10話
特にどこに向かっている訳でもなく、花子はダラダラと廊下を歩いていた。
友人は用事があるらしいし、課題は終わったし(これは喜ばしいけど)、外に出かけられる時間はないし。
「あ〜、暇ぁ」
「そうか、それは丁度良かった」
後ろから聞こえた声と同時に肩に手が乗る。振り向けば黒い忍者服の胃痛持ちいけてるメンズ教師がいた。
「田中、これを久々知に渡してくれないか?今から職員会議で火薬委員会に顔が出せなくなったんだ。これに指示を書いているから、明後日までに終わらせるように伝えてくれ」
久々知兵助。火薬委員会委員長代理。真黒な癖っ毛な髪の毛が彼の白い肌をより強調して、線の細さを思わせる。
また長いまつ毛に縁取られた大きな目は理知的な雰囲気をかもちだし、整った顔は上下同学年関係なく人気を持つ。
しかし成績優秀で、冷静沈着、思慮深な彼は取っつきにくい印象があり、人気はあっても遠巻きなものである。
上で述べたことはどうでもいい。
私にとって最も大切な情報は、彼が勘右衛門と同じ五年い組だということである。
「土井先生、喜んで!!!」
先生が優しく差し出していた紙を私は両手で引っ掴んだ。
絶対離さないんだからぁ(紙を)。
「久々知君、いらっしゃいますでしょうかぁ?」
明らかにおかしいと分かる日本語を駆使した後、私は目的の彼を探した。
もちろん、目的の彼とは勘右衛門である。
え?久々知君?今呼んだから来てくれるんじゃない?
「俺に何か用?田中さん」
「あ、ああ。ごめん、はいこれ」
私は紙を久々知君に差し出した。流石取っつきにくい。というか、無表情。愛想ゼロ。
ん〜、美人は無表情でも花があるわ。
「土井先生から預かってきました。土井先生は職員会議で委員会に参加できないそうです。指示はこの紙に書いてあるので、明後日までに終わらせるようにとのこと。私が言付かったのは以上」
久々知君は紙を受け取るとそれを広げた。
「うん、確かに。わざわざ悪かったな。ありがとう」
「へ?あ、いえいえ。大したことはしてないので」
さりげなく微笑んだ久々知君は、なんか、すごいねこの人。
なんかこう、今女として負けた気がしたもん。
不破君の天使スマイルもすごかったけど、この久々知君の美人の微笑もすごいな。
練習したらできるようになるかな。いや、たぶんこれは美人しかできない。
悔しい・・・。
そんなことはどうだっていい。そう、どうだっていい。
私の目的は勘右衛門を一目見ること!!
チラチラと盗み見るように教室の中を見るが、姿が見えない。
「勘右衛門ならいないよ」
「・・・」
バレバレでした。まあ、成績優秀の彼の目を私が盗めるわけないしね!!
久々知君は紙を畳み、懐にしまった。大きな目が私を見る。
久々知君が女でなくてよかった。いや、女だったらこのよく分からない悔しさを抱かなかったかも。
「勘右衛門はちょっと用事で学園自体にいない」
「あ、お使い?」
そんな情報は掴んでいない。もしかしたら急遽決まったことかもしれない。
が、もしかしたら勘右衛門をかばった行動かもしれない。
それならそれでいい。会いたくないのに無理に会おうとは思わない。
「そう、学園長のお使い。今日中には帰ってくる」
「そっか。教えてくれてありがとう」
期待しなかった訳じゃないから残念に思うけど、仕方がない。
本当にやることが尽きたから部屋に帰って美容運動でもしよう。
うん、勘右衛門がいない間に女を磨かなきゃ。
「田中?」
低い声で呼ばれた。振り向けば、ちょっと迷う顔の人がいた。不破君か、鉢屋君か。
たぶん、田中って呼んだから鉢屋君?
「兵助と田中って珍しい取り合わせだな」
「そうですね、えっと、鉢屋君?」
「うん、当たり当たり」
鉢屋君は頷いて私の隣に立った。
「何してたんだ?二人で」
「田中さんが土井先生から頼まれて火薬委員の指示を持ってきてくれたんだ。三郎は一人か?」
「ああ、雷蔵は課題やってるし、八左ヱ門はさっき孫兵が呼びに来て出ていっちまって暇だったんだ。だから兵助と勘右衛門に構ってもらおうと」
「勘右衛門はさっき学園長先生に用頼まれて出て行ったよ。俺も委員会の仕事あるから構ってられない」
「ああ、私それ手伝うよ。暇つぶし」
段々私が空気化してきた。ここは一度会釈して何食わぬ顔して去るべきだろう。
勘右衛門がいないのなら何の用もない。
「で、土井先生から用を任せられるってことは、田中も暇なんだろ?」
「は?まぁ」
ニヤリとした鉢屋君の問いに素直に頷いた。特に隠す必要はない。
「じゃあ、一緒に火薬委員会を手伝おうじゃないか。無償奉仕は気分が良いぞ。情けは人の為ならずって言うし」
「別に、構わないけど」
暇だし。
すると久々知君に困った顔をされた。なんで?
「三郎、人を巻き込むな。そういう風に言われたら断りにくいだろう。田中さん、気にしないでいいから」
どうも、私が迷惑、って訳ではないのか?
いや、久々知君のことは私分からないけど。
「あ、でも暇だから手伝えるなら手伝うけど」
暇つぶしになるなら火薬委員の仕事を手伝うのもありかもしれない。
勉強になるし。もしかしたら勘右衛門について私が知らない情報を聞き出せるかもしれないし。
「無理しないでいいよ」
「いえ、本当に暇で」
そう言うと久々知君は肩を竦めてほほ笑んだ。
さっきとは違う、ちょっと可愛さの混じった微笑。
勘右衛門といい、不破君といい、久々知君といい、どうしてこんなに笑顔が素敵なの!!?
「じゃあ、よろしく。準備するからちょっと待っててくれ」
久々知君は私と鉢屋君を残して教室へ戻った。
ジッと上から見られる。
「田中って身長小さい?」
「いや、平均的だと思いますが」
予想外の質問に冷静に答えた。今まで背が高い友達からからかわれた時以外小さいと言われたことはなかった。
もしかしたら良子がよく側にいるからかもしれない。良子は女子の中じゃ身長が高い。
この年になれば自然と男子は女子の身長を抜いてしまう。もちろん個人差はあるが。
鉢屋君はすっかり私より上目線だ。いや、立場の話じゃなくてね。いや、なんか立場も上な気がするけど。
「田中って時々敬語が出るよな。何で?」
「え、いや、何でって言われても」
そう親しくもない男子にどう接すれば良いか分からないから、つい敬語が出てしまう。警戒心の表れかもしれない。
「普通に友達に話すように話してくれよ。笑いそうになる」
困る、とかじゃないんだ。笑いそうになっちゃうんだ。
「善処します?」
「ふっ」
あ、本当に笑った。そんなに面白い場面ではないはずだけれど、人の感性というものは分からないものである。
「そうだな、善処してくれ」
喉で笑うような音を立てて鉢屋君はそう言った。
素顔が分からないところも含めて、変わった人だと思う。
「悪い、待たせたな」
久々知君は何やら持って出てきた。目が合う。
「田中さんって悪い人じゃないんだよな」
真顔で言われた。たぶん勘右衛門のことを言われているんだろうな。
「いやぁ、どうでしょう」
自分で「悪い人じゃないよ」って言うと悪い人になっちゃいそうなので、曖昧に返してみた。
「俺は、悪い人じゃないと思う」
久々知君はハッキリと言い切った。
真顔でそういうこと言われると、照れくさい。ついあの大きな目を見ていられなくて、床に目を移した。頬も掻いてしまう。
「それは、どうも」
精一杯の返事。
・・・この人も相当の変わりものだと思う。
ついでに良い人だとも思う。
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