていうんだぜ」
「不思議」
多分、自分を守れて他の誰かも守れるようになった時にはヤエにはもっと大事な人がいるだろう。
そんな未来に思いを馳せ、花子は美しく笑った。
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