21話





薄暗い中で私の目は自然と開く。上半身を起こし、隣を見れば友人は寝息を立てている。
上掛け布団を折りたたみ、敷布団の上から下ろす。敷布団は三つ折りに。端に寄せて、その上に掛け布団をのせる。
夜着から制服に着替え、机の上にある鏡の前に座る。真っすぐに自分の顔を見て、口の端を上げ、目を細める。
いつもと違い、どこか硬い気がした。でもそれは本当に気持ちの問題で、この顔はいつもと変わらないはずだ。

もう作り始めて四年になるのだから。

昨日鉢屋君に言ったことを思い出して、自嘲気味に笑ってしまった。
『寝坊しなかったらね』なんて、できるはずがないのに。体に染みついた習慣はそうそうとれるはずがない。
薄く白粉を塗り、軽く紅をさす。櫛を使って髪を束ねる。結び残しのないように、乱れないように。
それから頭巾を被って、もう一度笑った。うん、大丈夫。


笑っていたら怖いものを見た。
後ろの友達の目が開いていたのだ。
それとバッチリ目があった。

「起きてるなら声かけようか」

ドクドクと早く強くなる心臓が私の生を証明する。いや、そんな感慨深いものじゃない。
「あんた、昨日の今日で良く行く気が起きるね」
友人には全て話してある。昨日起こったことの全て。
「尾浜、まだ怒ってるでしょうよ」
「そりゃそうでしょうよ。大事な良子を傷つけたって思われてるんだから」
友達ははぁ、と明らかに聞かせるためのため息を吐いた。
「あんた、バカでアホだけど、感心するわ」
「バカでアホは余計だけど、ありがとう」
立ちあがって、戸に触れる。

「行ってきます」
「ん〜、行ってらっしゃい」
友人はまた眠りに入った。私は戸を開けて、外に出た。
朝の冷気が身を包む。鼻から息を深く吸えば、冷えた空気が肺をいっぱいにする感じがした。




壁に背中を預け立つ。
勘右衛門が来る時間帯なんて分かっているのだからその少し前に来ればまだ長く寝ていられる。
では何故、まだ学園内のほとんどが活動をしていない時間帯に起きてまで食堂の前で待機するのか。
簡単に言えば、勘右衛門への好意を目に見える形にするためだ。あなたのためだったら私は寝るのが惜しくない!ってこと。
小さいとか言わないで。勘右衛門に伝わっているかどうかは微妙だけど、周りには伝わっている。
偶然早起きして私と会った人とかが話に出したりするので、広まっている。
こうなってくると周りが同情したり、気持ちを触発されたりして、応援する空気になってくる。
人間、頑張る人間が嫌いじゃない。そうなってくると私も動きやすい。情報も自然と、勘右衛門については私に流れてくるようになる。
腹が黒い?いえいえ、全ては純なる恋の力です。


「よお」
「あ、おはよう」
鉢屋君が現れた。
スタスタと眠そうな顔に反してしっかりした足取りで私の横まで来る。
「寝坊しなかったな」
「そりゃもう、プロですから」
勘右衛門のおっかけの。
自分で言っていてちょっと怖いと思ったのは内緒のこと。

隣に来て、壁に背を着けた鉢屋君をチラリと見た。
何でも彼、私の変装ができないので此処に来ているとか。つまり、変装ができるようになるためにここに来ているというわけで。
となると、私はもしかして観察されているのだろうか。
ここに来てもらうのは構わないんだけど、正直暇だし。でも自分の行動を冷静に観察されるってのは恥ずかしい。

「何?」
「いえ、別に」
見ていることがばれた。
「そういえば、気になってたんだけど」
「ん?」
鉢屋君が話を始めた。ここで話すときはほとんど鉢屋君の誘導だ。
私は何を言っていいかも分からなくて、鉢屋君に聞かれたことに答えるだけというのがほとんどで、ノリが悪いと言われても文句が言えない。

「くの一って調理したものを忍たまに渡したりすることあるだろ」
「あるね」
調理は行儀作法の一つにも含まれる。何か入っているときは当然、入っていない時も味見役として忍たまに渡すことはよくある。
大きくなるにつれて拒否されやすくなるが、いかにして信じ込ませて食べさせるかが腕だろう。ちなみに私にその腕はない。
「田中は毎回勘右衛門に持っていくのか?」
「何も入れてない時の最初の一回は。絶対受け取ってもらえないけどね」
一応、昔の二の舞は嫌なので、美味しくできて、尚且つ全くやましい物が入っていない時にだけ渡しているのに、貰ってと言う前に後ずさられて、逃げられる。
自分が確かに逃げられると思うところまで背を向けないのがみそだ。・・・私は熊か。

「でも誰かに渡すんだろ?誰に渡しているんだ?」
「そこら辺にいる人か、伊作先輩」
勘右衛門以外ならば誰でも同じ。伊作先輩はほら、何が起きても許してくれそう!!
「ふ〜ん」
反応薄いなー。まあ、面白い答えを返せるわけがないので、そこら辺は甘く見てもらいたい。

「あのさ」
話しかけられたので鉢屋君に自然と目がいく。しかし鉢屋君はこちらを見ていない。どちらかというと、私がいる方とは少し反対を向いているように見える。
こちらばかり見てるのも微妙なので、鉢屋君から視点を外した。
「もし今度勘右衛門に断られたら、私が貰っても良い」
「は?」
思わず女の子らしくない声を出してしまった。うっかり。
この申し出はどういうことだ。
つまりあれか?私に変装した時のことを考慮した上での発言だろうか。
変装した時に調理せざるを得ないことが起こるかもしれない、という発想?

「いやぁ、私の料理ってごくごく一般的な味付けですけど」
なので研究されても。
「奇抜な味付けは期待してない。駄目か?」
「構わないけど、鉢屋君いっぱいもらうじゃない?」
そう、鉢屋君はモテモテである。
思いっきり勘右衛門以外眼中外の私だから何とかなるけど、今の状況でさえ他の女子だったら陰で何と言われるか。
いや、私もすでに言われているかも。
そんな彼が、毎回貰わないはずがない。むしろ殺到していて鬱陶しいのでは?

「良子以外からは貰ってない」

んなバナナ。おっと、失礼。
私が聞いたところによると、鉢屋君に上げたけど断られたって聞いたんだけど。
まあ、結構前の話になるから、それから貰ってないってことか?断られたから皆あげなくなったのか?
「何が入っていても文句を言わないなら良いよ」
「ああ、忘れるなよ」
あ、いいんだ。今度から課題は安泰だなぁ。何が出ても鉢屋君に押し付けられる。
いやぁ、よかったよかった。


それからまた、他愛のない話をした。鉢屋君の体が動くまで。


「よお」
鉢屋君の体が壁から離れる。
鉢屋君の体の向こう側には五人がいるはずだ。勘右衛門もいるに違いない。
私は鉢屋君の体から顔を覗かせた。勘右衛門の顔を確認できたが、表情は険しい。

「おはよう、勘右衛門」
一応、いつも通り挨拶してみるが、さらに目つきを鋭くされた。予想通りすぎる反応。
勘右衛門はフンと顔を背け、珍しく鉢屋君と話すこともなく食堂へ足音荒く入って行った。
フンと顔を背けるところとか子どもっぽくて可愛いとか思ってる場合じゃないんだろうな。
怒ってるなぁ。まあ、分かってたことだけど。

「花子ちゃん」
「ん?」
勘右衛門を追って食堂の入口を見ていた私は、後ろから呼ばれて振りかえった。
そこには眉を垂らした良子。うわぁ。
「花子ちゃん、ごめ」
「謝らないでね。聞いたと思うけど、私は良子に傷つけられたわけじゃない」
本当のことなのに、何で傷ついた顔するかな。私の言い方がきついの?

「あと、誤解とかも解こうとしなくていいから」
とりあえず、怒っているのではないと分かるように軽く良子の肩を叩いた。

「田中、大丈夫なのか」
鉢屋君が横から顔を覗いてきた。
心配してくれてるのかな、ありがたいことだ。
「大丈夫よ。大したことじゃない」
今までと変わらない。怯えられるのが、怒られるに変わっただけだ。
そう思えば、かなり気が楽だ。
今まで通り、頑張ればいい。全て上手くいく必要なんてない。
逆境を乗り越えれば、また強くなれるはず。


心配そうな良子を尻目に、気が晴れた私は足取り軽く食堂へ入った。


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