27話



 
午前授業で終わり解放された学生ははしゃぐものだが、勘右衛門は外に遊びに行くこともせず、部屋の隅でゴロゴロとしていた。
頭の中はグシャグシャだが一つとして進展していない。
久々知はそんな勘右衛門に付き合って、部屋の中で本を読んでいた。
時々チラリと勘右衛門に視線を当てるものの、話しかけることはしない。彼には適当な言葉が思いつかないのだ。
誰もが勘右衛門に「会って謝ればいい」と言うだろう。それが正しい。
だが「言うは易し、成すは難し」というように、実際に行動を起こすことは難しいものである。
謝っても許してもらえないかもしれない覚悟をするのは勇気のいることだ。
人は許してほしいから謝るのだ。それが叶わなければ、相手との関係は崩壊する。
重たく感じる体を回転させて、寝返りを打った。

「勘右衛門いるか?」
障子が横に滑ると、三郎が顔を覗かせた。
「いるな」
「ん、いる」
モゾリと上半身を持ち上げて三郎を見た。彼は私服の姿だった。
「三郎、どっか行くのか?」
「ああ、ちょっと野暮用だ」
いつもなら勝手に部屋に入ってくるはずだが、三郎は一向にその気配を見せない。

「三郎?」
変な感じがして、三郎を呼ぶ。三郎は至極真面目な表情で勘右衛門を見下ろしている。
「勘右衛門、自分がしたことには責任を持つべきだと思わないか」
ピクリと勘右衛門の眉間が動いた。十中八九、勘右衛門の花子に対する態度を表している。

「俺を責めてるんだろ?」
「まさか」
三郎は肩をすくめた。
「私が勘右衛門を責める必要がどこにある?そうじゃない。ただ私は意見を聞いただけだ」
勘右衛門は三郎の言うことに納得できないが、自分が今色々言える立場にないのだと思い込んだ。
「責任は持つべきだと思う」
小さく、あまり積極的でない声で言う。背中が段々と丸まっていくようだ。
「そうか。そうだな。邪魔して悪かった。じゃあ、夕飯までには帰るから」
三郎の用は本当にそれだけだったようで、障子はピシャリと閉まった。
三郎の行動が一体何であったのか勘右衛門に分からない。ただ改めて自分が逃げていることを突き付けられた気がした。
のっそりと勘右衛門が立ち上がる。

「ちょっと出てくる」
「気をつけてな」
「うん」





特に行きたい場所ができた訳ではなかった。ただ部屋の中にいても何も変わらない気がして、せめて外に出れば心境の変化を望めるのではないか、と思ったのだ。
でも出来るだけ人に会いたくないので、自然と人気のない道を選ぶ。
頭の中で考えるのはやはり花子のこと。二日にわたり、そのことしか考えていない。
賑やかな声が遠くに聞こえる。自分の心境が普段とどれだけ違うのかがマジマジと感じられた。

「あ」

ハタと立ち止まる。
そこは以前、花子と伊作がやり取りをしていた場所だった。
その時の情景が思い出される。そういえば田中は留三郎先輩が好きなんだっけ、などとまた根拠のない思い違いを掘り起こした。
そして同時に伊作の助言を思い出した。
「すっかり忘れてた」
勘右衛門は図書館に向かっていなかった。伊作を保健室へ送った後、同級生が遊んでいるのを見つけてそこに入って、今の今まで忘れていたのだ。

「何だっけ、山、山が出てきた」
そしてその内容もすっかり忘れていた。
元々芸術方面にトンと興味がない勘右衛門だ。長い間興味がない物を覚えていられるほど人間の頭は優秀ではない。
「雷蔵に聞いたら分かるかな」
誰かに聞いてはいけない、と言われたのは覚えているが、このままでは何も知ることはできない、と勘右衛門は聞かなかったことにした。

先ほど三郎の良く分からない行動で部屋に行きにくいと思ったが、私服を着ていたことを思い出し、三郎が部屋にいないことを祈って雷蔵を訪ねた。







そして三郎はいなかった。部屋に来た勘右衛門を向かい入れたのは雷蔵の笑顔だけだった。
「山が入った歌?さすがにそれだけじゃなんとも。僕も詳しい訳じゃないからね。何に載っているとか分かれば、探しようもあるんだけど」
困ったように笑う雷蔵。山が入っている歌など数えきれないほどあるのだ。

「何に載っているとか分からないよ」
「他に何か分かることない?」
「え〜、伊作先輩に教えてもらった」
「う〜ん、貸し出し履歴でも探してみる?」

それでも見つかるかどうかは疑問である。

「もう一回伊作先輩に聞いてみるしかないのかな」
気は進まない。知らべてみてと言われてから一体何日が過ぎただろうか。今更になって聞けば、呆れられるに違いない。
「勘右衛門、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、だよ」
「うん」
何か違う気がするものの、勘右衛門の足取りは重たくも保健室へ向かったのだ。







「正直だね、君は」
運よく保健室にいた伊作に、勘右衛門は素直に「忘れてしまったので、もう一度教えてもらえませんか」と言った。
それに苦笑した伊作は快くもう一度言葉を紡いだ。

「憂かりける 人を初瀬の 山おろし はげしかれとは 祈らぬものを だよ」
「ありがとうございます」
伊作に向かって頭を下げる。こうやって花子のことを知ろうとする勘右衛門を見て伊作は悪い傾向ではないのかもしれない、と思った。

「ん〜、でももうこれ役に立たないかも」
「え?」
ニコニコと勘右衛門に笑って見せる。
「人の感情は時によって変わるものだから、もう以前言った言葉は役に立たない、ってこと。もう花子ちゃんを表している言葉はこれじゃないかな」
伊作の表情と逆に勘右衛門の胸には不安が募る。

「俺、どうしたらいいですか」
「僕はそんなに花子ちゃんと会うわけじゃない。勘右衛門君の方がよほど花子ちゃんに会っているはずだよ」
勘右衛門の表情の変化にどこかおかしさを感じたが、なんにしろ勘右衛門が花子を知ろうとする手助けをしているものだと、訂正しなかった。
「分からないから先輩を頼っているんですが」
「相手を分かることって大切だけど、その前に分かろうとする姿勢がすごく大事なんだと思うよ」
「先輩の話は少し難しいです」
段々と背を丸める勘右衛門に伊作は焦った。

一体彼と花子の間に何があったのか、伊作には分からない。花子が落ち込んだ姿を伊作に見せたのはもう一週間以上前になるのだ。
そしてその時落ち込んでいた理由も伊作は知らない。
「ええっと、つまり、テストでは問題を解けるようになる経過よりも出た答えで点数がつくけど、人間関係ではその経過の努力が重視されるということ」
自分が思っていることを勘右衛門に伝わるように話す。

「例えば勘右衛門君と友達になりたいと思って一生懸命頑張ってる子がいたら、友達になろうと思わない?」
厳密にいえば花子ちゃんがなりたいのは友達じゃないんだけど、と心の中で付け加えた。
「たぶん、なりたいと思います」
自分と仲良くなりたくて頑張った人など知らない勘右衛門は曖昧に答えた。
実際は今思い悩んでいる相手がこれ以上ないほど頑張っていたのだが、勘右衛門がそれを知るはずがない。

「今、勘右衛門君は花子ちゃんのことを分かりたいと思っているんだよね?」

勘右衛門が思い悩んでいたこととは大きく外れていたが、わざわざ保健室まで来たということはそういうことなのだろうと、勘右衛門は頷いた。
「勘右衛門君がこうやって思い悩んでいることを知ったら花子ちゃんは嬉しいんじゃないかな」
「そうでしょうか」
「さっき、勘右衛門君は自分で答えを見つけたじゃない」
慈愛に満ちた表情をした伊作を見た勘右衛門だが、腑に落ちない。
だって俺と田中は違うから。勘右衛門の中でそれが全てを否定した。
確かに花子と勘右衛門では価値観も考え方も異なる。
言い訳にしかならないが、事実だった。
勘右衛門は不安をさらに大きくして立ちあがった。

「お邪魔しました」
一つ礼をとって、勘右衛門は保健室から出た。
表情を暗くした勘右衛門が心配だが、事情を深く知らない伊作はこれ以上自分が何をしてもおかしくなりそうで勘右衛門を引き止めなかった。

もしもこれが原因で仲が悪くなったら土下座でも何でもして花子に謝ろうと伊作は胸に誓った。




結局、花子へ謝る勇気を持たないまま勘右衛門は部屋へ戻った。
このままで良くないことなど勘右衛門は誰から言われるまでもなく分かっている。
ただ分かっていることと行動に移せるかどうかは別問題だ。
一歩を踏み出すことができない。
誰かに背中を押してほしいと思うのは甘えだと知りながら、それを期待してしまう。



弱虫な自分を抱えながら眠れぬ夜を過ごし、早朝、久々知が起きる前に屋根へ逃げ、授業が始まるまでそこで過ごした。


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